Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ささやかな誇り

45才。気付けば父の年齢に並んでいた。父は20数年前の初夏の日に、突然、死んだ。自死だ。理由はわからない。永遠にわからないだろう。10代の終わりだった僕は、一時期、父の死の突然さとその理由がわからないことに責任を覚えて、父がなぜ死んだのか、死ななければならなかったのか、そのことばかり、考えていた。結果的にわからなくて良かったと今では思っている。理由を知ってしまったら、僕ら家族は、もしかしたら今でも縛られていたかもしれないからだ。だから、何も残さなかったのは、父の最後の優しさだったと解釈している。その優しさに報いるわけじゃないけれど、僕は、父よりも絶対に長生きをすることを、人生の絶対目標のひとつにした。こんな目標に意味はない。父と僕は違う人間なのだから。だが、意味がないことに意味を持たせなければやっていられなかったのだ。今は、こうして穏やかに話せるようになったけれども、怒りや悲しみや後悔が色濃く混じりあったものが、濾過されて透明になるまでは、それなりに時間が必要だった。実際、生活は大変だった。お金がなかったので、大学の近くに下宿することができず、片道1時間半の通学とアルバイトとで一日が終わってしまった。サークルにも入ったけれどもすぐに顔を出せなくなった。いつも同じパーカーとジーンズを着ていたし、仲のいい友達との欧州への卒業旅行も断るしかなかった。就職しても親族から借りたお金を返す日々。休みの日は中古ショップでまとめ買いした本やCDやゲームとともに過ごした。毎日飲む缶ビールと年に数回のスノボーが唯一の贅沢。父が遺したアベニールは12年間乗り続けて廃車にした。20代の終わりまでは、とにかく忙しく余裕がなかった。だが、大変な苦労をしたとは思っていない。せいぜい「苦労した?」と人から訊かれたら、「少々」とカッコつけて答えるくらいだろう。間違っているかもしれないけれど、僕にとっては、忙しさが生きていることの実感になっていたからだと思う。そして、忙しい時間がフィルターとなって、僕のいろいろな感情を濾過し、薄くしてくれた。その時間は、その時間にいるときこそ苦しくてつらいものだったけれど、僕にとっては、父と過ごした時間と同じように大事な時間になっている。先月、僕は45才になった。父より長生きをするという、絶対に達成しなければならない目標を僕はすっかり忘れていた。僕の誕生日すら忘れていた母から「父の年齢に並んだんじゃない?」と言われて気が付いたくらいなのだ。正直な気持ちをいえば、父の年齢に並んだところで何も変わらなった。父の人生、僕の人生、そこに付いてくる価値や意味は何も。ようやく辿り着いたという感慨もない。僕の胸にあるのは呆気なさと、小さく、静かな、誇りだ。「俺はやったぞーー!」とガッツポーズを炸裂させるようなものではなく、「やった…」と小さく呟き、確認するようにうなずくだけ。そういう、ささやかな誇り。誰のためでもない、自分のためだけの、『ささやかな誇り』をどれだけ得ることが出来るのか。人生に意味があるとしたら、きっと、そういうものなんじゃないか。そんなふうに、今、僕は考えている。(所要時間17分)

バイトテロはワンオペで解決できる。

食品業界の片隅にいる僕が「飲食店アルバイト不適切動画」問題について全部話す。 - Everything you've ever Dreamed
飲食店バイトの不適切動画問題(通称/バイトテロ)について、先日こんな文章を書いて、その原因を、「手待ち時間や閑散時間帯が暇すぎるから」として「暇な時間に何か別の仕事を与えることが解決のヒントになるのではないか」と結論づけた。これは、アホはアホなことをするという性悪説に立っている。

