Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

俺はまだ性癖を出してないだけ


 目が覚めると「へ」の字になっていた。平仮名の「へ」。布団の上、うつ伏せの姿勢で軽く腰が持ち上がった僕は、少し離れて眺めると頭から足の指先まで170センチの「へ」の字に見えたはずだ。目が覚めてしまったのはすっかり完治したと思っていた腰痛のせい。身体を少しでも動かすと、激痛が腰の中心から拡散していく。再発の原因はわかってる。眠る前に「未知の力を目覚めさせてうだつのあがらない生活にサヨウナラ」と思ってキメた水魚のポーズ。あれだ。間違いない。痛みが怖くて動けない。限られた視野のなかで、第一号だけしか買わなかった「週間恐竜サウルス!」オマケの骨格模型の傍らで、テレビから伸びたコードの先のヘッドフォンがカシャカシャと歌っていた。何の音かは識別できなかった。コードの先にあるテレビのなかには何かが映っていた。コンタクトレンズを外し、眼鏡も掛けていない僕には様々な彩りのシルエットがぼんやりと動いているだけだった。


 今日は動くのヤメだ。石になろう。石の決意は便意と尿意によって邪魔をされる。便意と尿意。僕はいつも、どちらが先に催すものなのか突き止めてやろうという気概をもって、まるで理科の実験でビーカーだかフラスコの底を覗き込むように沈着冷静に観察しているのだけれど、そんな余裕はなかった。まあ、よく考えてみれば自宅で用を足すときは、それが便であれ尿であれ全裸になって便座に腰を掛けるのだから、実はどうでもいいことだと気付くまでに桜と海水浴の季節が終わっていた。案外、世の中の大事なことなんてこんなことの繰り返しと積み重ねで出来ているのかもしれない。便意と尿意で世の中を括ってみたりしたのも腰痛が酷いせいだ。


 便器を目指して移動する。身体をロールさせて布団から出た。仰向け。もう一度身体を回転させるスペースはない。そのまま手足を踏ん張って、ちょうどブリッジのような姿勢で腰を揺らさないようにして一歩一歩ゆっくりと歩き出した。「エクソシスト」のスパイダーウォークの物まねをやるのは20年ぶりだ。廊下で洗濯カゴを持ったオカンとすれ違う。「あんた、何やってるの?」「腰がイカれた」「なんでそんな格好してるの」「日本の住宅事情の現実だよ。政治が悪い」オカンとの禅問答を終えてから便所のドアを開けTOTO便器をよじ登り排便。ウォシュレットの出力を最強にして快感に浸った。ピキキーッとお尻から脳髄まで快感が達した瞬間に僕は何か重要なことを忘れていることを思い出した。


 オカン。洗濯物。物干し台。僕の部屋。テレビの画面。恐竜。ヘッドフォンからの音。ウォシュレットの刺激を前後左右上下の激痛を伴う腰グラインドで増強、能力を覚醒させて目が覚めてから目にしたエレメントを縫合していく。「オカンは洗濯物を持って物干し台に向かっている。物干し台へは僕の部屋を通らないと行けない。テレビ。ヘッドフォン。ああ。寝ながらDVDを観てたんだった。何を。何を?僕は何を見ていたんだっけ?思い出した。長谷川ちひろの「獣皇11」。アニマル・ラブ。アニマル・セックス。僕のいない僕の部屋では僕のためにバカの西ヤンが「いいぜ」と言って貸してくれた長谷川ちひろの「獣皇11」がエンドレスで再生されている。そしてオカンは僕のいない僕の部屋に向かっている」タタンタタ。オカンが13階段を登る音を僕はTOTO便器の上で聞いた。


 ウォシュレットの快感に浸っていたい気持ちを振り切り、部屋に向かって走り出した。尻を拭くのは大きなことを成し遂げてからだ。腰が痛くて立てない。走れない。人類の進化を退行するように僕の姿勢は次第にクラウチングしていき、やがて四つんばいになった。僕は獣になった。獣姦モノをオカンに見せてはならない。そんな使命を秘めた一匹の獣。たぶんアレを観たら終わりが始まってしまう。脂汗をたらたらを垂らしながら、呻きながら、僕は前足と後足を駆使して前進した。オカンの背中が見えた。僕の部屋に入ろうとしている。「オオエーーッ」と吠えて威嚇した。僕は獣だ。


 オカンが足を止めた。その脇を四つんばいで疾駆してすり抜け、テレビのリモコンを手にとり入力切替ボタンを押し、そのまま痛みに耐え切れずに部屋の隅に転がった。オカンが入ってきてテレビを一瞥した。それから「あんた34にもなってまだこんなもの観てるの?」と唾棄して物干し台に向かっていった。おかしい。僕はやり遂げたはずだ。その背中をやり過ごしたあとで僕は激痛に耐えながら身体を起こしテレビを観た。ほんの少し前まで獣姦モノが映っていたテレビには「Yes! プリキュア5Go Go!」が流れていた。オカンはまた少し僕に失望したみたいだけれど、それでも僕はとても満たされていた。僕はテレビの電源を落とし、それから尻を拭きに便所へとスパイダーウォークで向かった。