Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

昔愛したエロ本が家族に見つかった。

 実家の母から電話があった。「変な本、見つけたけど捨てるからね」瞬間的に父のエロ本だとわかった。押入れを片付けていて偶然見つけたらしい。僕は罪の意識を覚えながら黙っていた。沈黙は是なり。沈黙は父を守るためだ。僕のブツだと決めつけての「お父さんが生きていたらなんていうか…」「下品ね…」「よくもこんな…」「お父さんには見せられない…」。母の僕への誹謗中傷はどこか楽しそうだった。会話のなかにまだ父が生きているからだ。そう。僕らはときどきこうやって死者を必要とする。母の声を聞き流しながら、僕は、父が亡くなったあとの書斎を思い出していた。

 

 二十数年前の初夏。葬儀が終わってから何日か経ったときだ。ティーンネージャーだった僕は、何も言わずに逝ってしまった父の死を実感することが出来ずに、父が遺したものをあれこれ精査することで、少しずつ現実として受け入れていこうとしていた。父の書斎は、たった数日の主の不在だけで随分と埃っぽくなっている気がした。生前の父の姿がフラッシュバックした。ドアの隙間から除く父の背中は物憂げに丸くなっていて、その後訪れてしまう父の不幸を暗示しているように見えた。人知れぬ悩みを抱いていたのだろうか。一度だけ、ドアを開けてしまったこともあった。そのとき父は振り返ることもなく、出て…いけ…、と奇妙なほど感情を押し殺した低い声で言い、僕はなんだか恐ろしくなってにが逃げ出したのだった。デスク。チェア。オーディオ。本棚。それらを眺めたり触れたりする。遠くから聞こえてくる電車の音が妙に間抜けに思えた。

 

 袖机があった。引き出しを開けるとそこには文房具といっしょにエロ本が遺されていた。それがきちんと閉じて置かれていれば僕は「バカだな~」つって一笑に付しただけと思う。現実は死ぬほど残酷だった。発掘されたエロ本は、ついさっき慌てて片付けられたかのようにエキサイティングページが広げられたままだった。エロ本が外国モノで、開かれていたページが、南カルフォル二ア特有の雲一つない青空の下、真っ白のツルツルした家と綺麗な緑色の庭の前で白人の女性がピンヒール以外は生まれたままたの姿でいかにもハーイ!って感じで微笑みながら黒いドーベルマンを散歩している写真の見開きというものだったので、僕はこれを一生伏さなければならないと思った。

 

 ページをめくると飛び込んでくる《バニーガール》《バドガール》《ボンテージ》、カリフォルニアの天気のようにカラッと晴れ渡るようなエロスたち。エキサイティングページに到達するたびに、何の液体かまったく想像だにできないが、固まった液体がはがれるようなパリパリというもの悲しい音が部屋中に乾いて響いた。こいつは強力だ。絶対に隠さねばならない。父の尊厳を守るために。家族の思い出を守るために。父の遺伝子を永久保存するために。そしてなにより母の中の父を守るために。僕は、秘密裡のうちに、そのエロ本を押入れの奥深くに隠したのだった。「これからは僕が父を守る」そう、誓うように。

 

 母の誹謗中傷は続き、やがて、タイトルや見出しを列挙していった。《女子高》《アブナイ教育実習》《素人ギャル、江の島ナンパ》《夜もイケイケ》浮かんでは消えていくキーワードたち。そこには、父のパリパリなカルフォルニアとは違う、より湿度の高い、若干バブリーな頃のジャパニーズエロチシズムに溢れていた。確信した。母の見つけたエロ本、それは僕の本。「投稿写真」はたまた「アップル写真館」か…。母は血迷ったのだろうね、このエロ本の件を妻に伝えると言ってきた。それだけはダメだ。わが身可愛さから、母の声を遮るように言った。「母さん、それオヤジのだよ」。(沈黙)「えっ!あのエロハゲ、死ね死ね死ね!」母の声は思い出すのも恐ろしいほど凄まじかった。こうやって僕はときどき死者を必要とする。生きていくってのは死ぬことよりもずっとハードコアなのだ。

 

 ときどき父があの書斎で何をしていたのか考えてみてしまう。ナニをアレ。決まってアホな結論に至ってしまう。死者というのは無敵で、フィルターにかけられたように生前にあった弱点や欠点をなかったことにしてしまうこともある。けれども父は、僕の父は、どんなフィルター越しであっても変わることのない人間のアホさとか弱さを僕に教えてくれた。それは弱点でも欠点でもないのだと。

 

 父のカリフォルニアは今もまだ実家の奥でパリパリのまま眠り続けている。