Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ちょっくら東大を受けてくるってよ。

高校3年生の甥っ子1号が東大を受けるらしい。模試の成績どおりに行けば問題なく現役合格する見通しなので、滑り止めの受験は考えていないそうだ。「まあ、甥の受験なんか、僕には関係ないわー」とスルーを決め込んでいたら、入学祝いを求める話が甥っ子サイドから出てきたので他人事ではなくなってしまう。祝っていない。むしろ、呪っているくらいだ。クリスマスや正月が近づくタイミングで、「おじさんはイケメン」「おじさんは尊敬に値するレインメイカー」「おじさんの加齢臭はそれほど気にならない」などと、あからさまに僕をリスペクトするような言動を繰り出してくる甥たちを、どう愛すればいいのか。まだ僕にはわからないというのに。そもそも、僕の理解によれば、祝い金というのは祝う気持ちから贈る金銭ということになっているが、現実はそんな綺麗なものではないので、実際的には、受け取る側との親密度等の諸事情を鑑みて、こちらから「いくら出そうか?」と発信するものである。つまり、あくまで祝い金の主体は贈る側であり、受け取る側から「これだけ欲しい」と金額指定をしてくるというのは僕の理解をこえているのだ。さらに驚いてしまったのは、万が一、甥1号が、受験に失敗したときも、予備校への入学呪い金をいただきたいとのこと。人間とはどこまで厚かましくなれるのだろうか。親の顔が見てみたいものである。そういう事情があるので、アホ面の甥1号には絶対に一発で受かってもらわねばならない。金のことはあまり言いたくはないが、僕は、予備校への呪い金をアドオンで支払いたくないからだ。そういう汚いマネーの話はさておき、あの小さかった甥が大学受験をするというのは少し感無量である。甥が小学生の頃は、夏休みに一週間ほど泊まりに来て、海や山や映画館へ行ったり、一緒に遊んだりして、可愛がったものだ。僕に子供がいたらこんな感じなのだろうな、という貴重な疑似父親体験もさせてもらった。秋葉原へ行ったり、ガンプラをつくったりもした。子供ということにして僕のミニ四駆のコースデビューに付き合ってもらったりもした。あの、甥っ子が東大受験とは…時の流れの速さを思い知らされる。もっとも、秋葉原と、ガンプラと、ミニ四駆コースデビューについては、ついこのあいだの今年の夏の出来事である。そんなボンクラな高校最後の夏を送っていたアホ面の甥が東大とは…にわかには信じがたく、僕は今、親族一同による僕を標的にした金銭詐欺を疑いはじめている。(所要時間13分)

就業規則変更で社員の秘められていた能力が見つかった。

就業規則の変更が通達された(労基届出済み)。内容は、会社や取引先の車両や機器を破壊殲滅したら、その回復にかかった分を負担させることもあるよー、情状の余地はあるけどねー、というもの。これまでは営業車でチキンレースをして大破させるような、マッドで悪質な行為の結果でないかぎり、無条件で会社が全額負担していた。前に勤めていた会社では、無条件で事故を起こしたら社員全額負担の無慈悲なフリーザ様対応だった。同じ世界とは思えない。その「悪気があって壊す人はいない…」という性善説に拠る無条件を今回、改めたのである。

きっかけは僕が任されている営業開発部在籍の、僕の入社前から事故を起こしまくっているベテラン社員である。優秀なスタッフの中で、「温厚な性格」と「平均的な仕事ぶり」という得やすい資質を併せ持つ彼は、今年になってから、コンクリ壁、電柱、金網を相手に自爆事故を3回起こしており、先日もまたコンクリ自爆。その彼が事故報告書の原因と思われるものに「生活苦」と記してきたのを受け、部長会議に出ている幹部一同、「さすがにこれは…」と反省の無さぶりに「ぐむむ…」と唸ったのである。

