Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ありがとう消費増税!

「今日酷い話があったんだよ」夕方の食卓で僕は切り出した。無意識に「仕事の話を家庭に持ち込まない」というルールを破っていた。それほど、腹にしまっておけない、ときめかない話だった。そして誰よりも奥様に聞いてもらいたい話だった。


とある取引先の会社との交渉が難航している。一般にも解放されている社食案件で、来月予定されている消費増税にともなう値上げ交渉だ。「値上げは出来ない」が先方の回答だった。「では現行価格のままなら内容を落として増税分を確保しますね」と提案するとそれも拒否した。ホワイ?福利厚生を落とすことは社員からのクレームにつながるから。社食は全社をあげて推進している健康経営の要だから。そういう理由だった。


「ウチも税金を納めなければならないので困ります」と訴えた。すると担当者は「我々双方とも損をしない秘策があります。御社にはご迷惑をおかけしません」と言って笑った。夕方再放送している時代劇に出てくる悪代官のようなわかりやすい悪の笑顔。イヤな予感しかなかった。率直に言ってこの先を聞きたくなかったが、そんな僕の心の叫びが愚鈍な悪代官へ届くはずもなく「外部利用者の販売価格を上げてそれで全体の増税分をカバーしましょう」と担当者は言った。呆れて何も言えずにいるのをナイスアイデアすぎて声を失っていると勘違いしたのだろうか、彼は自信ありげに「これは私個人ではなく社の方針です」と続けた。


もうアホかと。控えめにいってクソかと。クソ1。値上げをする外部利用者の数を現状より微増を見込んでいること。値上げをすれば利用者は減りますと忠告すると「御社の企業努力でそこは!」などと言う。なぜアンタの消費税を払うのにウチに企業努力が求められなければならんのか。クソすぎる。クソ2はもっと酷い。彼のいう外部利用者は、その大半が一般利用者ではなくその会社で共に働いている派遣スタッフやパートスタッフそれから協力会社の人たち。つまり正社員様が納めるべき消費税をなぜか低賃金で働いている弱い立場の人間が負担するというクソ仕様。さらにクソなのは表向きは彼らのことを「パートナー」と呼んで尊重してる感を醸し出していること、さらに消費増税にともなう二重価格の改訂をバレないよう秘密裏に進めようとしていることだ。きっつー。


「何とかこの方針に沿って改めてうまい方法をご提案いただき」などと勝手なことをぬかしやがるのでいい加減頭にきて「二重価格の一方だけ値上げすれば、どれだけ巧妙にやっても導入初日で絶対にバレます。バレたらパートナーさんたちで騒動になりますよ。そのときウチは方針に従っただけだと説明するだけですが、その責任は取っていただけますよね?」と言い切って、現在、相手の出方待ちになっている。僕は契約解除してもいいと考えているが、大人の事情で無理っぽい。相手が方針撤回するのを祈願するばかりだ。今回の消費増税で「自分さえよければ弱い立場の者を犠牲にしてもいい」と考える人間の醜さを再確認することが出来て良かったと無理矢理前向きにとらえて胸糞悪い話を忘れることにする。


奥様にこの話をしたら「酷すぎ。血も涙もない人間ているのね。許せない」と憤慨していた。「だよね」と僕は相槌を打った。僕に出来ることは「消費増税を理由に来月から僕のこづかいを減らすキミも同類なのだが」と言いたい衝動と苦い失望とを、胃薬と一緒に胃袋の奥底まで流し込むこと。それだけだった。(所要時間25分)

9月27日発売↓

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「自分をサブスクで使えて会社はラッキーですね」と自己評価高いマンは言った。

