Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

【告知】「ザ!世界仰天ニュース」に出ます。

突然ですが、あの人気番組「世界仰天ニュース」(ザ!世界仰天ニュース|日本テレビ)に出ます。レギュラー放送ではなく「大人の仰天ニュース」(「ゴールデンでは放送しにくいHな話 幸せになれる・・・ちょっと大人の仰天ニュース」)だけどね。日テレさん、次は「アナザースカイ」でお願いします…。

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 放送は日本テレビ系列で2019年12月27日金曜日深夜24時59分からの生放送レギュラー同様、中居正広さん、笑福亭鶴瓶師匠が出演。同年代のスター中居君にいじってもらえるなんて光栄すぎる…。内容については教えられないので、放送をみてほしい。

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 応募もしていないのに、ネットの片隅に生息する僕をどうやって見つけたのか…。突然、制作サイドから連絡を受けたときはガチで驚いたけれど、ゴールデンではお話できない、ゴールデンボールがらみの、エロく、くだらないことだけを、真剣にお話ししてきた。つか、どれだけ使われるかわからないけれど、身振り手振りを入れて、滅茶苦茶しゃべってきたよ!

生放送なのでどういう扱いになるか予断を許さない状況だが、僕の、湘南のトニー・レオンといわれたルックスと、酒焼けで枯れた肉声を楽しみにしてくれ。年の瀬までエロとシモで申し訳ないが、ここが私のアナザースカイ。

予習も兼ねて、エロとバカに明け暮れた結果、無味無臭のクリスマスを過ごしている僕を慰めるためにも、この本を読んでくれたら嬉しい。では。

ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

何者にもなれない僕らは、どうにもならない現実を笑うしかない。

何者にもなれないであろう僕たちは、どうにもならない現実を笑うしかない。笑っていられるうちは大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら、そう思っている。僕は45才。まだ出来るよ、もっとやれるはず、そんな言葉が慰めになる季節はとっくに終わっている。


飲むたびに「何者にもなれなかった」と人生を振り返る知人がいて、彼とのサシ飲みは十中八九グダグダで終わってしまうけれど、それでも付き合いをやめられないのは、「あいつも頑張っているから俺も頑張る」という前向きな感情からではなく、目クソ鼻クソの似た者どおしが互いに現在地を確認して、後ろ向きに安心できるからだ。彼は50代の男性でバツイチ(失礼ながら結婚していたのを知らなかった)、前の職場に僕が入社したときの直属の先輩であったが、僕が辞めるとき、彼は扱いにくさナンバーワンの部下になっていた。彼から電話があって久しぶりにサシで飲むことになった。最後に飲んだのは春先である。実は8月の誘いは断っていた。オッサン二人の汗ベカベカ加齢臭共演、真夏は厳しい。

週末、駅前のチェーン居酒屋。中ジョッキが届くやいなや、痰の絡んだ声で乾杯を済ませ、うだつのあがらない近況報告を終えると、お互い子供がいないこともあって話題は仕事やこれからの生き方へ。ここまで10分。実につまらない。中ジョッキ追加。僕が「また転職したんですよね。今は何しているのですか?」と質問すると「自由度があがって毎日充実している」「会社というものには嫌気がさしたんだ」「朝の公園でハトを眺めている」と彼は曖昧な回答に終始したので、すべてを察した。武士の情けで問い詰めるのはヤメた。飲み会のあとで切腹されたら後味の悪さで年内いっぱいの酒がまずくなるからだ。

「俺はさ、何者にもなれなかったよ」彼はお決まりの台詞と口にした。「何者にもなれなかった」毎回聞いている言葉。だが、公園でハトを眺めている五十男が口にするそれは、これまでになく重く響いた。公園のハトたちも聞かされているのだろうか。イヤだったら飛んで行けるハトが心の底から羨ましかった。残念ながら僕はハトではなかった。焼き鳥にかじりつく。ははは。笑っていられるうちは大丈夫。中ジョッキ追加。