もちろん、性善説から、スタッフ教育で「あれはダメ、これもダメ」と教えるのも効果はあるだろうが、不適切動画を撮ってネットにアップするようなアホに教育の効果など疑わしいと僕は考えている。あったとしても時間が経ったら忘れてしまうだろう。そんなふうに考えているときに、大戸屋を運営するチェーンが全店舗を一斉休業してスタッフ教育をやるというニュースを聞いた。僕は、効果は一時的だろう、とみているけれど、そんな悲観を裏切って、効果が出ればいい。
そもそも、なぜ飲食店バイトはアホなことして、それを動画に撮るのだろうか。ひとつめの原因は、先ほど述べたとおり、アホなことをする余裕があること。それから教育や仲間意識にも原因があるのではないか。不適切動画問題を起こすバイトは、ニュースをみるかぎり、10代から30代の若者に集中している。中高年で不適切行為をしている人もそれなりにいるだろうが、動画をネットにアップする技術や知識がないためなのか、マスコミの「最近の若者は…」という流れに持っていくための情報操作なのか、知らないが、少なくとも騒ぎにはなっていない。僕も中高年なので良くわかるのだが、不適切動画を撮る体力・気力はもう残っていない。体力の限界!というやつだ。

若者の問題とするなら、彼らが受けてきた教育に何らかの問題があったのではないか。僕よりも下の年代はとにかく己の個性を大事にするよう周りの大人から扱われてきたようにみえる。キミの欠点は欠点じゃないそれはキミの個性なんだよー、キミは世界にひとつだけの花だよー、キミは最高だよー、と。失敗や欠点は個性ともてはやされ、傍目にはどうみてもバカな乱痴気騒ぎですら個性!オリジナル!才能!と褒められた。そうやって育てられてきた若者たちのうち、特別アホーな人が、暇を持てあまして開放的な気分になれば、個性を発揮しようとするのはむしろ自然の流れなのではないだろうか。だって俺個性サイコーと育てられてきたのだから。三つ子の魂百までというが、そうやって個性大事と教えられた人たちが、一日スタッフ教育を受けただけで是正されるだろうか。
もうひとつの要因は仲間意識だ。不適切動画を見ればわかるけれども、あれは店で暇をもてあました何人かの悪ふざけである。仲間大事。仲間最高。仲間といれば何でもできる。SNSでときどき見られる薄気味悪い仲間意識の発露である。いってみれば不適切な行為をして動画にアップすることは、#この仲間たちとずっと一緒にいたい #永遠に友達 といった薄っぺらいハッシュタグで画像をアップするのと同じ感覚なのだろう。その証拠に監督・脚本・主演すべてをひとりでやったバイト不適切動画があるだろうか。あったとしても少数派ではないか。結局のところソロでは何もできないアホの悪戯なのである。仲間と切り離してひとりにしてしまうことは対策として有効だろう。

むしろ、今は仲間どおしの悪ふざけで、しかも、わざわざ自らネットに投稿してくれているからただの「深刻な問題」で済んでいる、飲食店バイト不適切動画問題だけれども、社会に不満をもったバイト君が深夜の厨房内から、撮影もせずネットにアップもせず、たったひとりで世の中への怒りを爆発させるような行動を起こすような、いわば「ガチのバイトテロ」を起こすほうがずっと恐ろしい。仕込み中のカレーの鍋に夜な夜な脱糞するような。もしかしたら、そういうガチのバイトテロはすでに起きているかもしれない。

僕は飲食食品業界の片隅にいる人間なので、バイトテロ問題はときどき話題になる。今日も部課長ミーティングでその話になった。「ウチや取引先で起きたらどうする?」「未然に防げるか?」といったふうに。だが、残念ながら抜本的な解決策が見つかっていない。「いや、ひとつだけある」誰かが口にした。誰もが気付いていながら、誰も口にしなかった禁断の方法があるにはあるのだ。アルバイトスタッフに個性を発揮させる暇や余裕を与えず、仲間意識を暴発させない方法が、実はひとつだけある。ワンオペ。あの、悪名高きワンオペである。「仲間も余裕も個性も奪われるワンオペなら、不適切行為も、それを動画にアップするような事態も避けられるのではないか」誰かがいった。毒をもって毒を制す。魔王を滅ぼすのに大魔王を召喚すればいいではないか。ワンオペは長時間拘束・過重労働の温床なので、そのまま復活させるのはさすがにない。だが、テクノロジーで負担を軽減したハイブリット版ワンオペなら、バイトテロを解決できる可能性はあるかもしれない。裏を返せば、こんなアホな議論がなされるほど、バイトテロ問題は解決が難しいのである。(所要時間24分)

