Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

騙すのと騙されるの、どちらが悪いの?

カルト教団が凶悪な事件を立て続けに起こしていた二十年ほど昔の一時期、僕は、騙す人間が悪いのか、騙される人間が悪いのか、考えていたことがある。騙す側が悪いのはもちろんだが、今でも、見るからに怪しげな詐欺や新興宗教に引っかかっる人をみるたびに、何で騙されてしまうのだろう、不用心すぎじゃね、と思ってしまう。仮に騙す側に悪意や作為があったとしても 、騙されてしまった人が平均的な判断力を持ち合わせていれば、騙されることはないだろうに…とまでは考えるのだけれども結局は当事者にしかわからないという結論にいきついてしまう。

僕も人のことは言えない。大人のサービス業。入店の際。入り口のパネルで指名したはずの女性スタッフが席に到着するまでの間に、相対性理論か何かよくわからんが、光の速さで劣化してあらわれることはしばしば。きっつー。と思いチェンジしても同様の悲劇が繰り返され結局は泣き寝入りするしかなくなるのだ。僕はこのロマンティックが強制終了させられる悲しい現象をチョイス・チェンジ・ブー、CCBと呼んでいる。このような時、若干の興奮状態にあるとはいえ、平均的な判断力を保持しているにもかかわらず僕は騙されてしまっているのだ。新興宗教に入ってしまう人と僕は大差ないのかもしれない。そんな自戒と事実を教授し僕をいろんな意味で大人にしてくれたサービス業に、今、僕は、感謝している。

当時、カルト教団に研究者や弁護士などの高学歴な人たちが入信していたのが話題になった。「何であんな頭のいい人たちが?」という感じで。ひとことでいえば世の中を知らないからと言うことになるだろうけど、正確には、世の中を知っているという驕りや傲慢があったということだろう。森羅万象知り尽くしていたはずの自分の目の前に知らないものがあらわれたら…信じてしまう人がいてもおかしくない。無知の知という言葉があるように、謙虚に、知らないを知るというのは大事なことなのだ。

インターネットが生活に入り込んでいる現代はもっと厄介だ。インターネットとは大変恐ろしく、情報を受ける側で取捨選択出来てしまう。無知の知であり続けるのは難しくなっている。これはどうしたものかと申し上げますと、自分の悪口をネットで検索して見つけては喜んでしまう僕のようなドエムっ子は別として、自分に都合のいい情報だけをチョイスして自分の知とすることが出来る。特に今までの人生、学校生活や社会生活でうまく行かなかった人は要注意で、インターネットで都合のいい情報だけを収集していれば、どんなアホでも世の中を知り尽くした天才になれてしまう。

アホ天才は世の中をバカにしているので「地方に移住してブログを書いてクラウドソーシングでハッピー!」なるアメリカン・ジョークを真に受け、信じてしまうのである。二十年前はある程度知性を持った人たちが自分の知ゆえに判断を誤ったが、現代のインターネット社会ではアホがそのアホゆえに己に都合の悪いことを排除して誤った判断を下す。ほとんど悪夢だ。世の中をバカにしたアホがアホなことをしなければいいなぁ、そんなことを考えた休日なのであった。

上の文章とはまったく関係ないが僕の知人のニート君がプロのブロガーに憧れて来月から3ヶ月ほど高知に行くと言い出した。卒業以来十数年間職歴がないのが若干心配だが、まさか自分の近くからそういう大人物が現れるとは…感慨深いものがある。今はただ、武装化だけはしないでほしいと切に願うばかりである。