「何者にもなれなかったのは残念ですね。ところで、今年は何かしたのですか?」僕は訊いた。「いや、特に何かをしたわけじゃないけどさ」彼は言った。「なるほど。実際にアクションへ移すのはなかなか難しいですからね。我々中高年は失うものが多いですから」と僕は言いながら、因果関係、「何もしていない」原因と「何者にもなれなかった」結果が明確で安堵した。全力で何かをしてカタチにならなかった五十男にかける言葉を僕は知らないからだ。笑っていられるうちは大丈夫、大丈夫なんだ。中ジョッキ追加。

「ハトはさ、自由だぜ…公園で首を回しながら歩いているだけでエサがもらえるんだ。それって理想じゃないか」手羽先を高くかかげてそう言っている彼の姿が忘れられない。自己破産や生活保護。ヘビーな話になるのかと構えていたけれども、彼は手羽先をぷるぷる震わせ、ハトの飛翔をあらわすばかりで、何も言わない。うまく笑えているかな。ビールが苦い。

絶望の手羽先を眺めていると、突然、彼が「まだ本気を出しているわけじゃないけど」と言いはじめた。「どういうことです?」とビールをちびちびやりながら訊き返すと「とりあえずユーチューブをはじめた」と彼。良かった。好きなことで生きていてくれて。公園でハト動画を撮っている彼の姿を想像して胸が苦しくなった。きっつ…。中ジョッキ追加。

こういうとき、五十男になんて言葉をかければいいのだろう?「ユーチューブいいじゃないですか」「ユーチューバーきついらしいですよ」「トライに遅いはないですよ」。からかい。嘲り。注意喚起。どの言葉もふさわしくない気がした。逡巡する僕を追い詰めるように「どう思う?」彼が答えを求めてきたので、いいんじゃないですか、と無責任な相槌を打った。「だよなあ、まさか、この年齢になってユーチューブを見るようになるなんてなあ」と彼が自慢するところを、ちょ待てよ、とさえぎる。

「見てるだけですか」「動画撮るとか俺には無理だよ」。良かった。ハト動画を撮っているマンはいなかったんだ、と安心しながらも、ユーチューブを見るだけで挑戦してる中高年感を醸し出そうとしている彼にガッカリした。「ユーチューブはじめました」=「ユーチューブ見てるよ!」日本語は間違ってはいないがこの文脈ではそっちじゃねえだろ。と言いたくなる気持ちをビールで流し込んだ。笑えねえ。中ジョッキ追加。

春先に飲んだときも彼は「何者にもなれなかった」と言っていた。僕は思いだした。あのとき僕は「何者ってなんですか?」について彼に尋ねたけれども彼は「特に何も(決めていない)」と言うばかりで、呆れてしまったのだ。何者を決めていないのに、何もせずに何者になれるわけがないじゃないかと。あれから数か月。漠然としたカタチでもいい。彼が何者を持っていてほしかった。僕は恐る恐る訊いた。「何者になれなかったと仰ってますけれど、先輩にとって何者とは何ですか?」答えはすぐには出てこなかった。

注文を繰り返す店員の声。客の笑い声。ジョッキのぶつかる音。彼の真顔が僕から騒々しい音を遠ざけた。「ここだけの話だけどな。笑うなよ。俺は」彼は喉につかえているものをビールで流し込むと「作家になろうと思う」と言った。自分の人生を投影した物語を流暢な文章で紡いで世に打って出たい。彼は教えてくれた。十数年の付き合いになるが、彼が自分の目標を打ち明けたのははじめてで、それが僕には嬉しかった。彼の門出に祝杯だ。中ジョッキ追加。

「作家ですか。いいじゃないすか。何を書いているのですか?」「何も」「え?」「失敗が許されないからさ、慎重に何を書くのか考えている」「1文字も書いてないんすか」そのとき彼が僕を小馬鹿にするように大げさにため息をついたのを覚えている。彼が「文学で一番大事なことって何だと思う」と言うので「視点ですかね」と答えた。彼は「違うよ」と否定すると「読者を惹きつける冒頭三行が大事なんだ。俺は朝の公園でハトを眺めながらその三行が降りてくるのを待っている」と教えてくれた。彼は1文字も書いていなかった。公園のハトが「ママンが死んだ。」を持ってきてくれたらどれだけ楽だろう。中ジョッキ追加。