自己評価高いマンに命を削られている。30代半ば。男性。企画職。彼は仕事がひとつ終わるたびに「自分どうです?」と意見を求めて回っている人物。真顔で「自分どうです?」「今回の仕事の仕上がりには自信があります」「実は…横浜市民です」と突き押し相撲でどどーんとこられたら、あ、まあ、いいんじゃないかな、て誤魔化すしかない。「全然ダメだよ」「きっつー。あれが君の本気なの?」と冗談でも口にしたら、アソコを千切りにされかねない。それくらいの勢いなのだ。彼についたあだ名=自己評価高いマン。彼は「会社からの評価がすべて」と口癖のように言っている。評価がいいものだと思いこんでいるからうらやましい。彼のなかで評価はプラスのみでありマイナス評価は存在しない。かつて賞与の査定の際にマイナスをつけられたときなどは、自分はやめますよ、いいんですか、いいんですか、と騒ぎを起こし、周りの精神的に弱い同僚を巻き込み「こいつと一緒にヤメますよ?」と退職カードをチラつかせてマイナスを回避させた。そういうスタンスが評価をガタ落ちさせていることに気づかないのだから幸せだ。同じ部署でなくて良かった…と安心していたのだが、昨年、僕が営業の部長になった途端、それまで僕を中途採用の陰気なオッサン扱いしていたのが嘘のように、部長~、部長~、と絡んでくるようになった。その厚顔ぶりに思わず睾丸が縮みあがったのをつい昨日の出来事のように覚えている。以来、僕は、自己評価高いマンの「自分どうです?」攻撃にさらされている。「ダメじゃん」とダメ出しをすれば、「その部分は自分も納得いっていない部分なのでそれがわかっている自分の客観性すごくないですか!」、「普通かな」と平均的な評価をしても「普通にいい企画っていうのは一般ウケ最高という意味ですね!」とムテキングな反応しかないので、相手をすればするだけ心身を削られていくばかりのクソゲー仕様なのだ。嫌味のつもりで「自己評価高いね」と言うと「自分で自分を愛せない人間は誰からも愛されませんよ。ご自身を愛せない部長はかわいそうですね」と愛を説かれる始末。評価。評価。評価。最近は「自分をサブスクで一カ月定額で使える会社はそれだけで得をしているんですよ」と言い出したので評価獲得の神に祟られて少しおかしくなっているのかもしれない。そんな自己評価高いマンあらためサブスク君が今月いっぱいで会社を辞める。「お世話になりました」「お疲れ様」型どおりの挨拶をしたあとで妙なことを訊かれた。「周りから私はどう見られていますか?」自己評価から抜け出したらしい。率直に「ヤバい奴」と答えたら「ヤバいってヤバいくらい良いという意味ですね」とワンダー変換されるのを恐れて答えに窮してしまう僕。「何もないですか?」「うーん。別に」「別にとはどういう意味ですか」「辞めていく人間に評価をくだす立場じゃない、というか、フェアじゃないかなって…」「誰からも慰留されませんでした」「辞める人間に対してはそんなもんだよ」「そうですか」「ま、サブスク精神で新しい職場に得したなーと思わせてあげなよ」というペラペラなやりとりと気持ちの入っていない握手をして別れたら、あら不思議、サブスク君が「あの営業部長、私が退職するのに労いの言葉も評価もない冷血人間だ」と社内で言いふらしているので、マジで死んだ。新しい職場でサブスクでボロキレのように使い倒されてほしいものだ。(所要時間19分)

9月27日発売↓

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

20年前の出会いが「仕事を『自分の仕事』にとどめているうちは仕事人として2流」だと今も教えてくれている。

「自分が取ってきた契約や仕事にいつどこまで関わればいいのか」は、営業職の永遠のテーマだ(どこまでが自分の仕事の範疇になるのか問題は、他の職種でも同じだと思う)。20年超の営業ライフで、何人かの先輩が、自身で開発した仕事にいつまでも携わろうとして、上役から注意される姿を見てきた。彼らは「自分の仕事だから」と異口同音に言っていた。それが原因で退職する人もいた。

僕にもまだ、そういう「自分の仕事」という意識はあるけれども、今は仕事を振ってからは結果を報告として受け取るだけで、それが「営業の仕事」だと割り切っている。だから「自分で新規開発し、案件になるまで育てて、成約した仕事の行く末を見るのが悪いことですか?」と部下に言われると返答に窮してしまう。正しいからだ。「営業の仕事は次の新たな仕事を取ってくること。取ってきた仕事にいつまでも関わって新規開発に割く時間と労力が削がれるなら本末転倒だ」と言いながら、なんだか自分自身を裏切っている気分になってしまう。

 

僕も彼と同じように「自分の仕事」という意識はある。ただ、仕事を他の人に任せなければならないことも理解しているだけだ。営業マンにとって新規開発して取ってきた仕事は子供みたいなもの。その子供が外でどのような扱いを受けるのか気になってしまうのは仕方がない。ちゃんとやれているかな、お客さんに説明したように動いているかな、と。仕事を任される側からみれば、子供を連れてくるのはいいが不良は勘弁ということになるのだろう。