部下が事故を起こしました。 - Everything you've ever Dreamed

部長会議で、僕は、彼に対して特に思い入れはないが、他の部下たちから冷酷な上司と誤解されたくないので、彼を弁護した。「彼は左足ブレーキ右足アクセルという特殊な運転技法を用いている。全部それを教えた教習所のせい」「毎日車で外回りをしていれば事故を起こす可能性はゼロではない。職種が悪い」「暑すぎた夏の疲れが出たのかも。異常気象が悪い」と。いいかげんな弁護に聞こえたらしく、「フザけているのか」「ちゃんと指導しろ」「屁理屈はやめろ」部長連中の非難は熾烈を極めた。おかしい。僕が入社する以前から彼は事故を起こしていたのに、なぜ、今。きっつー。おそらくこの抵抗は、外様で新参者の僕に対するもの。負けられない。部下を守ること、それは己を守ること。つまりこれは僕の戦い。そんな強い気持ちはあったが、気持ちだけではどうにもならないのが僕たちが生きるこの世界のリアル。決壊する堤防から溢れ出る激流を、紙コップで汲んでは戻すような、僕のささやかな抵抗は、大勢を覆すに至らず、就業規則の変更へと繋がった次第である。

部長会議のあと、「安全運転をお願いしますよ」「事故が続くと、自己負担にされてしまいますよ」と彼に注意をした。弁護はいいかげんだったが、これは心から彼を思ってのホンモノの注意であった。これ以上、彼に事故を起こされたら、僕の管理監督責任が問われる、それは絶対に嫌だからだ。僕は彼の度重なる事故に、ひとつの共通点を見つけていた。それはバック走行中。彼にその点を指摘すると彼は、「首を後ろに向けてバック走行させると右が左になって左が右になりますよね?」と同意を求めてきた。言わんとすることは、わからないでもないが、もしかしておバカさんなのかな。僕が「なりません。たとえそうであっても対応すればいいでしょう」と言い、彼が「すごいですね…」と応じて会話は終わった。

それが2ヵ月ほど前。そして今朝、就業規則の変更が正式に通達された。「ちょっといいですか」彼に呼ばれて話を聞き、僕はそれこそポコチンが抜け落ちるくらいに驚いてしまった。彼は「部長たちが騒ぐから、こんな決まりが出来ちゃったじゃないですか。今度、事故を起こして負担することになったら、どうしてくれるのですか!」と言いのけたのである。こいつ…後ろを見ると左右がわからなくなる己のアホさを棚に上げて…僕が自己保身のためとはいえ部長会議で矢面に立ったのを知らずに…。腸が煮え返るのを抑えて「まあ、ルールだから。事故さえ起こさなければいいんですよ」と僕は言った。「そんな机上の空論は現場では通用しませんよ」とカッコよすぎる捨て台詞を残して彼は外回りに出て行った。

そしてその数時間後。またバック走行中に車をこすったという報告。またコンクリ。メリクリの季節にコンクリ。擦ったのは左後方タイヤの前。どうやればここだけをピンポイントで擦ることが出来るのか…。

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(車体が歪んでドアの隙間が広がってしまっとるがな…)

こんなときどうすればいいのか。左右がわからなくなるのを理由に解雇できるような就業規則の整備に動けばいいのだろうか。ホワイトな会社に移ってもこんな状態で、今、僕は、自分が変人ホイホイなのではないか、僕自身に決定的な要因があるのではないか、己を責めているところである。きっつー。(所要時間ん23分)

「来年からあなたの仕事をRPA化します」と事務スタッフに告げたら猛反発された。

会社全体の業務改革の一環で、僕が預かる営業部でも、営業事務の一部をロボット(RPA)へ代行することが決まった。ボスからは早い段階での移行を命じられている。僕は営業部長だが、なるべく会社の方針をオープンにしたいと考えている。このロボット化についても、そのままストレートにスタッフたちに伝えた。「キミたちの仕事をロボットに任せることにした!」「早くて来年からかな!」

それが間違いだった。営業事務スタッフから「我々は切られるのですか!」「仕事を奪わないで!」などと猛反発を喰らったのである。これがリストラや組織改編ではないこと。雇用と賃金と地位は守ること。それらを伝えても僕に対する反発は収まらなかった。僕はロボット化を仕事を楽にすることだと考えていたのだが、彼らの立場からのロボット化は、仕事を奪われることになってしまうらしい。仕事が今よりもきっつーになると言ってキレるのは然るべきで納得できるのだが、仕事を楽にして差し上げるといって半ギレするのだから理解に苦しむ。

