Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「ブレない」を否定する。

昨今、ブレない生き方が称賛されている。僕のようにズブズブにサラリーマンとして生きていると、「これからはブレない生き方じゃないと突き抜けられないっすよ」という若者たちの軽口を、忸怩たる思いで聞くばかりである。元々、我々日本人の多くは、主や己の信念に殉ずるブレない生き方を称賛してきた。楠木正成。真田幸村。若者よ、「ブレない」はじつは古い価値観なのだよ。

「ブレない」がモテはやされるのは、一点突破、最短距離、直結、スピード感といった結果にコミットする、ポジティブなイメージがウケているからである。トレーニングジムが「我々の提供するダイエット・プログラムはザ・まわり道です」という事実に即した宣伝を打ってもウケないだろう。

「ブレない」は目的や目標に向けて一直線に突き進んでいく生き方だ。強いて言えば、その直線上にない可能性を見逃がしている。見方を変えれば、ブレて、最短コース上にない可能性を拾っていったほうが人生は広がる。また、チャレンジやトライ、試行錯誤といった脇道で得られるものを見落としている。「ブレない」には、そういう弊害もあるように思える。

たとえば、任天堂は、最新の技術に飛びつかずに、既存の技術を組み合わせて(ある種のブレである)魅力ある商品を市場に出している(横井軍平さんで有名な「枯れた技術の水平思考」と呼ばれている)。その結果、新型コロナ禍でも過去最高の業績を出している。既存の技術を工夫することは、「最新技術へ一直線」という姿勢ではなく、余裕を持ってまわり道をしながら、できることを探しているスタンスがあるからできることだろう。それでいて、「娯楽としてのゲーム機に徹する」という方向性は一貫している。その点においては、頑なにブレていない。

また、業績を求めて突っ走るあまり、従業員の人間性や環境をないがしろにしてきたブラック企業も、一直線に突き進むことの弊害の現れだろう。ブラック企業のトップが、業績追求からブレて、従業員の労働環境に目を向けていれば、そのような事態にならなかっただろう。

「ブレる」を、「右往左往」や「まわり道」とネガティブにとらえるのではなく、「可能性を広げる生き方」とポジティブにとらえよう。ブレない生き方とは、ゴールがしっかりと見えているからこそできる生き方だ。実際、正確にゴールが見えている人がどれだけいるだろう? そもそも、ゴールが見えなくても前に進んでいかなければならないから僕らの人生は難しいのだ。

僕らは、ゴールを探しながら歩いている旅の途上にいる。その旅の途中で出会えるものを味わいつくすように、ブレる生き方を肯定できれば、前向きに生きていける。無駄な人生などないのだ。

ある程度の方向性を持って、ブレながら、軌道修正を重ねて進んでいこう。世界観が構築されていれば、過ちや失敗にもいちはやく気付ける。世界観は人生を歩んでいくための方位磁石である。書くことで、正しくブレながら楽しく生きられるようになる。

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この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。