 

子供が外の世界でうまくいっているときはいい。だが、うまくいっていないときは放置できない。20代の頃、取ってきた仕事を運営に引き継ぎ、安心しきっていたら、顧客担当者から「あなたから聞いていた話と全然違うんだけど」という連絡を受けることが何度かあった。大半は、請求書が約束の日に届かなくなった、納品の時間が少し遅れガチといった、慣れからくる些細なミスがほとんどだったけれど、いくつかは、僕が説明してきた内容とはほど遠いようなサービスが提供されているような深刻な事態で、最悪、契約解除までいってしまったものもある。

 

若かりし日の僕は、営業本来の仕事が疎かになるのもかまわず、現場に張り付き仕事がどう動いているのか確認した。「自分の仕事」を監視。だが、周りから「それは営業の仕事じゃない」と注意されたり、現場から「俺たちを信用しないのか。お前の仕事は何だよ」と叱られたりして、納得は出来なかったけれど、現場に張り付くのはやめた。そのとき僕が学んだのは、自分の取ってきた仕事を引き継ぐ際には、成約するよりもいっそう注意深く説明する必要がある、ということ。その観点からみれば、最悪の事態は僕の配慮不足が招いていたともいえた。反省。こうした、痛すぎる失敗から、僕は関係各所に仕事を引き継ぐ際に、定められた連絡事項以外に、自分は営業の際にしてきた話を伝えるようにしている。お客へのセールストークを社内での再現。くどいと言われながらも、それは20年近くずっと続けている。さいわい(小さな問題はあるけれども)、僕がメインで携わった仕事では解約のような致命的な失敗は起こっていない。「自分の仕事」を「営業の仕事」に落とし込めたと自負している。

 

当時、仕事でうまくいかないときに僕が頼りにしたのは、通っていたスナックにいた引退間近の保険業界のベテラン営業マンだった。上司や先輩は僕をライバルの一人と見ていたのか、仕事は見て盗めスタンスを崩さないような、クソ心の狭い人間ばかりだった。今のようにネットもなく、ビジネス書籍やセミナーも少なかった。偉人や経営の神様の本を読んで「ああ凄いなあ」と感銘は受けたけれども、自分とは世界が違いすぎる感が強すぎた。頼りになるものが少なかったのだ。僕はスナックでベテラン営業マンの彼から、いろいろなことを学んだ。顧客管理の方法。同業他社のサービスを褒めたうえで売り込むこと。関係部署へのセールストーク再現も彼のアイデアを拝借したものだ。

彼は「取ってきた仕事を全部知ること」の大事さを、「お客から説明を求められたとき、その質問がこちらからはどんな些細でくだらないものであれ、その人にとって一大事だったらどうする?」というクイズを通じて教えてくれた。僕は自分の扱っている商品やサービスを隅々まで知ることの大事さを教えられたと思っていた。それだけではなかった。彼が本当に言いたかったのは、売る側からは些細な問題でも、客からすれば一大事になりうる、ということは営業しかわからないことで、それを関係各所に伝えるのが「営業の仕事」なのだということだった。彼は、営業の本質を教えつつ、こう言っていた。「仕事を『自分の仕事』にしているうちはたいした仕事はできない」

 

前の職場を辞める直前の一年間、リストラ奉行をやらされた。リストラといっても肩たたきよりも適材適所の異動の意味合いが強かった。それでも、人を動かすのだから、せめて現場の仕事を自分の目で確かめて、知ってからやるべきだと思い、出来る限り現場に入るようにした。僕が成約した、とある工場の現場仕事は1~2週間も入れば理解することができた。これなら、人か時間を削減できるという確信が持てた。現場に入りましたというあざといアッピールもあった。