「そうだ。今日はちょうどいいものを持ってきました。これ僕の書いた本です」僕はそういってからこの秋に出した自著を渡した。(これ→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。)

「そうなんだ」彼の反応は薄かった。「僕はこの本を、会社で管理職として働きながら、家族サービスをきっちりこなしながら、テレビゲームをやりながら、執筆しました。僕と違って会社も役職も家族もない自由で時間もたっぷりにある先輩も書けますよ」と僕は言った。彼は僕に「お前はいつもそうやって」と不満を漏らした。エールを送っているのに意味がわからない。中ジョッキ追加。

僕らは何者にもなれていない。何者が何なのかわからないまま、ハトを眺めているうちに終わってしまうかもしれない。でも、いいじゃないか。何者になれない人生も、何者かになれた人生も、あるのは違いだけで差ではないことを僕らは知っている。知っているから、真剣になれない。悲しいなあ中高年。

彼が飲み会の終わりに僕に投げかけてきた言葉をこの文章の結びにしたい。「お前、何様なんだよ!畜生!」よかった。何者にはなれなかったけれど、何様には僕はなれているらしい。様なんてつけなくていいのにね。水くさい。(所要時間40分)

中間管理職の悲哀

労働集約型事業からの転換には「どんな犠牲もいとわない」という、トップの強い意志が必要であると、確信させてくれる事件があった。本日はその事件の顛末を発表する。是非とも皆さんの参考にしていただきたい。

弊社(食品系)は労働集約型事業からの転換をはかっているが残念ながら計画どおりに進んでいない。遅れの理由は労働集約型事業にどっぷりはまっている体質が大きな理由である。労働集約型事業が中核事業となっているが、その甘みを忘れられないのだ。だが、生産性の低さ、人材確保の困難、募集費の費用対効果の惨状から、そこからの脱却が待ったなしの懸念事項になっている。

先日の部長会議でもボスから各部長へ「労働集約型事業中心のままでは未来はない」と課題解決への一層の努力が求められた。新規開発を担当している僕には、「キミを招いた理由わかるよね…」と強い圧力がかけられた。それからボスは「言うまでもないが既存の事業も大事にしなければならない」といって「既存の仕組みを守りつつ新しい仕組みを構築するのは、一度ぶっ壊して新しくするより困難な道である。あえて我々は困難な道を歩んで成功しようじゃないか」と付け加えた。周りの部長連中は社長の言葉に表面上感銘を受けたようなポーズを取り、やりましょう!社長!と声をあげていた。僕は、頑張りましょう!と声を出しながら、楽な道を進めばいいのに…と内心では思っておりました。

営業ミーティングで部長会の決定事項を伝達した。「労働集約型事業への転換が急務であり、その役割の大半は我々営業部にかかっている。新規事業開発が最優先。一方、我々が食べていられるのは既存事業のおかげでもある。だから皆が抱えている案件は、それが既存の事業の延長でも、そのまま進めてほしい。以上」まとめるとこんな感じである。

我が営業部では活動報告書は完全に廃止して10~15分の個別ミーティングで案件の進捗を確認している。時間の節約と成約率の向上とうカタチで結果にあらわれている。そのなかでとある案件について部下Aにたずねた。有力な大型案件だが、7月以来、進捗がなかったからだ。報告は驚くべきものであった。「ウチの会社の方針を説明してこちらからお断りを入れました」今、なんと?「労働集約事業からの脱却を図っているから、貴社との商談は進められないと説明しました」「既存の案件はそのまま進めるという方針だったよね」「最優先は労働集約型事業からの脱却と部長は仰りましたよ」

確かに言った。言ったけどさ、既存の顧客をぶった切れとは言っていない。「細かいようだけど脱却じゃなくて転換。ま、それはいいとして、商談はそのまま進めてと言ったよね」「『そのまま』って労働集約事業からの脱却方針に沿って、という意味かと思いました。あの話の流れではそう取られても仕方ありませんよ」注意するつもりが注意されてしまった。たしかに無理に解釈すればそう取れなくもない。きっつー。

