Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

水曜日、午後4時、喫茶店にて。

その喫茶店に入ったときに覚えた違和感の正体は、注文するときに分かった。注文を取りに来た店員の男の子は、ニット帽、ダボダボのジーンズ、クマの顔が描かれたエプロンという格好をしていたので、僕は勝手に10代の男の子だと思っていた。だが、彼は、20代後半か、もしかしたら30代前半の立派な青年だった。彼は「ブレンドコーヒーですね。ブレンドコーヒーですね」と場違いな大声で注文を繰り返した。そのとき僕は彼に障がいがあることを知った。

市役所の近くにある喫茶店。店内には子供が描いたような水彩画がいくつもかけられている。カウンター席には僕のあとに入ってきた老婦人。奥のテーブル席で、流れてくるバート・バカラックを聴きながらコーヒーを待っていると、ドアの開閉を知らせるベルが鳴った。若い母親と保育園児くらいの男の子の二人連れが、入口そばのテーブル席に腰をおろした。

「ブレンドお待たせしました」店員の彼がコーヒーを持ってあらわれた。コーヒーとミルクの入った金属製のポットをテーブルに置くと、「伝票失礼します!」といって彼は去っていく。コーヒーにミルクを入れ、カフェインの力を借り、仕事に集中する。だが「ちょっと!いつも、言ってるでしょ!」というキツめの声が僕の集中を蹴散らしてしまう。「いつも」に力が入っているように聞こえた。声の主はカウンターのご婦人。傍らには店員の彼が針金みたいにまっすぐに立っていた。エプロンのクマが、アンバランスで、緊張感を削いでいた。

「いつも、言っているでしょ。ミルクは要らないって言っているでしょ。苦手なのよミルク。あーもう!」とご婦人は彼を叱りつける。そんなことで…ガチで怒るなよ…ミルクに手をつけなければいいじゃないか…めんどくせえ人だなあと僕は呆れてしまう。対応に困るおどおどする彼の姿が、ご婦人のボルテージは上げていく。「ねえ。聞いてる?分かる?言っていること」「わからないの?」と詰問するご婦人に僕は、常連だったら彼のこと、わかっているだろう、いい加減にしろよ、とムカつきつつも、この手の面倒には関わらないほうがいい、という心の声に従ってスルーを決め込んでいた。

そのときだ。あの男の子が、老婦人のところへ近づいてきて、「おばさん、ミルクいらないなら、僕がもらってあげるよ」と言ったのだ。それは魔法の言葉だった。バカな大人たちの時間を止める魔法の言葉だった。老婦人が何かを話していたけれど僕には聞こえなかった。男の子は、ミルクのポットを取ると母親の待つ席へ帰っていった。大人たちは何ごともなかったようにふるまって誤魔化すしかなかった。

情けなかった。魔法なんかじゃない。僕らが愚かだから、男の子の普通の行動が、魔法に見えたのだ。店員の彼とクレイマー婦人の間に入って「やめなさいよ」と言う。たったそれだけのことが出来ない自分が情けなかった。僕は経験と学習であらゆる問題を解決できるようになったと自負しているけれども、それ以上に、面倒から目を逸らすのが上手くなっているだけなのだ。面倒、関わりたくない、得にならない、いつからか僕はやらない理由ばかりを探している、損得勘定ばかりしている。

はかどらない仕事にイライラしていると声がした。母子が会計を済ませて出て行くところだった。窓の外の人になった二人は手をつないでバス停のほうへ歩いていく。楽しげに何か話している。気が付くと、店員の彼が親子のほうを向いて敬礼していた。他の店員も彼と同じように敬礼していた。それはピシっと決まっていて、ロンドン、パリ、ニューヨーク、世界中のどの警官隊よりもカッコいい敬礼だった。エプロンのクマもまっすぐ男の子を見つめていた。僕は、この瞬間を心に焼き付けるつもりで見つめながら、あの敬礼を受けられるような人間になりたいと思った。心の底からそう思ったんだ。(所要時間20分)