「私は会社のデスクからではなく、実際の現場に入って、仕事を全部知ったうえで、リストラを行います」という宣言は反感を買った。「一週間からそこら仕事をやっただけでわかるのかよ」「今の現場の仕事は現場で時間をかけて作り上げてきたものなんだよ」。確かに、僕が入ったラインは僕のような素人が入っても、仕事が流れるようにシステムが出来上がっていた。確かに、同じ仕事を一週間限定でやるのと10年続けていくのとでは違った。僕は仕事を知りえたけど、まったくわかってはいなかった。「自分の仕事」にすれば多少の荒行は許されると勘違いしていた。営業にとって自分が取ってきた仕事は子供だ。だがこの子供は親の目の届かないところで、成長を遂げている。その成長の仕方や度合を見守る度量が営業には求められているのではないか。

 

そういえばスナックの彼からはこんなふうに言われていた。「自分の仕事と鼻息荒くしても、営業という立場で知りうる仕事とは所詮営業からみた仕事にすぎない」うろ覚えだけれどそんな感じの言葉だった。言われたときは「そらそうだ」と軽く考えていた。僕はリストラ奉行になったときに、現場を知ることが必ずしも分かるということではないと思い知らされた。会社のような組織では、営業の取ってきた仕事がたくさんの人を通じて大きくなっていく。全貌を知ることは出来ても、細かなところまで理解するのはかなり難しい。信用して任せることが必要になる。「自分の仕事」には限界があるからだ。

 

営業職が、携わった仕事の細部まで全部を知ろうとすることは驕りだ。だから後輩から「自分で新規開発し、案件になるまで育てて、成約した仕事の行く末を見るのが悪いことですか?」と言われたとき、まず僕がやるべきことは、型どおりの諌めをするのではなく、彼のそういう仕事に携わりたいという意気を買ってやることだった。それから現場に貼りつくことのメリットとデメリットを自分の経験を踏まえて聞かせることだった。「自分の仕事」という気持ちを忘れることなく、「営業の仕事」へ落とし込むことを伝えることだった。こういうのは小さくて地味だけれども案外仕事を進めていくうえでは大きなことだ。仕事の仕組みを作ったり、職場環境を整えたり、数値目標を達成させることよりも、こういうことを体系化して後進に伝えていくのが営業人生の終わりに差し掛かりつつある(きっつー)僕の仕事のように思える。

20年前、スナックでいろいろ教えてくれた彼のような存在に慣れたらいい。「仕事を『自分の仕事』にしているうちはたいした仕事はできない」「天狗になるなよ」という彼の言葉は、当時の、ちゃんと教えてくれる人がいればやれるとイキがっていた僕ではなく、管理職になった今の僕に、時空を超えて向けられているような気がしてならない。(所要時間39分)

寄稿しました。若者よ。正しく悩んでテキトーに働こう。 – キャリアの海

こういうエッセイが満載です↓ 

 

おもてなしマインドを身につけよう

 ※当エッセイは9月27日発売の書籍「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。」から最終的にカットされたものです。カットの理由は「文字数の都合」。KADOKAWAさんと東京五輪2020の関係上、五輪と滝クリさんに批判的な内容のためカットされたわけでは決してありません…。

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我々一般市民の与り知らぬところで「おもてなし」を売りにコンペで五輪を勝ち取ってこられても迷惑でしかない。大挙押し寄せて来日する外国人の皆様におもてなしをするのはプレゼンをした滝川クリステルさんや招致委員会の皆様ではなく、五輪で得をすることのない我々小市民。老夫婦が営む小料理屋が「コノオミセペイペイデシハライデキナイデスカ!」という容赦のないクレームを浴びて泣く泣くのれんをおろす姿が目に見えるようだ。僕は「おもてなし」の大バーゲンに、ついに日本は売るものが枯渇してしまった……という絶望を覚えた。

 僕が子供の頃から「日本には資源がない」と言われていた。資源がない国、世界第二位の経済大国、バブル最高、技術大国、クールジャパンと変遷を経て、今、日本は観光立国を目指している。古い寺社仏閣。四季に彩られた美しい風景。城があり、フジヤマがある。ニンジャやゲイシャもいる。シャンシャンもまだいる。オリンピックをきっかけに世界中からたくさんの外国人に来てもらって、お金を落としてもらおうというわけである。賽銭箱をドルやマルクで満杯にするぞー!

