Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

子供いないのに「子はかすがい」と言われた。

パッとしない人物に夫婦の難しさと不思議さと愛しさと切なさと心強さについて話していたところ「フミコさん、子はかすがいですよ」と言われた。かすがいとは木材同士をつなぎ止めるコの字型の建材で、その形状と用途から「子供は夫婦をつなぎ止める存在だよ」という意味のことわざに使われている。僕はコドモをコノジ建材に例えているこの諺が、児童憲章尊重の立場からも、かすがいの漢字の難しさ(「鎹」)からも好きではない。

僕には子供がいない。男性機能的問題もあり妻と相談を重ねたうえで泣く泣く妊活も諦めた。その僕に「子はかすがい」と言ってくる行為は万死に値する行為だ。しかし大人な僕は激昂はせず、むしろ「私と対峙し話をしているイケメンは子供がいないかもしれない…イクメンにはなれないのかもしれない…」という想像や配慮がないから、口臭がひどく五十になっても定職もなく独身なのだろうなと憐れみながら「実は子供いないんすよ」と言い返す。返ってくる「えっ。嘘…」というわざとらしいお決まりのリアクション。口を両手で塞ぐ驚きをあらわすポーズが口臭を気にしているそれにしか見えないのが悲しい。

そもそも子供を別れない理由にするのってどうなのだろう?理由にされてしまう子供の立場ってどうなのだろう?恋を病に喩えるのなら、その延長にある夫婦は重病みたいなもの。多種多様な症状があり子供が離散の特効薬になる場合もあれば原因になる場合もあるんじゃなかろうかと僕は思う。それを外部にいる人間が「子はかすがい」としたり顔で言うのはあまりにも乱暴すぎやしないか。極端かもしれないけれども僕は割とマジで僕という人格や人権が蹂躙されたように感じたのだ。

「子はかすがい」に対して「子供がいない」と答弁すると決まって「ゴメン」「スミマセン」となるのも意味分からん。そのゴメンはなんなのか。子供がいないことは償い終えた罪か何かで出所後は真面目に一市民やニートとして平穏に暮らしているのにそこに触れちゃってすまないことをしました的なスミマセンなのか?

素直に悪いこと言ってゴメンならいいのだけれども、多くの場合、当該五十才男性のように「かすがい一本なくても家は大丈夫ですから」とフォローになってないフォローをしてくるのだ。アホか。「このマンション、杭をしっかり打ち込んでないので傾いておりますが、大丈夫っす」などと謎説明をする三井不動産レジデンシャルの人に対するマンション住民の気持ちが痛いほどに分かってしまう。もう、アホかと。

私事になるが、僕は先週より由緒ある箱屋である義父の元でハコ職人になるべく、日曜だけ体験丁稚奉公をはじめた。ハコをオハコにすべくハコハコハコ。たった1日しか奉公してない身ではあるがハコ修行は厳しい。厳しすぎて目の前の修行から逃げ出したい気持ちと義父との会話の無さから、僕は「子はかすがい」の話題を出した。義父は悲しそうな顔をして「子はかすがい…」と呟くと、このような言葉を続けた。《不能の男性自身に対して「かすがい」を補強材の如くあてがって打ち込めばいいじゃねえか》《そうすればゾンビのように死んだまま蘇り妊活もはじめられるのではないか》《孫、ゲットだぜ!》僕の人権を蹂躙するような素敵な言葉たちであった。丁稚に人権なし。

妻にこれを愚痴ったら「二カ所負傷…衛生兵が必要ですね」などとこれまた人権を蹂躙するような発言をなされた。「衛生兵任せなんだ…」という悲しみのなか、一瞬だけ、「かすがい」となる子供がいなくて本当に良かったと思ってしまった僕チンなのである。
(言葉を選びながら真面目に書いた結果25分もかかってしまったのがこの文章である)