なぜ仕事を断ることに罪悪感を覚えるのか。

「仕事を断ること」も、営業の仕事である。断る理由はいろいろある。今、僕の勤めている会社では、「商談を進めている相手に、社会的によろしくない団体との付き合いが確認された」とか、「商談相手が倒産寸前の財務状況であった」という論外をのぞけば、「社が望む売上や利益が見込めないから」というものがほとんどである。そのほかにも、事業展開エリア外、とか、理念や方針が合わないから、とか、相手の顔が生理的に無理、という理由があるかもしれない。

断ることは、営業職の仕事の中で、最も難しいもののひとつでもある。なぜ難しいのか。汗水たらして見つけ育ててきた仕事を断るのは、そこまでかけた時間や手間はともかく、築き上げた信頼関係が壊しかねない。裏切った、申し訳ない、スマンと思う。ひとことでいえば、罪悪感を覚えるからだ。

ある案件の話。担当者ともツー・カーの仲になり、商談を進めていくうちに、想定している売上・利益が見込めないことがわかり、断腸の思いで、断りを入れた。ツーでカーな担当者氏から「今までは何だったのか。あんまりじゃないか。こちらは乗り気だったのに」と厳しい言葉を投げつけられた。厳しい言葉だけのほうが良かった。ツーでカーな担当者氏からは続けて「信頼してたのに…。まあ、会社勤めしてたらこういうこともあるわな」と優しい言葉もいただいた。そちらのほうが精神的に、きっつー、だった…。

営業の仕事を20年以上やっていて、こういう経験を何回かしている。営業職だけでなくすべての職種に共通することだけれども、仕事を断ることは、自分の属している組織を守ることだ。任務を忠実に果たしたのだから、胸を張ればいい。僕は、これも仕事と割り切って、サーセンつって、あっさりと断れるようになった。だが、全員が割り切れるわけではない。特に、仕事を真面目にやっている人ほど、断る際に、罪悪感を覚えてしまうだろう。もしそう感じたら、ビジネスライクに仕事が出来ないとネガティブになるのではなく、仕事に真剣に取り組んでいた証拠とポジティブにとらえてもらいたい。一方で、小さい仕事だからと断った案件が、同業他社のもと、大きな仕事になって悔しい思いもしたこともあったが、20年超で数件なので、そちらはレアケースといっていいだろう。

HGUC 1/144 MS-09 ドム 黒い三連星トリプルドムセット (機動戦士ガンダム)

HGUC 1/144 MS-09 ドム 黒い三連星トリプルドムセット (機動戦士ガンダム)

 

断る、といえば、昨年の夏、長年の外回り営業で浅黒く日焼けしているので「黒い三連星」と個人的に僕が呼んでいる、ベテラン営業マン3名が「あなたにはもう付いていけない」と断って、会社を辞めていった。営業部長である僕のやり方や方針が気に入らなかったのだろう。単純に、新参で年下の僕の言うことなんか聞けないという気持ちもあっただろう。日焼けで黒いわりに、心がピュアホワイトで、器が小さい方々なのだ。

実際、そのうちの一人から「正直いって、あなたのことが好きではありません」と言われた。好きではない、といわれても元々そっち方面の趣味は持ち合わせていないので、返す言葉はなかった。「ベテランといわれる年齢になっても、好き嫌いで仕事をやっているのか…」という驚きがあったくらいだ。会社を辞めてから、3人でコンサル業を立ち上げたらしい。ユーチューバーみたいに、好きなことで生きていってもらえれば、僕もうれしい。