「金で解決すればいい」と言っていた三代目社長が、まずい経営で会社を潰して没落、先祖代々継承してきた土地と建物を売却して生活保護でカツカツの生活をしているような悲しみを覚えてしまう。現実は厳しい。これからは僕も、悲しみの涙をぬぐって観光立国の一員として生きていかねばならない。表裏のないおもてなしの精神が僕に備わっていることを祈るばかりだ。

 2020年に開催される東京オリンピックが、観光立国としてやっていけるかどうかのターニングポイントであることに異論はない。特に外国人旅行者をもてなしたいという気持ちはないが、食べていくためにはおもてなしをやらなければならない。そもそも「日本にはおもてなしの心がある」と宣伝されているが本当にあるのか疑問だ。

 

「やっちゃえ」と宣伝していた自動車メーカーが本当にやっちゃっていたリアル感がそこにはまったく感じられない。

 

残念ながら僕には、おもてなしの心は備わっていない。無償でもてなせない心の汚い不良品。他の日本人の人々は、どうだろう? 昨今の公衆便所の使い方の汚さを見る限りでは、おもてなしの心がある人はむしろ少数派だと思われる。かつての経済強国、技術大国の遺伝子やプライドが邪魔をして「へっ! おもてなしなんてやってられるかよ」という強気な態度の者もいるのだろう。僕のような中年が「俺たちの若い頃はもっと凄かったぜ」と若者に自慢している姿と似ていてとても醜い。

無償でおもてなしをするマインドがないので「さあ、見せてやるぜ、観光立国国民のおもてなしの心を!」と鼻息を荒くしても、具体的に何をすればいいのかわからないのだ。無償でおもてなしする心は持ち合わせていないが、有償なら毎日やっている。毎日、会社や家庭において、上司や配偶者におもてなしをしているのに、縁もゆかりもない、一円にもならない外国人の方々におもてなしをしろと言うのか。ただでさえ僕のような中年男性は息をするだけで若い女性たちに生ゴミ扱いされている。若い女性たちは「ちょっと……」「マジで、息とか永遠に止めてほしいんだけど〜」とせっせと納税して国を支える僕らをDISる一方で、キャーキャー大騒ぎしてジャスティン・ビーバーや韓流アイドルグループを追いかけまわしている。笑顔で搾取されている。そのような極めて不愉快な現状があるというのに、ジャスティン・ビーバー似の外国人旅行者に、アホみたいな笑顔を浮かべて、「愛無総理~」つって、一銭にもならない、おもてなしができるはずがない。

僕は営業マンだ。おもてなしのプロだ。プロだからこそおもてなしサービスを無償で提供するわけにはいかない。このような話を職場の若手にしたら、「いやいやいや、そういう考えはもう古いっすよ、たくさんの外国人の方々に来ていただいて無償でおもてなしをして気持ちよくお金を落としていただく。つまり無償のおもてなしは将来への投資ですよ」と訂正された。新たなビジネスチャンスらしい。であれば僕はおもてなしのプロである前に、ビジネスのプロである。回収できるのなら、おもてなしをやろう。滝クリになろう。斜めから見られることを意識しよう。

 

このことに気付いたのは、外国人観光客が大勢やってくる東京五輪まで残り1年の時点である。これからおもてなしマインドを身に付けるには日常生活の中で常に意識していくことが求められる。

朝、洗面台の前で仁王立ちして一心不乱に歯を磨いている奥様の後ろに立つ。「いつも文句を言いつつも傍らにいてくれてありがとう」という感謝の気持ちを持ちながら、薄ら笑いをして鏡に映る彼女を見つめる。わざわざ声をかけない。驚かせて、うがいしている水を誤って飲んでしまわぬよう、サイレント薄ら笑い。これが相手ファーストに考える、おもてなしというもの。「不気味な顔して背後に立たないで」と言われても、気にしない。

とある休日の朝、散歩に行ったときのこと。5月の海岸の気持ちよい風を浴びながら歩いていると、20歳前後のアジア系外国人女性3人組に声をかけられた。なぜ、外国人の方々は、日本人よりも露出度の高い衣服をお召しになるのだろう、これが噂の逆ナンパかな、という淡い期待は瞬間的に消失してしまう。「スラムダンク、シッテマスカ?」と彼女たちのひとりが言ってきたからである。世界には、クールジャパンに憧れる外国人が大勢いて、クールジャパンを求めて来日しているという話は聞いていたが、本当に実在するとはね。

