Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ネタ探しをしてはいけない。

Q.「ネタはどうやって探せばいいの?」

 

A.ネタ探しで困る人が多いらしい。検索すれば「ブログのネタ探しのコツ」といった記事はたくさん見つかる。僕はネタ探しをしたことがない。血眼になってネタを探すほどの熱量を持ち合わせていない。

書くことは自己表現だ。自分のなかにあるものを自分の言葉で表しているのだ。つまり書くものは常に自分のなかにある。普段の生活で吸収して自分のなかで熟成したものを文章という形に変換して吐き出しているにすぎない。

どんな物語も日常から生まれている。ミステリー作家は名探偵コナン君のように、殺人現場に居合わせていない。日常生活で集めた素材を想像力をもって加工してミステリー小説を執筆しているのだ。外部から刺激を受けて書くこともあるが、それでも刺激に反応した自分のなかにあるものを書いているので、自分のなかにあるものをあらわしている点で同じだ。

ネタ探しをする意識は、書くものの素材を集まるうえで、弊害になるとさえ考えている。「ネタを探すぞー」という意識で世の中を歩いていると、ネタになりうるような、目立つもの、面白いもの、奇抜なものに、目がいってしまう。SNSで多くの人にシェアされて流れてくる「こんなんありましたよー」的オモシロ画像のようなものだ。逆にいえば、わかりやすく、誰でも見つけられるものだ。

「ネタを探す」という意識で世の中を見ていると、ネタ探すフィルターを通過してきたものしか残らない。そのフィルターの目は粗い。僕はそのフィルターから落ちてしまった細かいもののなかに、誰にも見つかっていないホンモノのネタがあると考えている。

日々の暮らしのなかで思ったこと、考えてみたこと、そういうカタチになっていないぼんやりとした思考を、書くことで自分の言葉に落とし込んでいく。その継続が、誰にも見つけられない、思いもよらないネタをもたらすのだ。つまり、なんてことのない日常のなかにこそ、宝物は潜んでいるということ、そのことに気づいてしまうとネタは無限大にあるので、ネタ探しはいらなくなる。

◆キーワード 「ネタ探し」はホンモノのネタを見落とす危険性があるから、しない

この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。Amazonで予約できるようになりました。