Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「モチベーションがあがらない」は贅沢でございます


 モチベーションがあがらない、仕事が捗らないとアッピールする新人君にトラウマになるほど少々厳しく当たってしまったのは、新人君が女子高生と付き合っているという認めがたい現実とは絶対に関係ないことを最初に申し上げておく。続け様に、モチベーションをあげる方法がないか、すがるように訊いてくる新人君に僕は何も言えない。言わない。まあ、ないことはないがって教えないのは、くっそー女子高生と付き合えていいなあ、むかつくなあ、仕事上で失敗すればいい気味なのにぃと一瞬たりとも思ったからではなく、そういうのは人様から教えてもらうものではなく自分で見つけ出すものだからとオッサンのごとく考えたからだ。

 実際、十数年前、僕も彼と同じ年の頃はモチベーションが…と言って仕事がはかどらなかった時期があるが、モチベーションが上がらないどうしようというのは贅沢な悩みである。そもそもモチベーション云々と言って己の仕事に没頭しないのは、思い出してほしい、ゆとり教育前夜の小学校運動会百メートル競争で今日は足の調子が悪いなどといって敗北伏線をはるアイツ、アイツと同じで、他者からみればマスターベーションにすぎない。ほらマスターベーションって性交とちがって他者と共有できないでしょ。それと同じ。


 また、モチベーションというのは不思議なもので、他者から、おい君はモチベーションが上がっていないようだねと指摘されることは稀少で、やあ僕は今モチベーションは上がらないんだよねという具合に自己申告制であることがほとんど。つまりモチベーションが上がらないと悩み、インターネットなどで「モチベーションを上げるたった69の方法」を調べる行為は極めてマスターベーション的な行為なのである。何もしていないのに、仕事してるスタンスと壁にぶち当たってる感だせるし。一石二鳥。


 実際、モチベーションが上がるまでウエイティングしてくれる仕事その他エトセトラなどほとんど存在しないはず。モチベーションが上がらないと嘆く人間の、モチベーションが充電されて挙げる成果など高が知れていると極論にランニングするのは新人君の彼女が女子高生だからなんだけど、まあ外れてはいないと思う。つまりモチベーションいかんに関わらずこなしていくのがよろし。と偉そうにいうと、貴様に何がわかるのかと罵られたり、兄貴たくましいとゲイにしゃぶられたりしそうだが、僕がやる気モチベーション云々を言わなくなったのはとある老人ホームでの出来事からだ。


 食品会社に僕にとって数少ないやりがいを感じる仕事が高齢者向けの食事食材の仕事。とある老人ホームにオセチ弁当を昼食に提供させてもらったときのこと。当時も今と同様に営業マンの僕はやる気がないモチベーションがあがらないといってヒアリングを名目にその老人ホームにいた。サボりってやつ。食後、ひとりのお婆さんがやってきて、僕と同僚に「オセチとても美味しかった。来年も楽しみにしてる」と言った。「来年もずっとその先も召し上がってください」と同僚が言うとお婆さんは、そうねえ、と言って笑った。僕らも笑った。楽しかった。


 お婆さんはその夜晩御飯のシイタケを詰まらせてなくなってしまった。僕らはおせち弁当だけの仕事だったけど、同じ食を扱っている者としてショックだった。僕の仕事や僕のやることは僕にとってたくさんあるうちのひとつに過ぎないけど、もしかすると人によってはその人生最後のものになりうるのだと字面や理屈ではわかってたことを経験として学んだのはそのときだ。そう考えるとモチベーションが上がらない云々と言ってる暇はない。それは贅沢だ。上げて、無理矢理にでも出来るだけ上げて、やる。仕事もバカも。それしかない。


 それにモチベーションがあがるのを悠長に待っていられるほど人生は長くないし。僕らには今しかないから今この瞬間をやれるだけやればいい。それが不完全燃焼の小火でもたぶん山を焼けるし、ラッキーなことに先程、申し上げましたとおり、モチベーションが上がってんの?下がってんの?というのは自己申告制でございまして他者にはわからないので実際下がっていても上がってる感のある顔をして「上がってる」とはっきりいっておけばオッケー。という調子でモチベーションを上げることなく、ロックンロールとほざきながら口笛を吹きながら気楽にやりきった結果、僕は取締役になれました。取締役課長になれました。


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