高齢化が加速していく我が国では、こうした事例が増えてくると思うので参考にしてもらえたら幸いである。
先月某日。蒸し暑い午後11時。マンションの呼び鈴が鳴る。モニターで確認すると夏なのにフリースを着た初老の男。荷物は持っていない。夜、モニター越しにみる人の顔は目がピカピカして不気味。よく見ると、隣人のTさん。Tさんは60代後半から70代の男性。独身。僕の知るかぎり、これまで彼を尋ねてくる人は一人もいなかった。酔っ払っているにちがいない、ここはひとつスルーしよう、と思ったが、一分ほどずっとドアの前に立っているので、仕方なくドアを開ける。「こんばんは」とTさんは切り出すと、まったく知らないマンション名を出して、そこが自分の家なので連れていってほしい、と言った。いやいやここがユーのマンションだから。僕は「Tさん、お隣でしょ」と冷静を装って、彼を部屋の前まで連れていき「おやすみなさい」といって自分の部屋の前まで戻り、Tさんの様子を確認。彼は誰もいない部屋の呼び鈴ボタンを連打していた。マジでヤバい。
奥様にその状況を伝えると「よく、そういう人を放置してくるような冷酷な真似ができるね。ヒトデナシ」と詰められ、「もういちど確認してこい」と蒸れ蒸れの夏の夜へ追い立てられ、ふたたびTさんの部屋の前を確認するとそこに彼の姿はない。イヤな予感。「もし彼の身に何かがあったらどうしよう」という気持ちはなかったけれども、腐臭はどれほどのものなのか、奥様にどんな仕打ちをされるのか、想像するだけで恐ろしかった。捜索。マンションの1階エントランスの前に彼はいた。「お部屋戻りましょうよ」と声をかけると反応ゼロ。うーん。真夏だから凍死する心配もない、じゃ無視しよ、と思ったけれども、Tさんの僕を見つめるまなざしが僕を釘づけにした。すがるような、わたしはあなたを信頼している、とでも語っているような真っ直ぐなまなざし。ここ数年、具体的には結婚以来、プライベートでこのような目で見つめられたことはなかった。「ちょっと待っててね」と言って一度部屋へ戻り奥様に経緯を報告。彼女にTさんの様子を見ているように言づけてから、近所の交番へダッシュ。
交番には若いポリスマンが2名。事情を説明して、現場に来てもらうことに。ポリスマン1号がTさんに声をかけ、2号が僕に経緯をヒアリング。1号が「お隣さんがね。Tさんにピンポンされてすごく迷惑しているって!」と言う。迷惑してないっつーの。ちと頭に来る。逆恨みされて朝まで生ピンポンされたらどう責任を取ってくれるのか。「鳴らしてないよ」Tさんにピンポンの記憶はなかった。うそーん。それからポリスマンに連れられて部屋の前で、いい?ポケットの中から鍵を出すよ?というやり取りのあとでTさんは自室へ帰っていった。ポリスマンは「痴呆入ってますね」と言うと、ただこれ以上は我々は何も出来ません、何か迷惑行為があったら通報してください、では、といって去っていった。
Tさんは天涯孤独。何かあっても助けてくれる人はいない。そういう前提で奥様と相談をした。最近マンションのゴミ捨て場に、ものすごい量の缶ビールの空き缶が不法投棄されていたり(不燃ゴミは別の場所である)、生ゴミが袋に入れられずに捨てられていた。Tさんの仕業であった。彼女は投棄する瞬間を目撃して、ちょっと様子がおかしいと感じていたらしい。僕の体調の変化には疎いのに、隣人のゴミ捨ての様子から変調を察知するのだから人間は面白い。住民課へ相談へ行こうと思ったが、Tさんのことをほぼ何も知らないので難しい、そもそも行ったところで速やかな対応がされるか怪しい、という結論になり、マンションを管理している不動産屋へ相談することにした。翌朝、不動産屋さんに経緯を話し、連絡を取れる親族がいたらコンタクトしてもらいたい旨を伝える。
それから丸2日。動きなし。日中は仕事をしているので、夜、外側からTさんの部屋の様子を確認。カーテンから漏れてくる光もなし。物音もしない。奥様からは「何かあったらキミの責任ですよ」「地上3階なら屋上からロープでつたって中の様子を見てきて」と詰められる。僕はインポであってミッション・インポッシブルではない。いよいよヤバい。不動産屋へ行ってから3日目(土曜)。不動産屋め、名前の通り動かなかったのか。クソ。と諦めていたら、動きが。他県ナンバーの車があらわれて数名の人がTさんの家を訪ねてきたのだ。ああ、良かった。これでどうにかなるね。と胸をなでおろす。彼らはそれから何日かかけて部屋を片付けていた。たまたま駐車場にでていたとき、「すみませんでした」とTさんから声をかけられた。Tさん元気になったの?と思ったらご兄弟であった。彼は、Tさんはもうダメで、地元(東北だった)へ帰ることになった、家族で面倒をみれないので施設に入ることになるだろう、Tさんに会ったのは久しぶりだったのに残念だ…と言った。
Tさんの無事を知って安心したけれども、はたしてこれで良かったのか、僕にはよくわからなかった。何か事情があって、ひとりで生きてきた人を強制的に元の場所へ追いやってしまった気がしたのだ。もし僕が将来独り身になり、今住んでいる場所を離れ、Tさんと同じような事態になったら、戻りたいとは考えない。「もしかしたら、あのまま一人で亡くなることがTさんの望みだったのかもしれないよ」と僕が言うと、ウチの奥様は、Tさんは自分でもワケがわからなくなりながら生きようとしていた、ゴミを出そうとしていたし、自分の家に帰ろうとしていた、あれは死のうとしている人じゃなくて、生きようとしていた人だよ、と僕の意見を否定した。彼女は僕の意見を片っ端から否定するが、この否定は僕の心を落ち着かせた。Tさんは故郷から出て一人で生きてきた。今住んでいる街でも特定のコミュニティに所属せず、誰とも接触しないようにしていた(ように見えた)。
Tさんみたいな高齢者はたくさんいる。Tさんはラッキーだった。たまたま親族と連絡がついただけだ。いくら技術を活用した高齢者見守りサービスがあっても、それを利用する人がいればこそ。Tさんを見守っている人は誰もいなかった。結局のところ、技術で生活がどれだけ便利になろうとも、人とのつながりが切れてしまえば、救えないのだ。自ら世間との関わりを断ってしまった(ように見える)人たちをどうやって救えばいいのか。真夏のTさんの出来事は僕にそんな課題を投げかけていった気がしてならない。(所要時間29分)