Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

3.11ぼくは黙祷しなかった。


 3月11日午後2時46分に黙祷せずに歩いていたら知らないおばさんに叱られた。日本人なのに、不謹慎だ、といって。死者を悼む気持ちがなかったわけじゃない。けれども綺麗な言葉ばかりが先行し、東北のガレキの撤去が進まないさまを見ていると、僕の黙祷は形だけになってしまいそうに思えてならなかった。僕は黙祷したかった。でも、できなかった。


 黙祷は祈りだ。祈りは、やりきれなさや虚しさ、哀しみを湛えている。祈りは死者を蘇らせられない。祈りは時間を戻せない。それでも祈る。祈ることで人は癒され、明日に希望をもてるから。だから人は祈る。祈ることが人を人たらしめている。人である僕は、おばさんが言うようにあの時間、立ち止まり手をあわせても黙祷するのが正しかったのかもしれない。けれども、いったいどの面をさげて僕は祈ればいいんだ?祈りは言葉だ。僕には3月11日に手向ける言葉がないというのに…。【亡くなった人たちへ。どうか安らかに眠ってください】そのあとの言葉が綴れない僕に死者を悼む権利はない。


 僕には自分の言葉で父を死に追い込んでしまったかもしれないという過去がある。人は過ちを犯す。過ちは不可避だ。人がどれだけ回避しようとも。だから責任はもちたい。自分の言葉に対して。たとえ後にその言葉が間違いだとわかっても責任を持ちたい。【どうか安らかに眠ってください】に続く、僕が責任をもてる言葉を僕が持たないかぎり僕は僕の追悼ができない。体のいい言葉を紡ぐくらいなら、黙祷などしないほうがいい。物言えね死者への言葉はより大きな責任が伴うべきだ。これが僕が黙祷しなかった理由。


 「絆」「寄り添う」。綺麗な言葉ばかりが流れ、東北の復興の障害になっているガレキの撤去は進んでいないという。放射能で汚染されたガレキの受け入れには受け入れ先からの抵抗が強いとも。「絆」ってなんだ?生死をともにする関係が絆じゃないのか。僕には「絆」という綺麗な言葉でありもしない覚悟を口にして誤魔化しているようにしか思えない。


 もし、僕が受け入れ先の隣地に住んでいて、政府や自治体から安全性を保障されていたとして、果たして喜んで受け入れられるだろうか。東北のガレキ山、沖縄の基地もそうだけど、体のいい言葉で逃げて、ゴミ箱のようにしか思っていないような輩が実は多いように僕には思えるし、僕のなかにもそういう僕はいる。体のいい言葉も、綺麗で力強い言葉はもういらない。原発の収束には何十年掛かるらしい。僕らは未来のいくつかを喪って泥臭く厳しい問題と戦わなければいけない。これは戦いなんだ。人と人、人と土地、あらゆる絆を破壊しかねない厳しい戦いなんだ。


 戦う−この言葉が正しいのかわからないけれど、僕は責任をもって使おうと思う。僕は戦う。今僕が戦わなければいけないのは自分の中にわずかにそれでいてしつこく残る、放射能やガレキを持ってくるんじゃねえよ、現地のことは現地で解決しろよという自己保身の気持ちだ。この戦いに勝ったとき僕は自分の言葉で死者を黙祷できるようになれるだろうしそういう人間になりたいと思っている。


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