Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

トイレに呪われています。

朝からの腹痛は、昼過ぎには耐え難い化け物に姿を変えていた。最終防衛ラインでかろうじて抑えている絶望的な状況。ハンドルを握る手に汗がにじむ。商談中は仕事の緊張感が良い方へ作用して、痛みはおさまっていた。幸運はそこまでだった。客先を出て営業車を走らせて数分すると、緊張が緩んだのだろうね、ぐるるるるる!という不気味な音が胃から鳴ったかと思うと、次の瞬間、猛烈な腹痛に襲われた。まずい。営業車内でメルトダウン事故を起こしたら、営業部長として、終わる。真冬。晴天。なぜ調子の悪い時は昼間の明るさが刺さるように痛く感じるのだろう? 勢いも、音もなく、熱量と悪臭をもったガスだけが、尻から漏れる。苦しくて息ハアハア。この熱量が質量をともなったときがゲームオーバーなのだ。

さいわい、実家から数キロ地点の県道にいた。10分ほど車で走れば、実家に辿り着く。ハアハア激しく息を吐きながら、尻からガスが漏れるたびに、万が一、ブツが漏れてしまったときに潰してしまわぬよう尻をシートから持ち上げた。赤信号で停止したときに、大きく口を開け、ハアハア息を吐き、白目で上下動を繰り返している姿は、自分自身を慰めている姿に酷似していたのではないか。実家に到着。母は元気だろうか。呼び鈴を鳴らす。返事がない。孤独死の可能性が頭をよぎったが、「ただの留守のようだ」と自分の都合を優先して解釈して、鍵をつかって侵入。玄関で靴と上着を脱ぎ捨てトイレへ入り、ズボンとパンツを一気呵成に下ろして便座に座る。閉じ込められるのが怖いので鍵はかけない。人生で3回トイレに閉じ込められた経験が僕を賢くしていた。私事で恐縮だが大をいたすときはズボンは完全に脱ぎ捨てる派だが、このときばかりは余裕がなく(ズボンを掴んで投げる動作の最中に漏れてしまう可能性があった)、脱ぎ捨てずに足首のところまで下ろしただけであった。それが数分後に悲劇をもたらすとはそのときの僕は知る由もなかった。

最初、異常にきづいたのは、腰を下ろして、第一弾を噴射しているときだ。目の前にあるドアノブに紐状の白い布が巻き付けられていた。これは何のためにあるのか。第一弾の残りを噴射しながら、布を手にとってみる。わからない。ぐるるるる、と胃がなって第二弾が猛烈な勢いで噴射しはじめた。僕は不気味な白い布のことを考えていられなくなる。布から手を放す。はらはらと落ちていく布。打ち上げ中の宇宙船でトラブルが発生したものの対処出来ず戸惑うばかりの宇宙飛行士の気持ちとはこんなものではないだろうか。人は、噴射には抗えない。

脱力して呆けていると僕の目の前でドアがスーッと音もなく開いていった。鍵をかけていなくても<型のラッチが穴に引っ掛かって、ドアノブをひねらなければドアは開かないはずである。37年間この家のトイレで尻を出し続けてきたから、わかる。数秒後、楽園のドアは完全に開け放たれた。猛烈な便意はおさまらない。楽園のドアを開けたままブリブリするか、尻を出したまま腰をあげてドアを閉めるか、究極の2択であったが、僕は尻をあげるほうを選んだ。落ち着いてブリブリしたかった。全開状態のドアをとじるために僕は立ち上がった。汚れるのをおそれて、パンツとズボンは上げなかった。足首に下ろしたままのズボンのせいで氷上を歩くペンギンのような小股になってしまう。ピョコピョコとドアに近づき、ドアノブを動かしてみると抵抗がなくグラグラ。ドアの板を挟んで表と裏でノブが差している方向もずれていた。ドアノブをまわしても金属制のラッチは飛び出してこない。トイレのドアは馬鹿になっていた。

汚れた尻で便意に耐えながらガチャガチャ、ドアノブをいじっていると、ガチャーン、とそれまでとは異質な音がした。動かしているうちに直った、という淡い期待は、母親の「あんた尻出したまま何やってるの!」という悲鳴に消えた。3回の大規模リフォーム、魔改造によって実家のトイレは玄関に直結する配置になってしまった。仕事ストレスによる腹痛と年輪のように積み重ねてきた家族の歴史が交差した哀しき奇跡の瞬間であった。年老いた母親とお尻を出した一等賞な悲劇の構図が生まれたのは必然であった。まもなく46才になるというのに、母にブリブリ中の汚れた尻を見られてしまった。母は、股間のパオーンを目撃しただろうか。おぞましくて確認できない。見ていたらこのまま墓場まで持っていってもらいたい。

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▲【謎の白い布とトイレと玄関の直結具合がわかるだろうか。強引に動かしたために左右のハンドルの位置は改善されているがズレている。ラッチはグラグラ】

ドアノブは母がトイレに閉じ込められた際に破壊したらしい。その後、修繕の手間とカネをケチった母により白い紐状の布が設置された。閉まらないドアが開かないようにこの布を持ちながら用を足すようにしているそうだ。僕は、老いた母親が薄暗いトイレで白い布を掴んでいる姿を想像しないようにした。トイレに閉じ込められ続けている我が一族は、トイレに呪われているとしか僕には思えなかった。この悲しみの連鎖を断ち切るために、僕は尻をウォシュレットで濡れた尻が乾くのを待たずに、修理業者を手配した。(所要時間24分)