昨年末から、営業部全体で、仕事を断る機会が増えている。お断りをするのは、売上や利益が見込めない、いってみればお金にならない小さな仕事案件だ。営業担当が追いかけ積み上げたものが、残念ながらものにならなかったものもあれば、相手サイドから問い合せてきたものもある。いずれにせよ、会社が望む売上・利益が望めない仕事は断るという方針にブレはない。仕事だ。ただ、基本的にマジメな部下の人たちが、業務命令で仕事を断って、罪の意識は持ってもらいたくはないし、相手から恨みを買うなどは持ってのほかだ。

そこで僕は、そういった小さい仕事をただ断るのではなく、例の黒い3連星へ回すように手配した。「ウチとは縁がございませんでしたが、こちらのドムたちならご期待にそえると思います」とか言って。彼らとの付き合いはそれほど長いものではなかったけれども、その仕事ぶりは、間違いなく、できる人のそれである。雑な仕事をして先方に迷惑をかけるようなことはない。残念ながら彼らとは友人になれないし、金をもらっても一緒にお酒を飲みたくはないが、仕事だけは信用できる。いや、むしろ個人的に親しくなかった分、純粋に仕事だけを評価出来たともいえる。仕事が保障できて、小さい仕事を任せられて、こちらを脅かさない存在というのは、実のところかなり貴重なのだ。

現在、いわゆる小さな仕事を断るときは、元同僚の彼らに回す流れが出来ている。ウチにとってはギルトフリーで仕事を断れるし、お客にとっては商談が続けられるし、元同僚にとっては仕事を得られる。三者にメリットしかないので、ウィン・ウィン・ウィンの関係といったところだろうか。三連星からは、仕事を回してくれてありがとうございます、と言われた。好きではない、と言ったり、感謝したり、慌ただしいというか、情緒不安定気味だが、この先、大丈夫なのだろうか。

なにより、喧嘩を売った人間から回された仕事をやるなんて「プライドないの?」と心配になってしまう。僕なら断っている。ふざけるな、と。勝ち残るのは、必ずしも能力の高い人間ではなく、プライドや信念や意地みたいなものが強い人間だと僕は信じているし、実際、サラリーマン生活を通じてそういう人たちを多く見てきた。まあ、黒い三連星の三人には、無謀なジェットストリームアタックを仕掛けてガンダムにやられないよう、うまくやってくれればそれでいい。

何が言いたいかと申し上げると、仕事を断るのは営業の仕事なので、断ることに罪悪感を覚える必要はないということ、もし、あなたが生真面目で罪の意識に苛まれるのなら、ギルトフリーになる方法を見つけて心身に負荷をかけないようにするのが大事であることだ。たかが仕事、されど仕事。ギルトフリーで気楽にマジメにやればいい、それだけである。(所要時間28分)

ルートポート著『会計が動かす世界の歴史 なぜ「文字」より先に「簿記」が生まれたのか』は、先行きの見えない近未来と人間に希望が持てるようになる現代の「プロジェクトX」なのでみんな読んでくれ。

会計が動かす世界の歴史 なぜ「文字」より先に「簿記」が生まれたのか

会計が動かす世界の歴史 なぜ「文字」より先に「簿記」が生まれたのか

 

 会計ブロガー/ルートポートさん (id:Rootport)が執筆した『会計が動かす世界の歴史(以下略)』を読んだ。世界史や会計の知識のない僕が読んでもすごく面白かったので、気になった方は今すぐポチっとして読んでもらいたい。

最初に告白すると、僕は会計や簿記にはまったく興味がない。歴史もそれほど好きではない。ついでにいうなら僕の歴史知識は、KOEIの歴史シミュレーションゲームで身についた武将パラメータと、小学生の学級文庫にあった「まんが日本の歴史」くらいしかない。お金に関する歴史となると、巨大石をコインがわりにしていた「はじめ人間ギャートルズ」程度である。世界史についてはいわずもがな。そんな事情から、本書も、会計をキーワードに世界史を紐解いていくような内容を想像し、「ついていけるだろうか…」と四半世紀前のセンター試験「世界史」で壊滅して進路を変更せざるをえなかった暗い過去がフラッシュバックしてしまったが、全部、杞憂に終わった。本書は、歴史とか会計とかというキーワード以前に、ひとつの読み物として面白かったからだ。

