Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

綺麗な死にざま。もがけ、あがけ。


 綺麗な死に方ってなんだろう?祖父が入院して以来そんなことを考えている。人によって定義は違うだろうけれど、おそらく、晩節を汚さず、とか、立つ鳥跡を濁さずといった言葉が指し示す潔いイメージなんじゃないだろうか。

 年末に倒れ鎌倉の病院に入院した祖父だが、今は、お医者さんから親族に連絡するよう言われるほどの危ない状態から脱している。安定しているといっても、一時的なものであって、百歳という年齢から手術は出来ず、つまり治らない。死んでいく祖父を僕は見ていることしかできない。


 祖父は延命を拒否した。祖父は覚悟を決めたのだと親戚一同誰もがそう思った。


 状態が安定して心にゆとりが出来たのだろう、祖父が今まで僕が見たことないような暴れ方をするようになった。「俺は棺桶みたいな部屋でいたくない」。「外に出たい。由比ヶ浜を散歩したい」。「なんでこんなところにいなきゃならないんだ、俺は治ったんだ!」。僕は見ていないのだけどお見舞いの果物や花を床に叩きつけたこともあったらしい。


 親戚たちは、祖父は病気のせいで錯乱しているだけでもう覚悟は出来てるはずと言う。百年も生きたのだから満足なはず。「はず」。嫌な言い方だと思った。自分自身への言いわけだ。


 「なあ、俺は良くなるんだろう?今は飯も食べられるし痛みもなにもない」ある日祖父は僕に訊いた。たぶんその瞬間瞬間にも着実に病の進んでいる祖父の顔を見て、僕は「治る」とは言えず「いつかまた市民プールで泳ぎをみてくれよ。昔よりはうまくなったと思うんだ」とどうでもいいことを言っていた。祖父は満足に泳げないなんて情けないといって笑った。「夏になったらな」。もしかすると真実か嘘かは問題じゃなくて口先だけで「治るよ」、ひとこと言えばよかったのかもしれない。それが投げる側、受ける側双方が明らかな嘘だとわかっていたとしても。夏に…といったときの祖父の落胆したような表情が頭から離れない。


 僕は仕事が早く終わった日はお見舞いにいくようにしている。祖父の暴れ方はひどくなる一方だ。今日もひどかったらしい。病院で会った叔父から聞いた。叔父は「オヤジだって覚悟を決めている<はず>なんだ。ちょっと混乱してるけど」という。僕は僕自身もふくめて「はず」をつける人間に祖父を語る権利はないと思った。逃げているのだから祖父の正面から。もちろん、見た目は元気になりつつあり本人も希望を見出している様子の祖父に、「今は一時的に安定して一見治りつつあるように見えるかもしれないけれど手術しないかぎり治らないんだ」なんて言えるはずもないのだけれど。僕らは曖昧で不完全な言葉を不器用につかって他者との距離を必要以上にとっていくしかないのかもしれない。


 祖父はこわいのだ。単純に、生きている世界から離れていくのが、寂しく、とてつもなく恐ろしくて、死の圧倒的な圧力に押し潰されようとしているのだ。祖父が暴れるのは祖父の死への最後の抵抗なのだ。


 祖父はそう遠くない日に死ぬ。こんなことをいってはいけないが、祖父の意識がしっかりしていなかったら…と思う瞬間がある。あんなに優しくて穏やかで強かった祖父が死を恐れ、もがき、あがき、暴れている姿を見るのはとてもつらい。じいちゃん…こんな人だったんだ…なんて僕のなかにある在りし日の祖父まで死んでいってる気がする。長い間生きていて欲しい気持ちとこの時間が早く終わってほしい気持ちが僕のなかで混ざりあってしまってもうわからない別のものになってしまった。祖父からもらったものを想い、祖父にあたえたものと比較してその少なさにどうしようもない情けなさにとらわれる。


 でも、だけど、死んでいく祖父に何もできないけれど僕は決めている。暴れながら死んでいく祖父を最後まで見続けていこうと。僕は思う。晩節を汚したっていい。跡を濁す立つ鳥がいたっていい。百年生きたって満足しない人間がいたっていい。最後が無様で情けなくてもいい。僕が許す。生きるっていうのはそれだけ素晴らしいものなのだ。百年生きた人間がなりふり構わず他人に構わず諦めきれず執着のあまり暴発してしまう…人生はそれくらい素敵なものなのだ。


 夏になったら市民プールで平泳ぎの練習をしよう。実は僕、準カナズチなんだ。それに水のなかでなら泣いたってわからないだろう?