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Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

俺らのインターネット、その終わり

何が契機でそんな話になったのか知らないけれど年末年始からインターネットが窮屈で不自由になった、面白くなくなったという話を目にするようになった。1998年からインターネットで文章を書いている僕からみれば、インターネットは当時から今と変わらず窮屈で、不自由で退屈なものだった。ただ、今と違うのは、何かおもしろいことをやろうという熱みたいなものがそこにはあって、窮屈さや不自由さみたいなものが中和されていたところだ。自由で、楽しいインターネット。楽園としての俺らのインターネット。そんなスローガンがあの頃、インターネットに集まった人たちにはあったと思う。

もちろん、インターネットは現実と隣り合わせにあるので、今と若干毛色は違ったけれども、現実と同じように窮屈さや不自由さ、それから金の匂いもあった。オフ会やネットバトルやHP、掲示板設置管理の煩わしさ、バナー広告。確かにそれらはあったけれども今よりずっと小さい世界でのことであったし、金についていえば、PVはこれくらいで幾ら稼げました、という人は希少だったように記憶している。節度というか、現実とは違う俺らのインターネット、楽園を守るように皆が気をつかいあっていた。

ブログのあとにFacebookやツイッターがやってきて、インターネットの敷居はぐっと低くなった。LINEは会話になり、ユーチューバーは神になった。それまでインターネットに触れたことのない人たちが大挙して押し寄せてきた。皆が1秒でもはやいレスやコメントやリツイートを求め、いいね!を付け合い、既読スルーに泣いた。現実が俺らのインターネットを征服する。あっという間だ。それでも俺らは俺らのインターネットを守るために抵抗した。インターネットリテラシーのない《素人》が炎上するのを俺らは攻撃した。俺らのインターネットに金を持ち込んだ《プロ》を俺らは攻撃した。節度も実力もないのに自分をネットで売り込む《意識高い系》を俺らは攻撃した。

それらの無駄に終わった防衛戦の傍で、発達したインターネットサービスの即時性、何かアクションをすると瞬く間に返ってくる現実と変わらない慌ただしさに俺らは窮屈さを覚え、不自由を感じた。「あの頃のインターネットは良かった」それは現実と隣り合わせのインターネットにも存在していた窮屈さや不自由を誤魔化していた俺らのインターネットの終わったサインだ。夢は、醒めた。

一方で、金と女と酒しか愛していない僕は、今も昔もインターネットに虐げられ、無視され、仲間外れにされ続けてきたせいで、ずっと現実と変わらない窮屈さと不自由さを覚え続けている。そんな現実も、俺らのインターネットもクソつまらないので一緒くたに滅びてしまえ。いいね!あの頃のインターネットは良かったなんてセンチメンタルは僕には一切ない。いいね!オフパコでヒーロー気取りのバカはヤリ逃げで泥沼になるべきだ。いいね!現実でモテないやつはインターネットでもモテない。いいね!ダメなやつはインターネットでもダメで、ビンボーはインターネットでもビンボー。いいね!現実イコールインターネット。飯はクックパッド。会話はLINE。いいね!…僕は金の匂いがしていろいろな人がごちゃごちゃして登場退場拡散し続けるカオスみたいな今のインターネットの方が人間らしくて好きだ。俺らのインターネットは滅び、シビアな現実そのもののインターネットが生き残る。そこで求められるのはツイッターもFacebookもユーチューバーも炎上も全部血肉にする逞しさなのだ。