Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

課長になって一週間

 課長になって一週間あまりが経った。課長になったところで、オッパイと腰のあたりに簾みたいな着衣をお召しになられた秘書が魔法の壷から飛び出してきて、床をぶち破って生えてきたポールを相手に、カリブ的な音楽に乗って僕の秘所を衝くかの如く舌をエロティックにウリウリしたり、蛸の如く指をくねくね動かし情熱的に股間をなぞるようにしたり、AKB48の如くパンチラを気にすることなくスクワット運動的な動作をするなどして、情熱的なポールダンスを繰り広げてくれるなんてことはなく、部長が愛人宅で毒を盛られ腹上死するなんて幸運が舞い降りてくることもなく、課長になった午後六時の僕は、課長になる前の午後六時と同様、現実と理想のギャップに頭を抱えながら、空からザクでも降りてこないかなーなんて窓の外を眺める生活を送っている。


 そもそも部長が性交中に情死するなんていう地獄絵図は想像上でも許せないし、「上司情死」は四文字熟語かスラングみたいで、駅の裏にペンキで書いてあるラリってるガキが描くなんとかアートにでもなりそうだぜHA−HA−HA!とか、部長には孤独死がお似合いだよね、なんて、くだらないことを頭のなかにうかべて、午後六時の机の上で虚しくなったりしていた。先月までならこんなやりきれないときは、前に座っていたNゲージが好きなヨシムラ君の頭めがけて消しゴムをちぎって投げつけていれば幾分スッキリしたのだけど、原因不明の理由でヨシムラ君は会社に来なくなり、行方不明になってしまったのでそうもいかない。

 
 二年間、僕の消しゴムの標的という役割を演じていたヨシムラ君の部屋を訪れたのは先週木曜の夜だ。持ち主のいなくなった六畳のカーテンを開けると、近くの公園にある桜の花が街灯に照らされて茫漠とした光を放っていた。その光は世界を包む闇に対抗するにはあまりにも弱かった。僕はその白く、淡い光のなかでヨシムラ君の痕跡を探していた。闇はもうヨシムラ君と彼の跡を包み隠してしまっていたようだった。部屋の隅に空気洗浄機が置いてあった。独身者向けの小さいタイプだ。Nゲージの線路が多すぎてバッグに入らなかったのかもしれない。空気洗浄機にはトイレットペーパーがテープで貼ってあり、「自由に使ってください」とヨシムラ君の字で書かれていた。それほど親しい間柄でもなかったので、もしかするとヨシムラ君の字ではなかったかもしれないけれど。淡い光のなかでトイレットペーパーの芯が転がっていた。僕は薄汚れた空気洗浄機を持って部屋を出た。


 今日はヨシムラ君が使っていた机を片付けることになった。課長の僕の仕事らしい。引き出しを開けると「殺すリスト」などといういかにも物騒で面白そうなタイトルが書かれたレポート紙の束が出てきた。僕に対する恨みが書かれていた。頭に着弾した消ゴムの数が日付つきの正の字で数えられていた。僕は殺すリストを持ってシュレッダーへと歩いた。何事もなかったようにレポート用紙をシュレッダーにかけていると、総務のマヤちゃんが「ヨシムラさんなんでやめてしまったんですか?」と訊いてきた。「なんか、女性関係と借金関係で揉めたってハナシだよ」と僕は言った。「最低ですね」「最低だよね」。


 部屋に帰ってヨシムラ君の空気洗浄機の電源を入れた。カーテンを開くと夜の桜が白く光っていた。あの部屋にあった同じ種類の弱く、淡い光のなかで僕はスーツを脱ぎネクタイを外しシャツのボタンを外しベルトを緩めズボンを下ろした。僕の中で張り詰めていた何かが切れる音がした。ヨシムラ君もこの音を聞いたのだろう。心も身体も緩んでしまった僕は知らず知らずのうちに放屁していた。屁に先に気付いたのは耳だったか鼻だったか。僕のなかにあるいろいろなものが混じりあっていてよくわからなかった。僕がたったひとりの薄暗い部屋。臭いに反応した空気洗浄機が静かな音を立てて動き出した。ヨシムラ君も空気洗浄機を相手にこうやって生きていることを確認していたのかもしれない。