義理の父が心筋梗塞で倒れた。信金へ金策の相談に行く途中で胸の痛みを訴えて、病院に担ぎ込まれたのだ。義父は80近くの高齢だが、健康が服を着て歩いているような人で、心筋梗塞の前兆もなかったので驚いてしまった。現在はICUから一般病棟の四人部屋へ移り、あと一週間ほど入院する予定。とりあえずひと安心だ。義父は江戸時代から続く箱職人である。数百年やっていて一度もブレークしたことがない、ヒット曲のないまま亡くなられた内田裕也さんのような流派で、義父自身が「信念も特徴もなく、たいした技術も要らないから尊敬されない。誇れるのはしぶとく生き残っていることだけ」と卑屈になっている。滅びても惜しまれない流派が今回もしぶとく断絶の危機を乗り越えたのである。
病院に担ぎ込まれた直後、義父は荒れた。「あれを持ってこい」「今すぐだ」と我がまま放題、周りを困らせたのだ。「病気で倒れたのに」「何様のつもりなのか」呆れ果てる妻や義母。僕は、そんな義父の姿と、8年前に100才で亡くなった祖父の姿を重ねていた。元気だった頃の祖父は仙人のように物静かで優しい人だった。庭で転んだはずみで足を痛めて入院してから、目に見えて身体が弱っていった祖父。ときどき穏やかな祖父が見舞いに来た人間をつかまえて、「あいつだけは許せない」、と過去の恨みつらみを話すときがあって、その姿の方が、弱っていく姿よりもずっとショックだった。時間を置いたら、なんとなく祖父の行動が理解できた。死ぬのが怖かったのだ。100年生きても、しがみつきたかったのだ。身体は動かない。思考も混乱している。どうしようもないから、溺れているとき咄嗟に何かつかめるものを求めて手をめちゃくちゃに動かすみたいに、気になっていることを口にしてみた、ということだろう…。
義父も同じだったのではないか。激痛に襲われて、死を意識した瞬間、わがままが爆発したのは、生にしがみつこうとして、何かしなければいけない、でも、何をすればいいかわからない、そんなギリギリの行動だったように僕には見えたのだ。確かに、その姿は、カッコ悪くダサかった。迷惑すぎた。でも、いいじゃないか。それくらいなら。家族から非難された義父のわがままは、「今すぐに家にある俺のリュックサックを持ってきてくれ」というもの。妻も義母も「倒れているのになぜリュックがいるの!」「明日でいいじゃない!」と義父にいったけれど、「今もって来ないとイヤだイヤだイヤだ」と駄々をこねるので、まあまあ、いいじゃないか、と適当に対応していた僕が、流れで取りに行くことになった。すぐに見つかるリュックサック。軽い。スカスカであまりものが入っていないようであった。死を意識した男が望んだスカスカリュック。絶対に中身を見るな、と強く言われていたので、見たくて仕方なかったけれど耐えた。もし、懐かしのチッチョリーナのテープや性的なグッズが出てきたら、僕は本気で義父を軽蔑していただろう。耐えて良かった。
リュックを渡された義父は喜んでいた。たいそうな喜びようだったので、チッチョリーナ疑惑は強くなるばかりだったけれど、義父の名誉のために疑惑を疑惑のまま終わらせることにした。男には知られてはならないロマンがあるのだ。義父は、スニーカーが欲しい、スリッパを履きたくない、と意味不明なわがままを繰り返していて、家族を苛立たせていた。その姿はカッコ悪くてダサかった。みっともなかった。でも、いいじゃないか。生きるか死ぬかのピンチのときくらい、甘えて、わがままを言ったって。チッチョリーナだって。駄々をこねたって(限界はあるけど)。だいたい僕らは人の目を気にしすぎなのだ。生きられるのは、一度だけ。だから「死ぬ~!」と思ったら、周りの目なんか気にせず、しがみつけばいい。気が済むまであがけばいい。生きるっていうのは、ちょっとくらい無様で、みっともないくらいがちょうどいいのだ。墓には「いいね!」を持って入れないのだから。(所要時間19分)
そんなことよりウチの奥様(管理栄養士)が心筋梗塞で倒れた義父のためにスケッチブックに執筆している高齢者向け食事本がわかりやすいうえにガチなので見てくれ。