ロボに代行させる営業事務の仕事は、各入力作業、発注業務、顧客管理業務、書類作成業務といったルーティーンな業務である。ひとことでいってしまうと、迅速さとミスをしない正確さだけが評価につながる仕事である。それらは「当たり前を守ることが仕事」なのでプラス評価をしにくい。逆にミスをしたときは思い切り叩かれてマイナスになってしまう。営業事務スタッフからは「我々の仕事に大きなミスや遅延がありましたか。ないですよね」と言われた。当たり前のことが仕事になっている。ミスがないことは、それはそれで結構なことだけれども、まあ、機械的でもあるよね。僕に言わせれば、それはもう人間の仕事ではない。ロボに任せて楽になろうというのが今回の話の本意なのだ。つまり、そういった機械的な仕事をロボに任せて、そこに割いてきた労力と時間を(今は)人間にしか出来ない仕事に向けてもらいたいのだ。たとえば企画書の作成などは、ウチのようにコンサル的な仕事もやっていると、顧客ごとにまったく内容も違うものになる。だが、現実はどうだろう。使い回しやコピペがまだまだ見られる。もっと顧客に寄り添った、オンリーワンの企画書の作成に、労力と時間を割いてもらいたいのだ。

営業の仕事についても、一部、代行を採り入れている。当初は営業スタッフから同じような反発を少なからず受けたけれども、アポ取りと見込み客発掘を代行業者に任せて創出した時間で、顧客に対する提案やヒアリングの質は向上し、成約率はアップしているのだ。何がいいたいかというと、仕事をロボットに任せることではなく、本来の仕事に時間と労力を全振りすることが、大切だということ。その手段が営業事務の仕事についてはロボット(RPA)であるにすぎないのだ。

ロボットは仕事を覚えて、その事業に最適化されていく。これからの仕事は、事業に最適化されたロボットをどれだけ保有しているかが勝敗につながるのではないだろうか。食品業界の片隅にいるウチの会社が、大手の食品会社と渡り合っていくためには、現場や顧客の要望を企画商品化するまでのスピードが鍵になる。大手の開発力とパワーに対抗するためには大手には出来ない小回りの効く商品開発と提案が必須で、そのスピードを実現するためには、事務作業をロボットに任せて、人的パワーを集中投下するしかないのだ。つまり、営業事務のロボット化は、リストラではなく、ウチの会社が生き残っていくためには必要なことなのだよ…ということを淡々とロボットのような口調で説明したら営業事務スタッフは納得してくれたみたいで良かった。みんなをロボットに置き換えてしまえば、機嫌や気分を気にすることなく仕事が出来るのに…という本音を吐露すると新たな爆弾になってしまいそうなのでヤメた。

「仕事が楽になる」とは方便で言ったが、実際は違う。これからは当たり前ではない、他の誰かが考えないようなことを考えていくのがメインの仕事になるのだから、楽になるどころか、キツくなるのだ。仕事がキツくなるというと反発されるので、あえて言わなかったのだ。だが、残念だけれども、機械的ではない人間の仕事とはキツいものなのだ。仕事は機械にとって代わられて、任される仕事はキツくなる…人間て哀しいなあ…と時の涙を見ている僕に、誰かが「営業部長がロボットだったら完全に間違えない判断を下せますね」と嫌味を言うのが聞こえた。そのとき「近い将来、部下を全員ロボットに置き換えてしまえばいい!ハハハハハハ!」と僕の中の悪魔が囁いた。管理職きっつー。(所要時間22分)

社長と対立しました。

査定の件で、ボスと対立してしまった。これまで問題にならなかったボスとの意見の相違が明らかになったので、この対立をポジティブにとらえたい。営業部を任されている僕が査定する対象は、一部の事務スタッフを除けば営業スタッフとなる。会社の業績がいいので、基本的には全員プラス査定がボスの考え方で、その点について異存はない。だが、基本プラスであれ、営業スタッフ(営業職)として会社の業績にどれだけ貢献したのか、査定しなければならないと僕は考える。ウチの営業部は案件ごとにメンバーの組み合わせとリーダーを変える変動チーム制を採っている。だから部署全体でうまくいっているときは、ほとんどの営業スタッフが数値を達成できる。だが、中にはリーダーを任されて負け案件が続いてしまう者もいる。不運なのか、実力不足なのか、わからない。だがそれは事実でありその者の結果だ。僕は、冬季賞与に当たって、そういう者を低く評価した。いくら会社が好調であっても、数字をあげられない営業マンは評価すべきでないと考えたからだ。

