Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

他人の骨を預かってます。

 骨壷を預かっている。愛人宅で亡くなったせいで奥さんに受け取りを拒否され行き場を失ったオッサンの骨。奥さんと僕の母は親友という間柄ではあるが、僕とは面識のない他人の骨だ。(参考id:Delete_All:20100524)


 骨壷との同居以来、ホネホネロックの夢にうなされ、眠りは浅く、抜け毛もひどい。他人の情事のために、なぜ僕が、どうして僕が苦しい生活を送らなければならないのか。理不尽だ!古より、死して屍拾う者なし、って言うではないか。引き取り手のいない、腹上死した男の骨だ。僕は、トイレから流してやろうと一念発起し骨壷を抱えてトイレへ向かった。

 5分後、僕は洋式便所を前に立ち尽くしていた。骨壷を小脇に抱え絶望していた。これからの長い人生を、排尿排便のたびに他人の骨を流した記憶を思い出して生きていくのはあまりにも辛すぎる。便器は墓石のように静かだった。ブルーレットは青々としていた。便器のまえに立つと尿意を催すのはなぜだろう。やれやれ。僕は放尿しながら、やはり愛人に押し付けるしかない、と思った。


暑い日であった。昨年活けた菊が腐って黒蜥蜴のような格好で花瓶に貼り付いていた。フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!奮い立たせるよう三度呟いてから、僕は夏の扉をあけた。


 レギュラーガソリンリッター136円という事実は僕を自動車から引き離すのに充分な説得力を備えていた。ガレージから自転車を引き出し、前カゴに骨壷を入れ、ペダルを踏み込む。歩道に乗り上げた衝撃で二度ほど骨壷が転倒し中身がこぼれた。こぼれた骨は小さじ二杯分だったかもしれないし、お茶碗一杯分だったかもしれない。いずれにせよ、どうでもいいことだった。


 インターフォンで愛人おばはんを呼び出し骨壷を押し付けた。おばはんは「ちょっと待っててくれない?」といって踵を返した。酔っ払いが嘔吐するような泣き声がエントランスに響き残った。イインデス、イインデス、オレハ、オレーナンテ、イインデス。お菓子?マネー?お菓子なら鳩サブレー、これは鎌倉だから仕方ないよね。金なら諭吉三枚くらいかな。浮かれ、リグ ディントン、リグ ディンディントン鼻歌を歌って待っていると愛人おばはんが戻ってきた。おばはんは手ぶらであった。


 「あの〜なんにもないんすか?」僕が尋ねると「ちょっと付き合ってくれない?」と愛人おばはんは言った。「なんで僕が?」「彼のあとを追っちゃおうかな…」。愛人おばはんは、このような極めて不謹慎なことを言って善良な精神をもつ僕を脅迫し、軽自動車に押し込んだ。悪女め。


 軽自動車のナンバーは番号が見られないように折られていた。盗難車なのだろう。他人のものを奪う人なのだ。おばはんは小さなパンダの人形を僕に見せた。パンダではなく味の素だった。白い粉。いや。おろ。まさか。動揺する僕に愛人はいう。「彼の一部を持ってきたの」「うわー!」味の素は最強の調味料だ。ガールフレンドの料理を褒めるとき、僕ははいつも「味の素使った?」と言う。だが、しかし。味の素なんて。

 
 おばはんは軽自動車を西へ走らせた。「この車で彼と愛しあったこともあるわ…」寂しそうに愛人おばはんは呟いた。僕は両手で味の素を抱えていた。シートの足下には丸まったティッシュペーパーがあった。この狭い車内で…。僕は吐き気に耐えるので精一杯で何も答えられなかった。辿り着いた場所は、火山ガスが噴出する渓谷であった。うだつのあがらない中年カップルの姿が目立つ渓谷であった。バズーカ砲のようなカメラを構える若者は青い顔をしていた。


 僕らは谷の一番たかい場所まで登った。硫黄の匂いが鼻をついた。生温かい空気がべたべたした皮脂を誘発した。「彼、温泉卵が好きだったの。それに…」「それに?」「彼の身体、硫黄のにおいがしたの…」初夏の太陽に照らされた彼女はフルシチョフによく似ていた。


 愛人おばはんは味の素の瓶をブルゾンのポケットから取り出した。僕はそのときはじめて彼女の意図がわかった。

「いいんですか?」
「いいのよ」

 愛人おばはんは味の素の蓋を外した。愛人おばはんの右手が弧を描いた。弧から放たれた白い骨は霧のように夏の空を泳いだ。霧は台詞のない吹き出しのような形をしていた。僕には腹上死した男の無念が乗り移っているように見えた。<こんなはずじゃなかったのに。こんなはずじゃなかったのに>。それから男の白い霧は、谷からの硫黄臭い千の風に吹き上げられ、僕の顔面を直撃した。