Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

立派に生きるとはどういうことか。

タロウは幼稚園から中学まで一緒だった近所の友達であり、アニメ、エロ本、ロック、原チャリ、マツザカ・キミコ、そんな話ばかりしていたボンクラ仲間であり、周りが年齢を重ねるごとに「いつまでもアニメなんて見ていられるかよ」とつまらねえ大人になっていくなか、逆にボンクラぶりを加速させていったキング・オブ・ボンクラであり、エロ本の大家であり、その小柄な身体から無尽蔵に湧いて出てくる女体への探究心が将来のノーベル賞を期待させた優秀な科学者のタマゴであり、ひとことでいえば地元の巨星であった。多くの神童と呼ばれたクソ生意気なガキが劣化失速して一般ピープルになっていくところ、彼は失速することなくいまだにボンクラで在り続けている。

 しかも永遠に。

 タロウは高校2年の秋、交通事故で亡くなった。前触れなく、あっけなく、ボンクラのまま死んでしまったので、鼻に綿を詰められて横になっている姿を見ても、死んでしまった、という感覚はまったくなかった。今でもない。僕と同じように、加齢臭と年金に悩む中年になっているような気がする。女体に対する探究心が強かった彼が、実戦デビューをしたのかどうかは永遠の謎だ。願わくば、どうか肉体というしがらみのなくなった天国で、楊貴妃、クレオパトラ、マリリン・モンローといった絶世の美女たちを相手に毎晩チョメっていてほしい。

 彼が亡くなったあとも彼のおばさん(お母さん)とは犬の散歩でよく顔を合わせた。しみったれた空気になるのがイヤだったので、こんにちは、さようなら、のカタチだけのやり取りで終わらそう、という企みはうまくいかなかった。ウチで飼っている犬の名前もタロウでそれがどうしてもトリガーになっていたのだ。また犬のほうのタロウも、同じ名を持つ亡き友に忖度したのだろうね、決まって絶好のタイミングでオシッコを電柱ジャーするものだから逃げられなかった。

 おばさんは会うたびに「立派になって~」と僕の肩を叩いた。高校生、大学生、社会人、その時代時代の僕の肩を「立派になって~」と笑いながら叩いた。強く。バンバンと。何回も。おばさんは僕の成長する姿とタロウ(人間)が成長した姿とを重ねているのがわかった。仮にタロウ(人間)が生きていてもおばさんは「立派」とは言わなかっただろう。僕も母親からは「育て方を間違えたわ~」と嘆かれることはあっても立派と誉められたことはない。

突然の事故で命を落としてしまったからこそ、普通にぼんやりと生きているだけでも、おばさんから見れば「立派」なのだ(このエピソードは前に書いた)。こんな哀しく響く「立派」を僕は知らない。「立派よ立派ね」に僕が「たいしたことないっすよ」と謙遜しても、おばさんは「たいしたことないけど立派よ~」と褒めてくれたけれども、いくらなんでも適当すぎやしませんか…。

 おばさんはいつも明るかった。ただ何かのきっかけで たった一度だけ「こんなことは言えないけれど」と本音らしきもののカケラを漏らしたのを僕ははっきり覚えている。おばさんは笑って誤魔化していたが、僕はかなり長い時間、「こんなことは言えないけれど」に続くフレーズが気になっていたけれど、いつしか忘れてしまった。

 タロウが事故ったのは29年前、1990年11月、平成の即位礼正殿の儀がおこなわれた日だ。その日は事後、祭日にならなかったので、その年一度きりの休日だった。その式典の最中にタロウは原チャリで停車していたトラックに突っ込んだのだ。事故の報せを受けたときのテレビ、ラジオ、新聞、世の中すべてがお祝いムード一色を僕は今でも覚えている。平成から令和へ。時代が変わったタイミングで僕はタロウを思い出してしまったのは、そういう理由があったからだ。

 昨日。令和の即位礼正殿の儀が行われた日の朝。僕は、めちゃくちゃ久しぶり(おそらく27~28年ぶり)にタロウのお墓参りに行くことにした。平成の即位の礼は11月だったので命日より1か月ほど早い。だけど僕にとっては、昨日がもうひとつの命日に思えてならなかったのだ。29年前、たった一度きりのあの休日。朝。胃薬を飲み祝賀ムードのテレビを消して墓地へ。ガチ命日を避けたのは、おばさんとばったり会ってしまうのを回避するためでもあった。おばさんは僕と会ったら「立派!立派!」つって肩を叩いてしまう。だけど、命日くらいは立派という言葉の向こうにある僕を透かして見ている中年になったタロウではなく、ボンクラでどうしようもなく、いい奴だった16歳の素のあいつと対話して欲しかった。

雨上がりのお墓には誰もいなかった。予想通り。でも、そこにはまだ煙を出している線香と真新しい赤い花が供えられていた。予想外。おばさんも僕と同じだと気付いた。おばさんの「こんなことは言えないけれど」のあとには「あの日が休日じゃなかったら」が続いていた。線香と花が証拠。おばさんは「29年前、もし、たった一度きりの休日がなかったら」というどうしようもなくやりきれない「もし」を抱えて生きていた。立派立派と僕の肩を叩いてはいたけれども、あの立派は自分自身に言い聞かせている言葉のように今は思えてならない。どうにもならないことにも負けずに毎日を立派に生きている。そんな意味が立派には込められていたのではないか。普通、平凡、しょうもない。立派からは程遠い場所で立派にとりあえず生きている。僕もあなたも。それだけでいいし、それ以上もない。(所要時間30分)

先日、人生についてのエッセイ本を出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。