僕の評価を、ボスは「厳しすぎる。会社が絶好調なのは全スタッフの貢献があったから」という観点から、差し戻したのだ。ボスは僕に「もし、会社全体の調子が最悪のときに一人だけ営業成績が抜群の者がいたらどう評価する?」訊いた。「最高の評価をします」「好業績のときと同じレベルで?」「ハイ。会社の業績を蔑ろにするわけではありませんが営業マンの評価とはそういうものですから」僕の答えにボスはあまり満足していなさそうだった。営業職以外の仕事を僕はやったことがないので他の職種の評価がどうなされているのか僕は詳しく知らない。だが、営業職は良くも悪くも数字で結果が出る仕事だ。だから僕は営業の仕事については、シンプルに、出た数字だけを評価したいと考えている(勤務態度とかは別ね)。

ボスは、はっきりと言わなかったが、結果が出ていない営業スタッフの「頑張り」「努力」といったものを評価して差し上げろと仰っている。笑止千万。僕に言わせれば、まともな頑張りや努力は数字にあらわれる。数字にならない頑張りや努力は、何らかの間違いがあるから、反省して次に活かせばいいだけのことだ。ボスのように、それらを評価したら、反省や活用はなくなってしまうというのが僕の考えだ。もちろん、そういう数字にならない頑張りや努力を評価することで、気持ちを折らずに次に繋げられる者もいるのは分かっているので、ボスの考え方を否定出来ないのだが。


前に勤めている会社のことを思い出す。営業職の評価に数字以外の要素を多く取り入れていた。上司の前で頑張っている姿。会社内で努力している姿。社長のマラソンを応援したかどうか。社員旅行の参加不参加。上に好かれた者が評価され、嫌われた者はコースアウト。数字を出さない謎上司が飲み会と社内営業で重用された。失敗したときは吊るし上げられ、成功はスルー。上司の見えないところで努力して数字を出しても評価に繋がるとは限らなかった。酷いときは何かインチキをしていると疑われた。きっつー。

結果として何が起きたか。失敗をおそれて何もしない、消極的な営業マンたちの爆誕である。「この案件は厳しそうなのでヤメときます」「競合他社がちょっと多いので戦略的撤退を提案します」「どうせ契約を勝ち取ってもまともに評価されないんでしょ」こんな声を何度聞いたことか。そういう環境にいたからこそ、営業職の評価は余計な要素を出来るだけ排除して、シンプルに数字だけにしたいのだ。数字にあらわれない努力頑張りは評価しないけど、逆にいえば、数字にあらわれる結果さえ出してくれれば、確実に評価に繋げるのだけど。間違っているかな…。

まあ、会社の業績は好調で冬季賞与も平均2.5ヶ月支給された。もっとも評価された者でも2.55ヶ月程度なので僕とボスの対立は0.05月という小さな戦場で行われたともいえる。でも、僕は危惧するのだ。会社が好調な今はいい。会社の業績が悪くなったときも、ボスが仰るように、数字にあらわれない努力や頑張りを評価対象に出来るのかと。評価の対象を変えずにいられるのかと。まあいい。僕はもう会社や仕事に過度の期待をしていない。僕の仕事は会社を良くすることではなく、営業部門の責任者として会社の好調継続に貢献することだ。僕に出来ることは、評価に対するボスの考えがどうあれ、意味不明な努力や頑張りといった曖昧なものに左右されない営業部門の責任者としての実績を積み上げていくこと、それだけしかない。(所要時間22分)

ディアトロフ峠事件の真相に迫る『死に山』は、失われた冒険心に火をつけてくれる魂の一冊だからみんな読んで。

「死に山」は、僕が今年読んだ本のなかで最高に面白い一冊のひとつである。だから多くの人に読んでもらいたいと思っている。一方で、最初にいってしまうと、ノンフィクションとしては不出来な面もある。なぜならこの本で明かされる真相について、客観的な検証がなされていないからだ(あるいは足りない)。それを踏まえ、この本の面白さを、ひとことで語ろうとすると「川口浩探検隊」となる。つまり、オチなんてどうでもよくなる、冒険心に火がつくような体験と途中経過の面白さである。

「死に山」は、約60年前に旧ソ連で起きた怪事件「ディアトロフ峠事件」の真相に迫るアメリカ人ジャーナリスト、ドニー・アイカー渾身のノンフィクション本だ。大学生を中心とした登山グループが真冬のウラル山脈の一角で、9人全員が謎の死を遂げた事件である。旧ソ連、上からの圧力による捜査打ち切り、捜査当局の出した結論「抗いがたい自然の力」、目撃された謎の発光体、内側から切られたテント、靴をはかず薄着の遺体、舌の喪失、遺体から検出された放射能。それらの謎が謎をよび、陰謀説やUFO説などあらゆる説が唱えられた未解決事件である。ディアトロフ峠事件 - Wikipedia