速攻でボスに報告をした。なぜ、速攻なのか。大型案件問題であり、この失態が自分のミスではないことを証明するため。我が身かわいさからである。ボスは予想外にも「それは部下じゃなくてキミが悪いよ。守れるような、きちんとした指示をしなきゃ」といったのである。僕の指示はシンプルだったはず。労働集約型事業から転換しよう!でも今のお客さんとの商談は安心して進めてね!間違えようがない。滅茶苦茶な解釈をされただけではないか。わからない。

「私はどうすればよかったのですか?」と僕が訴えると、ボスは、がっかりさせないでくださいよ、と前置きして「進めると指示するときはきちんと指示しないと。最近の若者には通じません。今回の場合はキミは進めてと指示を出したといいましたね」「意味がわからないのですが」「進めて、ではなく、前に進めて、と言わなければダメですよ」「…」「で、最後に念を入れて、指示を守るように指示をする。進める方向を指示しなかったキミのミスだ」「わかりました」と言いながら納得がいかなかった。ボスはそう言わざるをえないと頭では理解していても感情が、進めるのは前に決まってるだろ、ざけんなよ、と叫んでしまっていた。

僕の内心を見透かしていたのだろうか、ボスは最後に「私は会社のあり方を変えるためには、どんな犠牲を払っても仕方ないと思っている。部下A君はプロパーで君は中途入社。厳しいようだが、営業部長のキミを犠牲にすることだっていとわない」と僕に告げた。僕はボスの強く冷たい決意をその言葉のなかに見い出した。このように労働集約型事業からの転換のような、会社のあり方を変革するには、中間管理職(中途採用)の血の犠牲が必要なのだ。僕はいつものように納得できないことを納得しながら進んでいく。後ろに、ではなく、前へ。心を殺して。(所要時間24分)

こういう逆境を乗り越えるための、会社員による会社員のための会社員の生き方本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「相手の心に爪痕を残す話術」を部下に教わった。

長年取引のある顧客から紹介案件の話をいただいた。大変ありがたい。既に構築された顧客の信頼にベースに話を進められるのは大きい。確実に担当者や決定権者に会えるのからだ。一般的な新規開発営業に比べれば難易度はずっと低い。話を持ってきた事業部から引き継ぎ、ルート君にアポを取りを命じた。ルート君は「前職のルート営業経験を活かしたい」という本人の希望で、今月から我が営業に異動してきた若手のホープだ。前の部署での評価は上々で、黒縁眼鏡が真面目そうな印象を与えてはいるが、どういう人物かは詳しく知らない。すでに紹介されている相手にアポを取るだけのイージーな仕事だから来たばかりの彼にちょうどいいだろう。そういう目算。頼んだ日のうちにルート君から「アポが取れました」と報告を受けた。楽勝の仕事であった。

翌日状況一変。紹介してくれた顧客から怒りの電話が入ったのだ。「オタクの営業が妙に馴れ馴れしい態度で電話を入れたらしいじゃないか!」というクレームであった。ボスの耳にも入ってしまう。「電話だけで出入り禁止になるなんて聞いたことないぞ!」御意。僕も聞いたことがございません。ルート君にヒアリング。すると彼は「何もしてません。アポを取っただけです。アポを取るだけでクレームが入りますか?何かの間違いではないですか」と弁解し、「そうだよなー間違いだよなー」と僕も同意。事実、間違いであった。彼に任せたのは完全な間違いであった。なぜ、僕は「彼を育てなければいけませんから」と薄気味悪い上司面をして連れて行ってしまったのだろう?「君ひとりで行け」と言ったボスが結果的には正しかった。

ルート君と紹介された会社を訪れた。「いいか。商談は僕がするから君は相槌を打っていればよろしい」「わかりました」。内線で相手を呼び出す。「お待ちください」の声に「嗚呼、アポ取りは正確だった」と安堵する。談話室で対応してくれたのは取締役であった。若い。30代か。物凄いやり手感。長年の営業経験が警報を出している。傍らにいるルート君に「気を付けろ」というメッセージを込めた視線を向ける。彼は不敵な笑みを浮かべていた。やるじゃないか。これがルート営業で培った度胸か。