「オフコース! 知っていまーす。偶然ですね、私の名前はRUKAWAです」と答えた。おもてなしの心、大爆発。すると彼女たちはバカ受け、腰をおさえて、ヤー!  とかオー! とか声をあげて、お互いに肩を叩き合って息が切れるほどゲラゲラ笑った。それから、「イエーイ! アリガトーゴザイマス!」「イエーイ! サンキュー!」と奇声をあげながら彼女たち一人ひとりにハイタッチをして別れた。こういう、左手はそえるだけのシュートを一本一本決めるような地道なスラムダンクの積み重ねが、僕の中におもてなしマインドを形成していくのだろう。

家に帰って、鏡を見たら疲れ切った中年の男の顔がそこにはあった。おもてなしをするためにテンションを上げることは、思った以上に中年男の心と身体を消耗させるらしい。このままのペースでおもてなしを爆発させていたら、東京五輪2020まで持たない。でも、やるしかない。資源も技術もお金もなくなった僕らには別の道は残されていないのだから。諦めたらそこでゲームセットなんだよ。(所要時間43分)

 

祖母が遺した休眠口座をめぐって親族が醜い争いをしています。

身内の恥を晒すようで恐縮だが、母と伯父と叔母の3兄妹が祖母の遺した金をめぐって血みどろの争いを繰り広げている。たった一つの地球で、たった二つしかない睾丸から生まれた、たった三人だけの兄妹なのに、四の五の言わずに、なぜ、うまくやれないのか。僕には理由がわかっている。それは金がらみだから。お金が人を狂わせる。マネーが人を虎にする。虎同士の話合いは「お前とはもうおしまいだ!」「弁護士を呼ぶわ!」「ああ!もういい!」と決裂、僕が仲介役をすることになった。きっつー。伯父や叔母には父が亡くなったあと色々世話になったので、このような事態になってしまい悲しい。これほど悲しいのは、玉子かけゴハンを食べようとして冷蔵庫にあったラスイチの生卵を落として割ってしまったとき以来。2週間ぶり。

きっかけは30年前に亡くなった祖母の休眠口座。金融機関からの通知。これまでも通知が来ていたと思われるが、「宣伝ハガキやDMは即ゴミ箱行き」という家訓のせいで明るみにならなかったのだ。「長男は俺だ!」「私が臨終に立ち会った」「母さんに一番愛されたのは私よ!」中国地方の大名毛利氏の3本の矢になぞらえて「どんな苦難でも乗り切れる三本の矢」を自称していた兄妹がこうもあっさりポキッと折れるとは、お金はマジでおそろしい。ヒアリングをすると「お金の問題じゃない」「金額が大きいから争っているのではない」「金というか気持ちがね…」と3人が3人ともお金には執着していないと主張するのだが、それぞれに「じゃあ、譲れば?」と提案すると、それは出来ない、プライドがある、負けを認めたくない、といって断じて譲ろうとせず、分割を提案しても「分ける意味がわからない」「分けたら取り分が減るよね。増えるなら応じる」「人の命ってわけられないよね?」と意味不明な理由で拒否するなどして、結果的にお金に執着するのが面倒くさい。雁首そろえて早く鬼籍に入ってくれ、と思うけれども70歳をこえてなお、ガチで喧嘩をするバイタリティがあるので、朝8時から胃痛に苦しみ、夜9時になると目がかすみ、夜11時になると目ヤニで目を開けていられなくなる、僕のほうが彼らより先にストレスで斃れる可能性のほうが高いと思われる。いいやつほど早く死ぬっていうしね。醜い争いを回避するために意識のあるうちに一筆残しておくことをおすすめする。ちなみに僕も奥様から「遺されたものを不幸にしないために」つってエンディングノートを渡されている(まだ書いていない)。お金は譲りたくない。お金の問題で弁護士を呼びたくない。お金を独り占めしたい。祖母の愛を一身で受けたい。毎日サンデー状態の老兄妹たちを狂わせる休眠口座。本当に面倒くさい。まあ、徹底的に納得できるまでやりあえばいいと思うよ。人生はいちどきり。諦めることはないのだ。床に落ちた生卵でもおいしく食べられるのだ。巨額の遺産で争っていただけると僕も仲介役としてもやりがいがあるのだけれど…

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これじゃやりがいもクソもない。(所要時間16分)

9月27日に書籍が出ます。完全書き下ろしです。

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