Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

15年前に僕をバカにした人物が客となってあらわれた。

罪を憎んで人を憎まず。そうやって、ずっと生きてきた。先日、部下氏に請われて商談に同席した。事前に来客の社名と役職は確認していた。だが、応接ルームで面談相手の営業課長を見た瞬間、15年前にタイムスリップした。

当時、僕は今と同様に食品業界で営業マンとして働いていた。とある見込み客にサンプル食材を持って訪問したときだ。対応してくれた担当課長は「これをその値段で売るなんておかしいんじゃないか。ウチの柴犬も食べないよ。外国製でもっといいものが半値で買える。頭を使いなさいよ。何年業界にいるんだ?」と当時飼い始めた飼い犬の名を出して、僕を嘲笑した。男の名前は覚えていない。名刺交換どころか、「これはいらないわ」と名刺を突き返されてしまったのだ。

その男が15年後、愛想笑いを浮かべて僕に名刺を突き出している。歳は取って体型は変わっているが面影はある。間違いない。奴だ。自己紹介をしながら名刺交換。顔をあげた瞬間、目を合わせようとすると、男は目をそらした。この男は僕の存在を認識していると直感した。だが社名が違う。名刺を見下ろしながら「社名、変えられました?」とたずねた。「数年前に」と男は答えた。声に動揺がみられた。確信した。こいつは確実に僕を知っている。だが、商談をまとめるために知らないふりを通そうとしている。そうはいくか。僕は屈辱を忘れない。チャンスだ。15年前、僕にしたように弄んでやる。

男の話を要約すると「今回のコロナ騒動で外国産の商品が入らなくなって困っている、事業継続のために取引がしたい」であった。ビジネス面でいえば、条件さえあえば、新規取引先ができる絶好のチャンス。断る選択肢はない。個人的な恨みを晴らすチャンスでもある。だが、仕事とはいえ、かつて名刺を突き返し見下した相手に頭を下げるだろうか。プライドはないのか。まさか僕を忘れたのか。それは困る。復讐を完遂するためにも、思い出してもらって、かつて馬鹿にした相手に頭を下げる恥辱を味わってもらわなければならない。情報を小出しにしてみた。「以前、〇〇社にいましてね」「そうですか」「御社のあるエリアを担当していました」「なるほど」「当時は営業に行っても相手にされないことがありましてね、名刺を突き返されたこともありましたよ」「大変でしたね」男は淡々と相槌を打つばかりであった。

自信がなくなってきた。15年前の記憶だ。記憶の解像度は落ちている。他人かも。僕を嘲笑した男は上から目線でもっと自信に満ち満ちていた。ところがどうだ。目の前にいる男は!上目づかいでビクビクして、似ても似つかないではないか。15年も課長をやってるのもおかしい。この人は…他人だ。さーせん。僕は部下氏と男が商談をすすめるのを黙って眺めた。復讐心から妄想を膨らませていた自分が恥ずかしくなったのだ。穴があったら入れたい気持ちだった。商談はまとまった。

エレベーターが降りてくるのを待っているとき、気が緩んだ僕は「チロは元気ですか?」と口に出していた。男は「昨年、亡くなりました」と何気なく言うとエレベーターに乗って頭を下げた。口もとが笑っているようにも見えた。営業マンは犬の名前を忘れない。そういうものなのだ。(所要時間17分)