Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ブルマーより愛をこめて

 ブルマーが下着ではないと知った瞬間、僕は鉄腕アトムに欲情した己の過去を嘆いた。若さゆえの過ちというやつを認めるのはひどく難しい。それならば抹殺するしかない。アトムしかり、エイリアン1作目のシガニー・ウィーバーで抜いてしまったことしかり。そして、僕の知らないうちに我が国のブルマーは滅びていた。

 こんなことなら二十数年前のあの春の日、桜の舞い散る校庭を駆け回る、キュートな女子テニス部ブルマーズから目を逸らさなければ良かった。下着を盗み見る罪悪感に打ち負けた精神の弱さが恨めしい。一瞬だけ直視したブルマー、それを当時再放送していたアトムに重ねていたあの頃の自分を殺したい。

 「ブルマーは下着ではありませんよ」そう教えてくれた妻には感謝しかない。僕は幸せだ。真実を知ってから死ねるのだから。「ブルマーをはいてくれ。下着でないことを確認するために」妻にそう言いたかった。あるいは強権的にブルマーを履けと命じたかった。だが、それも叶わぬ夢だ。肝心のブルマーはもういない。

 先日、都内で仕事を終えた僕は電車の中で1人の女性を見かけた。再会だ。元女子テニス部のひとり。桜舞い散る校庭でブルマーを履いていた彼女ももう四十をこえている。ブルマーを下着だと信じていたウブな僕も、ブルマーを堂々と履いて駆けていた彼女も中年人生下り坂。僕は今の、詳細にあらわすと失礼になるので想像にお任せいたします的な外観に変貌してしまった彼女の臀部にブルマーの面影が重ならないように目を伏せてやり過ごした。

 「ブルマーならタンスにしまってあります」妻はいった。この狭いマンションにブルマーがある。その事実は僕の人生を明るく照らした。「どこにあるのどこにあるのどこにあるの」「タンスのどこかです」妻は僕の質問をはぐらかした。その後、僕の必死さに警戒した妻はその後ブルマーについて話すことはなかった。妻が寝たあと、タンスを捜索した。ブルマーは引き出しの手前にあったのですぐに見つかった。もしかしたら専業主婦である妻は部屋着にしているのかもしれない。マーベラスだ。

 電車の中にいた彼女は隣の車輌に移動していった。子供を2人引き連れて。ブルマーに恋い焦がれた僕、ブルマーをはかされていた彼女。どうお近づきになればいいのか。どうしたら触れられるのか。あの頃の僕は人との距離に悩んでいたけれど、別々の車輌で決して交わらないまま同じ方向に進んでいく僕らを、今の僕は素敵に思う。

 妻が寝息を立てている深夜、僕はブルマーを履いてみた。上半身裸で夜の闇に沈むブルマー姿の中年男。ブルマーは思ったよりゆったりしていてなぜ女の子のものだったのか疑問だ。ブルマーは下着じゃない、ピーチジョンじゃない、妻が僕のトレーナーを勝手に借りて着ているのと同じことだと自分に言い聞かせながら回れ右、鏡に映った僕の姿は鉄腕アトムによく似ていた。欲情はしなかった。そのとき、僕は葬り去ろうとしていた忌まわしい過去を受け入れることが出来た気がした。

人生最初で最後のブルマーを味わい尽くすように、色々なポーズをしてみた。シェーッ!コマネチ!クライングフリーマン。気がつくと後ろに妻が立っていた。それから妻は、ブルマー姿の夫に、後ろ前です、と悲しげに囁いた。アトムなら飛んで逃げただろう。空をこえて星の彼方へ。