Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

1999年夏、彼女の生涯最後の小説が、僕を。

七月になれば、きっとまた僕は、彼女の生涯最後の小説を読んだ、あの夏の夜を思い出してしまうだろう。一九九九年の七月、25歳の僕は、駅に直結したビルにある書店の文庫コーナーで彼女と再会した。彼女は二つ上の先輩で、会うのは数年ぶりだった。社交辞令のつもりで連絡先を交換した。数日後、ショートメールが届いた。「原稿用紙四枚の短編を書いてきて。私も書くから」学生時代、僕と先輩は競うように掌編を書いていた。僕らは自分たちに大きな才能がないことに気がつかないふりをして遊んでいた。僕が先輩の好きなディケンズの「大いなる遺産」を「退屈」とこき下ろすと彼女は本気で怒った。「あなたに『大いなる遺産』が書けるの?」と。僕が「書けるけど書かない」というと彼女は笑った。挑戦的な笑みだった。その頃、僕は文章を書いていなかった。才能がないのは分かり切っていたから、人に読ませてもバカにされるだけのゴミを書く気分にはなれなかった。だから困った。先輩はいまさら僕に何を書けというのだろう。才能の無さを思い知らされるのは嫌だった。たくさんだった。でも僕は書いた。書けるものを書いた。彼女が何を企んでいるのか知りたかったのだ。きっちり四枚。千六百字ジャスト。プリンターで印刷。待ち合わせは駅の近くにある古い居酒屋だった。僕らはお互いの小説を交換して読んだ。彼女の小説は巧かった。きっと会っていない数年間も書き続けていたのだろう。努力とかけた時間が感じられた。それに対して僕の書いたものは酷かった。クソだった。何も思いつかなかったので彼女へのラブレターを僕は書いた。原稿用紙四枚、千六百字のラブレター。下心爆裂。「凄いね。こういうの書いてくるとは思わなかった」と彼女は感想を述べた。「私の小説はどうだった?」という彼女の言葉には過剰に真剣さがみられたので「先輩は自分の書きたい小説を書いていると思います」僕は素直な感想を答えた。「それだけ」という彼女の言葉に、僕は返す言葉を見つけられなくて、いや見つけてはいたけどそのまま口にしていいのかわからなくて、生ビールを飲みきることで、時間を稼ぎ、誤魔化し、アルコールのせいになればいいやという投げやりな希望を持ってから、「それだけです」と答えた。先輩は書きたいものを書いていた。残酷だけどそれだけだった。才能のない僕らは、自分の書きたいものを書くという甘えの中で遊んでいた。大人になった僕らはいつまでも子供用のプールにはいられない。彼女は「酷いこと言うね。わかってたよ。うん。諦めがついた。キミは凄いね。人に読ませる小説を書けるようになってる。一人称の恋愛小説なんてさ。努力したでしょ」と言った。いやそれ小説じゃなくて、貴女へのラブレターなんですけど、数年ぶりに書いたんですけど。全然伝わってない。やはり僕には才能はなかった。一九九九年の七月の夜。神奈川の海沿いの町の居酒屋で、僕らは互いの生涯最後の小説をつまみにビールを飲んで才能に見切りをつけようとしていた。「来月、人類は滅びるらしいよ」先輩は言った。ノストラダムスの大予言。それから彼女は「私が物書きになれない世界は滅びてしまえ。私は人類滅亡に賭けるよ。キミは人類生存に賭けなさい」と続けた。「賭けに勝ったら何がもらえるんですか」「書くこと。もし生存ルートなら君は書き続けなさい。私のぶんまで」と彼女は言って笑った。『大いなる遺産』のときの、やれるものならやってみなさいというような挑発的な笑みだった。先輩と会ったのはその夜が最後だ。数か月後、共通の知人から彼女の結婚を知らされた。今は海外で暮らしているらしい。詳しくは知らない。僕は今も書き続けている。才能はないままで、覚醒する気配はない。きっとこのまま覚醒することはないだろう。あの夏の夜、彼女は、僕に託したのだ。私のぶんまで書き続けてよと。そして才能のない者が才能のなさに抗って書き続けてもいいように願いをかけた。すべて、彼女が仕掛けた残酷で幸せな罠だった、25年経った今の僕にはそう思えてならないのだ。(所要時間22分)