Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

数万円分の化粧品を買いました。

妻の尻を追っていたらいつの間にか百貨店の化粧品販売コーナーにいた。慣れた様子でお目当てのカウンターを見つけて座る妻。財布役を仰せつかった僕も横に座らせていただいたところまでは良かったが「ご主人様もぉぉお~ご一緒なんてぇぇえ素敵でぇすぬぅぇええ!」と何かの薬品をキメたかのような口調で話す女性スタッフに気圧され、妻を残して逃亡してしまう。


ふらふらフロアを偵察すると、各化粧品メーカー・ブランドのコーナーコーナーがそれぞれ要塞のような完全な戦闘モード。揃いの制服。ひっつめたような髪型。決まりまくったメイク。きびきびした動き。僕にはほとんど軍隊のように見えた。美を追い求めるとは軍隊のように厳しいものなのだろうか。


価格をリサーチすると僕の1ヶ月分の昼食代が軽く飛ぶような商品ばかり。「配偶者が綺麗だとキミも嬉しいはずです」と言って、あたかも僕のためという大義名分で買い揃えられた化粧品の瓶群はいくらするのだろうか、一瞬算出しようと思ったが、悲しくなるので考えるのはヤメた。美とは厳しい。


美を追い求める商品たちのネーミングも「パーフェクト」「エバークリスタル」「クリア」「モイスト」「コンシーラー」「ケア」「モイスチャー」「ポーション」「リキッド」「プロテクション」という調子の、戦ってる感、永遠感、潤ってる感、回復してる感、ひとことでいうとファイナルファンタジー感に溢れていて、眺めているだけでヒットポイントが減ってしまいそうだった。


元のカウンターに戻ると、妻は機械から伸びた管から噴出する蒸気を顔に当てられていた。主人の僕でさえいまだに妻の顔に水分をかけることが出来ずにいるのに、僅か数分のうちに妻を籠絡するとは、恐るべし、対面販売スタッフ。横に座った僕の所在無い気持ちまでパーフェクトにケアするように声をかけてくる女性スタッフ。「旦那さまぁ。奥様のお顔凄く潤っているのぉぉおわかりますかぁぁあ」蒸気を顔に当てているのだから当たり前ではないのか。そんな醒めた気分なのに「うわ~見違えるように潤ってる~こうやって老化酸化からプロテクションするんですね~」とアホのように合わせてしまうのは飼い慣らされた営業職の性である。


反動で虚無になっているといつの間にか妻の顔をいじりだしている販売スタッフ。「こうやって~パフで軽く叩くだけで~」などと言っている。僕でさえ妻にぱふぱふされたことないのに…。蘇る古い記憶。ドラゴンクエストで「ぱふぱふ」を教わった僕はボンクラ友人とこんな論争をした。「ぱふぱふ」は「ぱふぱふされる」という受動態なのか、それとも「ぱふぱふする」という能動態なのか。その議論は僕らの友情を完全に破壊して、以来、彼とは口をきいていない。


妻の顔に筆などで細工をしていた女性販売スタッフが、ぱふぱふについての苦い記憶によってリキッド状になりかけた僕の集中力をパーフェクトにケアするように声をかけてきた。「旦那さまぁぁ奥様のぉぉお顔を左右で全然違いますでしょおぉぉ」僕の方を向く妻。顔の上半分と下半分なら目があったり口があったりとパーツが違うのでわかりやすいが、左右の違いが僕にはいまいちわからない。目も鼻の穴も左右で一つずつ。マジンガーZのアシュラ男爵くらい左右で差異がないとわかるわけがない。


僕は素直に、わからない、と言った。一瞬だけ、女性販売スタッフは目を大きく見開くと、ふたたび「よ~くご覧になって~全然違いますでしょおおおお」「うーんわからないなぁ」「よ~~~くご覧になって~~」「うーん」「よ~~~~く」不毛な議論に疲れた僕は妻の向かって右側だけにある泣きボクロを思い出して「右が違いますね」と言った。どうやら向かって左側をメイクしていたらしく、女性販売スタッフは気持ちをプロテクションして不愉快が表情に出ないように「実は左側だけメイクをしてるんですよぉぉお。確かにぃ右とは違いますよねぇぇえ」と声を張り上げた。「右の方がいいという意味で言ったんですけど」と挑発してみたが「ねえぇ奥様、旦那さまも奥様の右側が全然違うって仰っていますよぉおお」と妻には向かって右側(左)ではない顔の右側を筆で弄りながら商品の説明を始める女性販売スタッフ。強い。


美を追い求める女性の強さと逞しさから逃げるように、僕は、アシュラ男爵の下半身はどのようになっているのかについて思考を巡らしてその場をやり過ごした。妻は終日ご機嫌であったがまったく意味がわからない。美を追い求めるとは、かくも厳しく、摩訶不思議なものらしい。

(この美についての文章は19分間も要して書かれた)