Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「正しく恐れる」とはどういうことか。

数年間音沙汰のなかった平塚のキャバ嬢みなみちゃんからの突然のLINEに激怒した。「こんばんは~最近どうしてる~?」。ふざけている。新型コロナの影響で客が激減した席を埋めるための営業。その手に乗るか。僕にもプライドがある。安全面も不安。雑居ビルのワンフロアという密閉された空間は、ウイルス感染の危険度が高い。そのような劣悪な環境で、不特定多数と接触しているギャルと濃厚接触をしたら、長年の不摂生で弱り切った中年のカラダはひとたまりもないだろう。こんなときにわざわざ行くやつはアホである。

「行かないよ」と返信。だが脳からの指令に反して、右手が勝手に動いて、「行くイク~。リンジー同伴しよ~」と返事を打っていた。新型コロナによる自粛ムードに嫌気がさしていたのだ。閉塞感を少しでも吹き飛ばしたかったのだ。昨夏から蓄積した欲求不満を飛翔体「愚息1号」に詰めてドカーンと発射したかったのだ。だが、同伴は許されなかった。客はいないはず…なぜ…。みなみちゃんによれば、店の方針でしばらく同伴は禁止らしい。なるほど、そうだよね、平常時に同伴してもらえなかったのだから、新型コロナ以後にできるわけがないよね。理にかなっている。納得だ。

案の定、店はガラガラであった。先客がひとりいた。サモハンキンポー似のおかっぱ頭の中年男。席に通されて、指名したみなみちゃんが来るまで、サモハンとギャルの会話を聞いていた。「同伴楽しかったねー」という彼らの無邪気なトークで、心に消えないキズがついた。その瞬間、ワンセット1時間で帰ると固く誓った。みなみちゃんが席について水割りをつくってくれた。彼女は、濃厚接触をおそれ、30センチほど離れた場所に座っていた。彼女とのあいだにあるソファーの黒い合成皮革は、僕に、数万光年の星屑のない暗黒宇宙を思わせた。みなみちゃんの「お店の決まりなの~」という甘い声の向こうで、サモハンが別の女性のヒザに手を乗せているのが見えた。悲しかった。分速3センチメートルで悟られぬように接近する。気を取り直して、酒をがぶがぶ飲み、正気を取り戻してから、みなみちゃんのお召し物を確認した。胸元がバックリあいていた。ウイルスなら、露出した胸元へ侵入するのも容易だろう。それから僕は「お店の女の子の服は、薄い布で出来ているのになぜ透けないのか」という哲学的な問題について考えながら水割りを飲み、尻をスライドさせ続けた。

残り10センチ地点で「別の女の子とかわりまーす」の声がした。30センチ先から別の女の子の「飲み物いただいていいですか~」というお決まりの台詞。この繰り返しで時間は過ぎていった。軽いタッチも甘いアフターもなかった。こんなときにわざわざキャバに来る奴は、アホだと思った。空いているからチヤホヤされるだろう。ピンチの店を助けている俺は救世主的な何か。アフターも余裕でオッケーだろう。デマやパニックに巻き込まれない平常心の俺はかっこいい。完全に間違っている。はっきりいって、新型コロナ下でもブレない自分をアッピールするのは痛々しいだけである。「日常を生きている」を不自然にやっているから、店側がいつもと変わらずに淡々とサービスを提供していると「あれ、こんな日に来店しているのに何か冷たくない?こんなときだからこそ僕らは絆を深め合うはずなのに」と悲しい気持ちになるのである。

新型コロナ騒動でわかったのは、こういうとき、突然正義に目覚めて、薄気味悪いことを言いはじめる人間は信用できないということだ。普通にやろう。日常を崩さないようにしよう。正しく恐れよう。そういう普段言わないことを言いだすことがすでに普通ではない。正しく恐れる?それが出来ないから、人類は戦争を繰り返しているのではないか。

恐れるときは恐れればいい。正しく恐れるとは、恐れないことではない。おおいに恐れることだ。まずはおおいに恐れればいい。イヤになるほど慄けばいい。臆病になってもいい。そこからはじめることで道はひらける、帰路、公園に立ち寄ってスプレーとジャスミン茶で1時間のキャバクラを隠蔽するのを怠らなくなる。自戒をこめて繰り返す。正しく恐れるとは、恐れないことではなく、おおいに恐れることである。(所要時間20分)