「出来たらいいね」くらいのユルい妊活を目指すことになった僕ら夫婦は、セックスレス解消の第一歩として普段妻が一人で使っているダブルベッドの上でそれぞれ掛け布団にくるまり、背中合わせに眠ることから始めてみたが、僕のイビキが異常にうるさいために頓挫し、以来、別々に寝ている。元の木阿弥だ。
妻の言うことを信じるならば、僕のイビキは爆発音のようなものらしい。とても隣で眠れないと妻は言う。なるほど、それなら年明けからでもイビキ対策をしようと僕は楽観的にのんびり構えていた。
今朝、気の引き締まる仕事初めの朝の食卓で、妻が、食べながらでいいですからと話を切り出した。「実はキミのイビキを録音しました。どれだけ大きいのか知っておいてほしくて」「いつの?」「元旦の夜です」初夢の夜にイビキを録音されていたようだ。ちなみに僕の初夢は、寝転んでいるローション塗れのビキニ・ギャル軍団の上を裸の僕がスーパーマンの要領で滑走していくというものであった。
妻は密かにレコーダーを仕掛けていた。なぜ秘密裏なのかと尋ねると無意識の自然なイビキを録音したかったからだという。「そうじゃないと意味がないでしょう?」うむ、然り。愛い奴め。「では、スタート!」妻の掛け声で再生が開始された。音が無い部分は飛ばす。そして再生されたイビキはまさしく爆発音であった。《グォグォグォガーーー!!ンガ!ンガ!グォグォグォガーーー!》《グォグォグォガーーー!!ンガ!ンガ!グォグォグォグォグォー!》まさかここまで酷いとは、真面目に対策に取り組んだ方がよさそうだ。なんか所々息が止まっているみたいだし。無呼吸症候群だろこれ。
「なんかごめん、ほんとに酷いイビキだね。ありがとう。真面目に治療するよ」そんな僕の言葉にも妻は不安な表情を崩さず、より一層深刻な顔面になり「このあとはもっと酷いのです」と言う。「まさか寝言とか?」「ウン。その寝言が尋常ではないのです。降霊とか霊言とかそんな感じでちょっと…」声を詰まらせる妻。エクソシスト?それともまさかの大川さんすか!「喋っちゃってる系?」「時々。知らない女の子の名前も…」「えっ!?」最低だ。
妻は問題の箇所までレコーダーを飛ばした。高まる緊張感。妻は眉間にシワをよせて頷き、なぜか声をひそめて「ここからです」 確かに先ほどのイビキとは違うサウンドが聞こえる。《ふぅふぅはぁはぁ》《おぅふ、おぅふ》異常に激しい息。獣のよう…いや獣そのもの、ビーストモードだ。ドーピングをしているのは間違いない。《おぅふ、ゔ、ゔー》激しいが声を押し殺しているのもよくわかる。なぜそれがわかるかご説明いたしますと、僕はこのとき完全に覚醒していたから。覚醒し、ヘッドフォーンをし、エロ動画を肴に、ひとり、いたしていたのだった。ニトリで買ったマットの上で。《ふぅー、ふぅー、ふぅー》千の風になって。妻は「これがこのあと30分ほど続くんです。深刻な病か、そうでなければ何か霊的な現象ではないでしょうか」と深刻な感じで言った。死にたくなるからもうやめて欲しかった。
「もしかして全部聞いた?」「当たり前でしょ」妻は、この録音を持ってお医者さんに行きましょう、お祓いにも行きましょう、滝に打たれる必要もあるかもしれません、心配しないで、私も一緒に行ってあげるから、一緒に戦ってあげますからと言ってくれた。僕は一人で戦いたかった。けれども妻のこの優しさ、思いやり、慈愛…こんなに嬉しいことはない。おかげで仕事初めっからまったく仕事が手に付かないし、家にも帰りたくない。こんなに嬉しいことはないはずなのに。