少々乱暴に本書をまとめると、会計や簿記といった道具をつかって人間がどう生きてきたか、という「人と道具の物語」である。著者は、メソポタミア文明の「トークン」やインカ帝国の「キープ」(どちらも僕は知らなかった)を広義の簿記とするなら、13世紀の北イタリアで狭義の簿記「複式簿記」がほぼ現代と同じ姿になっているとしている。現在と同じ道具を使っていると。著者は、スペイン王国の没落、株式会社の登場、バブル、産業革命といった現代にも通じる経済的なトピックを取り上げ、まるで小説のようにドラマティックな歴史を、会計や簿記を武器にどう人類が生き抜いてきたか、会計や簿記がどれだけ社会の発達と共にあったのかを、平易な文章で書いている。まるで懐かしの「プロジェクトX」のようである。

僕は、そこから《人間はメソポタミアの頃からたいして変わっていないんだよ》という著者の人間に対する冷めた視点を読み取ることができた。だが、この僕の分析は大きな間違いであった。「第5章/これからのおカネの話をしよう」で著者が語る、人間と道具の物語は一転して希望に満ちたものになる。本書は道具の物語である。現代は、仮想通貨、AI、といった新たな道具に、人間は仕事を奪われるのではないかという漠然とした不安に僕らは直面している。だが、著者は、自身で「楽観」としながら、「技術革新は、人々が利益を得られる水準でしか進みません」「次の100年で最も経済的に成功できるのは(中略)新しい技術を身につけた人間」(328ページ)と結論づけている。

この楽観的な結論が、説得力を持つのは、「人間が道具をつかっていかに戦い、生きてきたか」という物語を丁寧に語ってきたからだ。そして「知的好奇心を失わないこと」を次の時代を生きる鍵になると述べている。言い換えれば、これまで人間が滅びないでいるのは、知的好奇心を失わなかったからである。そんな当たり前の希望を気付かせてくれる一冊であった。歴史を知らない僕でも楽しく読めた。もしかしたら歴史を知らない人の方が楽しめるかもしれない。おすすめ(所要時間23分)

ワークライフバランス最大の敵は人間のエゴである。

「ワークライフバランス」と「ライフワークバランス」とが僕の頭の中でゴチャゴチャになってしまっている。というのも、毎日のようにボスから、従業員のワークライフバランスへ配慮しろ、ワークライフバランスを配慮しろ、配慮しろ、と毎日言われ続けた結果、それを考えるのがライフワークになっていたからである。裏を返せば、それくらい我が社にとっては火急の課題であるらしい。

ワークライフバランスは簡単にいえば「社員一人一人のプライベートも大事にしよう。それが仕事にも好影響を及ぼすよー」という夢のような考え方である。我が営業部には、そうした会社の取り組みより一歩先に行っている人物がいる。昨年の夏、「自分の生活水準、マイホームや自家用車や学費に対して、今の給与水準は見合わないので、仕事の成果とは別の観点から昇給してほしい」という独自性あふれるワークライフバランス論を展開してきた、年上の部下である。僕は畏敬の念を込めて、彼のことをミスターワークライフバランスと呼んでいる。

ミスタさんは、先日、僕にこんな難題を投げかけてきた。「今春から息子が私立高校のオーケストラの部長になった都合上、両親である私と妻が保護者会の代表となり、場所の確保、連絡会の調整、ポスター印刷、会計処理、会報の印刷、愚痴のヒアリング、妬みの受け皿といった雑用をやることになりました。しばらく生活の比重が大きくなるゆえ、便宜を図ってもらいたい」なるほど、と思ったので素直に「わかりました。私には何も出来ませんが、ビラ印刷、頑張ってください」と答弁したら「それだけですか」と少々イラついたご様子。

