職人という生き方を検討している。何の職人か?ハコだ。ハコ職人だ。手作りの、箱。というのも、実は、妻の実家は何代も続く由緒あるハコ職人の家なのだが、妻と妻の妹のシスターズが「箱に未来を感じられないです」「丸いものの方が好きです」とやんわりと継承を拒否したおかげで、跡取りがいなかったりする。
僕は、会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと…と考えると胃に穴が開きそうになる。脳裏にチラつく転職。転職チラリズムに悩まされるものの、いざ転職、となって己を見つめなおすと、中年、無資格、性格悪の三重苦で、困難を極めるのは目に見えている。己を高めずに権謀術数のかぎりをつくして立身してきたがために、ポータビリティーな人間ではなくなっていた。なんということだ。実際、給与や待遇等希望諸条件を入力したはずの転職サイトからの返答は皆無。絶望のあまり「ブログで食べられるよ」という妄言に耳を貸す余裕すらなくなっている。
そんな僕の四面楚歌に、そーかそれなら、ってんで義父から「やらないか」と箱、ハコ職人の話が舞い込んできたのである。といってもハコである。ハコについては男性の機能と同じレベルでまったく自信がない。最後にハコをつくったのはいつだろう。妻に潰されたガンプラの空き箱を泣きながら修復したのは作ったことになるのだろうか、はて?。今までの40年程度の人生でハコを作った回数すらわからない。なんてハコのない恥ずかしい人生を送ってきてしまったのだろう!。そもそもハコに未来はあるのだろうか。ハコで家族を養っていけるのだろうか。山崎ハコは元気だろうか。
「課長という立場を捨てて、ハコ職人を目指して、ハコ丁稚奉公からハコ毎日をはじめるのは難易度が高すぎますよ。父さん」とゲゲゲの鬼太郎のマネで義父に伝えると、彼は表情にもならない悲しい震えみたいなものを顔に浮かべたので、僕は言葉を軟着陸させる。「でも未来があれば別の話ですけど」。
すると義父は「未来はお前が考えろ。俺は今を生きる」と投げやりなことをいい、ハコについての未来を僕に求めてきた。優秀な人物のように常日頃ハコについて考えているはずもないので即座にハコの未来が出てこない。《ハコブログを毎日更新。ハコ最前線を現場からレポート》。地味というか滋味すぎる。ハコに絶望していると義父が「五輪とか絡めると面白いかもしれんぞ」と助け舟を出してきた。《佐野研二郎氏デザインのハコ》なら物好きに売れるかもしれないけれど、僕にもプライドはある、そんなハコに人生を預けたくない。パクられたら困るし。
五輪。日本に押し寄せてくる外国人。ヨーロッパ。アフリカ。その瞬間、僕の頭に明確なビジョンが浮かんだ。ハコの生きる道が見えた。それについて具体的にここで書くと、たいした金も寄こさぬくせに警告だけはマメに寄こしてくる米検索大手から最後通告が届き大変めんどくさいので、記述に細心の注意を払い、ここから先は「ぺ」と「て」を入れ替えぺ読んでいただきたい。カトちゃんテ、テ・ヨンジュンっぺね。僕は、動物の角などで男性自身、いわゆるテニスにテニスケースを装着するアフリカの部族の人のために、京都や舞妓や富士山といった日本のビジュアルを印刷したテニスケースを作っぺみぺはどうか、一子相伝のハコの技術を駆使しぺ作っぺみぺはどうか、とひらめき、義父に伝えた。
アメリカンジョークだったのだが義父が乗り気で困っている。試作品を作ろう、モデルになっぺくれ、と言われぺしまった。ハコ工房でおもむろにテニスを差し出す義理の息子。義理のムスコのテニスを真顔で採寸する義理の父。想像するだけで、おぞましい。こんな不健全な発想が出てくるのも運動不足が祟っぺいるからだろう。最近は錦織選手の活躍であのスポーツがブームらしいので、やっぺみようかな、とマジで考えぺいるけど、大人の事情によりそのスポーツ名は伏せさせペいただく。
(この文章は身を削る思いをしながら15分間で書かれた)