帯カバーにあるような「世界的未解決遭難怪死事件」かどうかは知らないが、僕は、小学生の頃からこの事件の概要は知っていた。UFO関係の話で取り上げられていたような、かすかな記憶はあるが、遭難事件というよりはオカルト事件のひとつとして取り上げられていたのは間違いない。「死に山」において著者が辿り着いたディアトロフ事件の真相が明らかにされていはいるが、それが真相かどうかはわからない。きっと永遠に解明されないだろう。ただ、ひとついえることは、この「死に山」が辿り着いた真相が、オチとしては地味ではあるもののの、「もっともらしい」のは間違いない。そのあたりは川口浩探検隊が「ホニャララは実在した!!」とタイトルばかりは勢いがあるけれども、最終的には地味なもやもやで終わってしまったのと少し似ている。

 「死に山」で描かれている冒険は3つある。ひとつめとふたつめは1950年代。ディアトロフ峠事件に巻き込まれてしまった登山グループの冒険と彼らを捜索するグループの冒険。そしてもうひとつは2010年代。事件を追う1人のジャーナリストの冒険である。1950年代のふたつの冒険のパートは、遭難する登山グループがごくごく普通の大学生のグループであったことを示す数々の写真とまるで冒険小説のように活き活きとした描写でぐいぐい読ませるが、それよりも僕が魅かれたのは事件の真相へ迫ろうとする2010年代の冒険である。

アメリカ人の著者は極寒の事件現場へ赴いていく。冬山装備を揃え、同じように事件を追い事件を風化させまいと活動している奇特なロシア人の家に泊まり、準備を整えていく。僕が好きなエピソードは、登山グループの生き残りとの邂逅だ。生き残りの老人は、事件を旧ソ連の陰謀として当時の体制に対して批判的でありながらも、一方で、旧ソビエトの体制と当時の生活へ愛着を見せる。一個人の中でロシアと旧ソビエトへの愛憎がごちゃごちゃになっているのだ。そして脇にいる通訳が旧ソビエト時代の話に露骨に嫌な顔を見せる、大きな変化のあった国に生きる複雑な人間の心を垣間見るようなエピソードだ。

アメリカに住むジャーナリストが60年近く前のソビエトの事件に興味を持ち、貯金とクレジットを使い果たしてまでのめり込むのか。なぜ、彼が妊娠中の恋人や生まれたばかりの子供を家に置いてまでして、ディアトロフ峠へ向かわなければならなかったのか。その、クエスチョンに本書(著者)は明確な答えを用意していない。我々読者たちも同じだ。おそらく読者は60年前のミステリアスな事件にドラマチックな解決があるとは思ってはいない。なぜなら、もし、このような世界的な事件に、明快な解決があるならば、すでに情報として流れているからだ。それなのになぜ、この事件に係る本書を読むのか。この冒険に引き込まれてしまうのか。ロマンなどもうこの時代には残されていないのに!

そのクエスチョンに対する答えは、誰もがそれぞれのディアトロフ峠事件を持っているからだと思う。ある人にとっては子供の頃に見たはずのUFOかもしれない。突然切れだす人や煽り運転をするバカの内心、また別のある人にとっては、日常生活における些細な引っ掛かりかもしれない。僕らは忙しい毎日の中でそれを見て見ぬふりをして流しがちだ。そういう生活の上で解明する必要のないミステリー、つまりディアトロフ峠事件に突き進んでいく著者に僕らはどこかで憧れを抱き、自分自身を重ねてしまうのではないか。少なくとも僕はそうだった。

僕は冒頭で「死に山」が辿り着いた真相を、オチとしては地味、と述べた。確かにその真相を単体で見てしまうとそう見えるだろう。だが、事件から60年後の現代から事件をアプローチして、現場に赴き、客観的に陰謀説等々の無理矢理さを排除していくくだりは派手ではないが知的でスリリングだ。そのオチを見たまま地味ととらえるか、研ぎ澄まされたソリッドな真実ととらえるかは、読む人に委ねられているのだ。本当に面白いから読んだ方がいい。おすすめ(所要時間27分) 

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相