Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

夫婦ふたりで切り盛りしてきた小さな料理屋が静かに暖簾をおろした。

新型コロナウイルス感染拡大を受けて、僕の生活圏に緊急事態宣言が出るらしい。すでにサービス業を中心に影響が出ている。僕の周辺でも、先月の終わりに、ときどき顔を出していた料理屋がひっそりと営業を終えた。昭和40年頃から営業している、オヤジさんとオバちゃん二人で切り盛りしてきた、昼はラーメンからカツ丼、焼き魚、夜は酒とおつまみを出す、カウンターとテーブル2卓の小さな店だ。愛想も換気もよくない、安いわけでも特別旨いものを出すでも、その土地の食材を出すわけでもない、いかにもかつかつでやっているような、そんな店だ。

オヤジさんは80近い高齢だが、まだまだ元気だ。「常連さんが来てくれるうちは…」と頑張っていたが、先月からの売上ガタ落ちで辞める決心がついたらしい。何十年もやってきた店。積み重ねてきた年月の重さに似つかない、入り口に貼られた一枚の紙切れ、「閉店のお知らせ」。政治家は「自粛のお願い」と簡単にいうけれども、そのお願いの重さをわかっているのだろうか。感染症を抑えるために必要であることはわかっているけれども、せめて、その言葉が、数多の小さな店とそこに集まるささやかな営みを大波のように飲み込み、ブルドーザーのように押し潰している力を持っていることを、自覚してほしい。庶民にとっては取り返しのつかない犠牲を払わなければならないお願いになりうることを、知っていてほしい。

僕は、平凡きわまりない味のチキンカツ定食を食べながら、昭和、平成、令和…平凡のひとことで片付けられない店の歴史を想った。店の壁にはってある茶色に色あせた手書きのメニュー。「ライス大盛りプラス50円。小盛りでも値段は普通盛りと一緒です」の注意書き。棚に並ぶ札のついたボトル。歴史の教科書にならないしょぼい庶民の歴史が消えていく。「新型コロナウイルスさえなければ」という言葉を、長年戦ってきたオヤジさんに向けるのは失礼だろう。いつからかオバちゃんの姿を見なくなった。オヤジさんとオバちゃんが二人つまらなそうな顔で並ぶツーショット写真が、大村崑が黒縁眼鏡をずり下げているオロナミンCの看板のとなりにあった。

「悔しいねえ」とオヤジさんは言った。歴戦の戦士の「悔しい」の言葉を前にして、僕は何も言えなくなってしまった。匠の技で極限まで薄くしたチキンカツの平凡な味を惜しむことはないが、オヤジさんとの別れがこんなふうになってしまうのは寂しい。「コロナですか」僕はなんとか言葉を絞り出した。オヤジさんは笑顔を浮かべた。可愛がっていた野良猫が姿をあらわさなくなってときに浮かべるような、寂しげな笑顔だ。「コロナじゃない。常連のせいだ。常連がツケを払わないで死んだり病気にかかったりして店に来なくなったからだ」オヤジさんは言った。「常連どものツケがなければ、こんな店いつ辞めてもよかったけどさ。ここまでズルズルやってきたけれども、これですっぱりヤメられる。コロナ様様だよ。今、コロナのせいにして店をたためば、カッコつくし、うまくいけば補償がもらえるかもしれないだろ。コロナありがとうよ!」

強がりなのか、本音なのか、僕にはわからなかった。コロナごときで人生を否定されてたまるか、とオヤジさんが叫んでいるように僕には聞こえた。そこにあるのはプライドでは食っていけないことを身に沁みて知りつくしている男の、逞しく時代を生きぬいてきた誇り高い姿だけだった。オバちゃんは店に嫌気がさして顔を出さなくなっただけらしい。これから何が起こるかわからない。だが、どんな未来がやってこようと、あのオヤジさんの店のタフな生き様を思い出せば、僕は生き抜ける気がしてならないのだ。(所要時間21分)