商談は順調であった。挨拶&名刺交換。最近のニュース。紹介元での事業展開。取締役の前向きな言葉。そのときである。ポキポキ!突然、異音が鳴り響いた。何の音だ。目の前の取締役が顔色ひとつ変えていないことから、この事業所内で発生するノイズだと判断してスルー。取締役の胸には安全を意味する緑の十字マークがあった。この場の安全を司る神に「ここヤバくないすか」と言えるだろうか。言えない言えない言えない。

ポキポキを気にしながら商談を進める。ポキ。ウチの会社のストロングポイント。ポキ現在の相手の概況、ポキ、悩み、ポキ、要望をざっくりヒアリング。ポキポキポキポキ!。怖すぎる。動揺を押し殺しつつ、営業マンの本能で話をまとめていく。沈み行くタイタニックで讃美歌「主よ、御許に近づかん」の演奏をやめなかった楽団と己を重ねる。プロの仕事だ。対峙する取締役もプロであった。ポキポキに動じる素振りはない。「では今回の面談をきっかけに前向きに話を進めていきましょう」「よろしくお願いいたします。では」つって傍らのルート君に帰るサインを送ろうとして視線を向けた瞬間である、テーブルの下で組んだルート君の手のひらからポキポキポキポキ!という音がした。鳴っていたのはお前かよ!取締役の不信感とポキポキの狭間で血圧が上がる。パワハラにならない程度の強さでルート君の足を蹴った。彼はなぜ蹴られているのかわからないという顔をしながら指をポキポキ鳴らした。こいつ…。まさか電話でポキりながらアポを取ったのか?

僕の思考を遮るように取締役が声をかけてきた。「このあとはどちらに行かれるのですか?」完璧な社交辞令。こういう場合「ええ、ちょっと近隣の事業所に寄っていきます」「2件ほどお客様とアポがありまして」などといって仕事をしている感、ここだけじゃないよアッピールをしておけばよろしい。具体的に話すアホはいない。ここにいた。ルート君はポキポキ指を鳴らすと「極楽食品株式会社人材サポート室長のムロタさんと2時にお会いして納品している商品の値上げを打診する予定です」と極めて具体的に答えた。極秘事項やぞそれ。直後にまたポキポキ!

取締役はやり手であった。度重なる指ポキに穏やかな表情を崩さずに「お車ですか?」と話を合わせてくれた。ルート君「車です(ポキポキ!)」取締役「極楽食品なら正門を出て東へ向かえば一般道で行けますよ」「高速で行きます(ポキポキ!)」「高速でしたら西ですね」ポキポキやめてー。「方角だとわかりにくいですね、正門を出て右ですか左ですか(ポキポキ!)」「右ですね。二つ目の信号を左折です」「右に左ですね!あーナビ通りですね、わかりました!(ポキポキ)」やめろー。「ではこのへんで失礼したします」僕は声を絞り出してアホな会話を遮ってその場を後にした。

帰りの車。助手席から指ポキポキを注意しようとしたらルート君が機先を制して「うまくいきましたね」と言ってきた。「どこが?」「次に繋がりました」「当たり前だろ。相手も紹介元に恥をかかすわけにはいかないから無下にはしないよ。つかあれは何のつもり?」「何です」「指ポキ」「すみません。緊張すると無意識にやっちゃいます」ポキポキ。注意したそばから鳴ってるぞ。「蹴りで注意したぞ」「相槌になってませんか?」ポキポキが相槌。ウソーン。「あとさ、最後の左右のやり取りは何?お客さんは友達じゃないんだぞ。ナビ使えばいいだろ」すると彼は「フレンドリーに話をしておいたほうが今後の商談が円滑に進むと思いまして。部長のやり方は少し型どおりすぎると自分は思いました」と言ったのである。アポを取る際も、高速を下りてからの道順を、間違いがあってはいけないからといって、事細かに聞いたとのこと。ウザすぎる。

