Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

笑顔が刺さった


 何気ない笑顔や仕草が、僕の心を捉えて離さないことがある。それらの大半はもうなくなってしまった、或いはどこかへ消えてしまったものだったりする。僕は仕事と青年会のボランティアの両面で施設に行く機会がある。施設とは特別養護老人ホームや介護付有料老人ホームといった老人向け入居型の施設で、たくさんのお年寄りが一緒に生活をしている場所だ。お年寄りにとっての家。ホーム。老人ホームの爺さん婆さんも僕らと一緒で、お正月、お花見、七夕、夏祭り、クリスマス、季節ごとのイベントがある。僕はそういったイベントを手伝ったりする。ホームのお年寄りは、日常の情景にいない僕のような人間を見つけると、まるで旧知の友人や孫に接するかのように嬉しそうに笑い、声をかけてくれる。自分の足で、或いは介護の人や器具の助けを借りて、笑う。何ヶ月かに一度の交流を経て気付いたことがある。顔ぶれが変わっているのだ。ホームを支えるスタッフの顔ぶれが変わっているのだ。僕が訪れるたびに少しずつ。だが、確実に。昨夏、一緒に焼きそばをつくった青年。一緒にカキ氷につかう氷を買出しにいったガール。みんな自分の仕事にやりがいと責任を感じ、真面目に働き、いい笑顔を浮かべていた人たちだ。彼らは少し会わないうちにホームから去っていた。詳しい内情はよく知らないけれど、介護の仕事を取り巻く環境は厳しいと聞く。傍目からみても、時間も不規則で、体力も使う。そのうえ給料も高水準だとはいえない。そういった要因で彼らが去っていったのだとしたら僕はなんだかやりきれない。社会の制度とかシステムを変えなきゃいけないと、だらしのない生活を送っている僕でも思ったりする。ホームはそこで暮らすお年寄りにとっては家だ。ホームが家ならば、ホームを支える介護スタッフはお年寄りにしてみれば家族だ。もし大切な家族がいなくなってしまったら、どうだろう。寂しいし悲しいのではないだろうか。僕ならそう思う。今日、用事があって近くにある老人ホームを訪れた。夏以来の訪問だ。また何人かのスタッフが入れ替わっていた。知っている顔も辞めていた。僕はその人が夏祭りで焼き鳥を焼いている姿を思い出した。打ち上げのときにビールを飲んでいる姿を思い出した。笑顔を思い出した。用事を済ませて老人ホームをでるとき、ちょうどおやつの時間に差し掛かっていて何人かのお年寄りとすれ違った。彼らはいつもと同じように声をかけてくれた。ホーム、家、家族の変わっていくさま。それらを外の人間である僕に微塵も感じさせないような、或いは悟らせないような明るい挨拶と笑顔。柔らかな日差しが斜めに走るなかで見たお年寄りたちの笑顔は、僕の胸の深いところに突き刺さった。