ミスタさんのいう融通とは、言葉だけではなく、仕事上での便宜を求めるものであった。現在、我が営業部はチームを固定せず、案件ごとにメンバーを入れ替えて当たるようにしている。おかげさまで成果は出ているのでこのシステムはこのまま続けるつもりでいる。ミスタさんのいう融通とは、長時間拘束されるような案件の担当から外す、早めに出勤するかわりに退勤時間を早める、突然の休み遅刻早退の許可、というものだった。よろしいんじゃないでしょうか、とは思ったけれども、僕一人の問題ではないので、営業部全体の問題としてシェアすることにした。

僕は管理職なので、このミスタさんの仰る融通を、部署全体の取り組みに昇華させたいという思いもあった。ミスタさんがぎっくり腰で不在のときに、緊急ミーティングを開き、ミスタさんのワークライフバランス問題を議題にした。僕が以前勤めていた会社なら、ふざんけんなよ、誰が穴を埋めるんだよ、自分だけという思いが会社を殺す、とかいって紛糾したものだが、今の会社は実に素晴らしくて、「いいじゃないですか」「僕らはチームですよ」「喜んでフォローしますよ」という声があがった。やりましょうで皆の意見は一致していた。特に今年中に育休取得を考えている男性スタッフ2名は己の問題としてとらえていた。「これからはそういう働き方が必要なんです!」とか加熱しており、今からマタニティブルーが心配になってしまう。ミスタさんに我が社のワークライフバランスの先陣を切ってもらいたい!という熱い思いが湿気となって会議室の窓の水滴になった。ひとりはみんなのために。みんなはひとりのワークライフバランスのために。ワークライフバランス整いました!

このナイスな雰囲気に乗じて、僕は、ひとつの案を提案してみた。かねてからボスから「仕事の右腕をつくれ」といわれており、ミスタさんをその右腕的なポジションに置くことを提案してみたのだ。右腕的なポジション、つまり営業部のナンバー2が積極的にワークライフバランスに取り組んでいて部署全体がフォローしている、というのは社内的にアッピールになると思ったのだ。うまくいけば、この流れが、育休や産休を取りやすくなるような変化を会社に与えるのではないか。よりよい職場環境になるのではないか。その結果、僕の評価が一時期のビットコインのように爆上げ…という思惑であった。実際、ミスタさんは営業部内で最年長で、仕事的には極めて平均的だが、人当りも悪くないので適任と考えたのだ。

反応は意外なものだった。「それはちょっと無理ですね」「仕事をまとめるポジションですよね…」「率直にいって、難しいんじゃないでしょうか」ネガティブなものばかりだった。彼らの話を総合すると《チームをまとめる立場にある人は、仕事をすすめていくうえで私生活を多少損なわれる覚悟がなければならない》というものだった。つまり仕事上の便宜を与えられるミスタさんはまとめ役として不適格である、と。なんだそれ。上司は部下のために苦労しても仕方ないとは。なんて前時代的な考えなのだろうか。きっつー。そういう気持ちでキミたちは僕をサバゲーに誘って背後から集中砲火を浴びせたり、ボルダリングで墜落した僕の無様な姿を動画撮影していたのか。いやらしい言い方になるが、自分がその立場になったら楽ができるとプラスに考えられないものなのだろうか。ミスタ氏右腕案はこうして白紙になった。

ミスタさんはミスタさんで、「自分は自分の生活が良ければいいです。チーム全体のワークライフバランスには興味ありません。勝手にやってください。そんなことより昇給を」と従来の主張を繰り返すばかりで、虚しくなった。そんなのみんなに言えるわけないやん。きっつー。ひとりはみんなのためにやらない!みんなはひとりのためにやらない!ワークライフバランス整いませんでした!こうして融通案もいったん白紙となった。このように、人間にエゴがあるかぎり、集団としてワークライフバランスを叶えていくのは難しいのかもしれない。疲れたので、しばらく僕は、ワイフライクバランスだけを考えて生活することにした。(所要時間28分)