「とりあえず君にはこの案件は外れてもらうから」と通告した。ルート君はハンドルを握りながら器用にポキポキ!と鳴らすと「私の案件を横取りするつもりですか?」と怒りを隠せない様子であった。それから彼は「イヤです。今日の面談で爪痕を残したのは、部長じゃなくて私ですからね」と言い放った。きっつー。「爪痕じゃなくてただの傷跡だろ」と言い返す気持ちは激しいポキポキ音で萎えてしまった。それから数日経ったけれども、今も僕の頭の中では、あの、乾いたポキポキ音が鳴り響いている。(所要時間36分)

こういう逆境を乗り越えるための、会社員による会社員のための会社員の生き方本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「人間使い捨て国家」は今、読んでおかなきゃいけない本でした。

明石順平著「人間使い捨て国家」は刺激的なタイトルだが、内容はそれ以上に刺激的である。そして、ブラック企業を容認する国家を糾弾する内容を想像していると(僕はそういう内容と想像していた)、いい意味で裏切られる。なぜなら現在の日本社会全般の問題に切り込んでいるからだ。ブラック企業問題に関心がない人に読んでもらいたい。そういう意味で、今、読んでおくべき本なのだ。

人間使い捨て国家 (角川新書)

人間使い捨て国家 (角川新書)

  • 作者:明石 順平
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/12/07
  • メディア: 新書
 

ざっくりとした内容は、2000年から現在まで約20年間の労働環境にメスを入れながら、今の日本社会の問題点をあぶり出すと共にこれからの日本がどうあるべきかの提言である。ブラック企業と対峙している著者なら、ルポ風にブラックな現場に近いルポも書けたはずだ。そのほうが劇的で告発の色合いは濃くなる。だが本書はあえてそういう手法を取っていない。ブラック現場とは少し距離を置き、データと法と判例から事案を浮かび上がらせる手法を選択している。それが成功している。なぜか?それはブラック企業と対峙する弁護士という立場から淡々と事例を解説するからこそ、かえって悲惨な状況が浮かび上がってくるからだ。そしてそれが相応の説得力を持って出来るのは著者がブラック企業と日々対峙しているからこそだ。とある準ブラック環境で「大変だ~」「死にそうだ~」と騒いでいたフミコ某というクソブロガーとは説得力がまるで違う。

本著で、低賃金と長時間労働がこの国の低迷の原因と著者は断言している。そして安すぎる残業代が残業抑止力として機能していない実態、企業が残業と長時間労働で利益を出す理由、そこから、ここ20年で目にする機会の増えた派遣、コンビニ、外国人労働者、国家公務員、公立校教師、消費税アップという事例が、いかに労働者を搾取しているのかを炙り出していく。ほとんど近年の日本社会の問題を網羅していく様は痛快であるとともに愕然としてしまう。まさに使い捨てである。

著者の指摘はシンプルだ。「罰則が軽すぎる」「努力義務しかない」「そもそも罰則がない」。要するにペナルティがペナルティとして機能していないために強い立場にあるものが弱者を搾取し続ける構造が成立している。そして、その仕組みが強い立場にあるものの手で、強い立場にあるものの良いように作られてしまっていると著者は厳しく指摘している。特に、名前を変えただけ、誤魔化し、抜け道の多さ、財界からの要請で政治が労働者を騙して搾取する政策を作っていく過程には驚いてしまう。一部の人間の利益のために、働き方改革という表向きのスローガンのもとで行われている弱者からの搾取を著者は明らかにしている。

本書を読み終えたときブラック環境に対する怒りが強くなるとともに、目先の利益しか考えていないブラック環境が日本をダメにする主犯という思いが強くなる。日本はこれから人口が減っていく。働き手も減る。労働者を大事にして生産性をあげていくしか生き残る道はないのだ。「命より優先すべき利益などない」「今が異常なのである」著者は形を変えて繰り返されるフレーズだ。これを悲痛な訴えで終わらせてはならない。僕らは奴隷じゃないのだ。(所要時間20分)