Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

行方不明のご近所さんを捜索していたら「パンドラの箱」を開けてしまった。

過日、日曜の朝、土曜の夜から行方不明になったX氏を捜しにいった。Xは同じ中学に通っていた友人Yの父親で、僕は30年以上前のしゃきっとした姿しか知らないけれども、最近は認知症を患っていたようだ。そのXが土曜の夜9時に出たきり、行方不明になった。そして、近所の有志で捜索隊が結成された。軽度の認知症、足腰の弱体化、体力の衰え、思考の硬直化といった高齢化の症状いちじるしい捜索隊の現実を直視して絶望した母が、「土曜の夜からXさんがいないのよ。手を貸して」と超慌てて僕に助けを求めてきたのだ(友人Yは関西地方に在住)。

Xが最後に目撃された地点は隣市に向かう県道である。県道沿いはおそらく警察が捜索しているし、防犯カメラやドラレコも頼れるから、我々は人が通らない県道と市道から入った山道を捜索することになった。山道を、おーい、おーい、とXの名を呼びながら、歩いた。僕の声だけが響いた。シニア捜索隊は声を出すのもしんどいようで、声をあげる者はいなかった。「声を出していきましょうよ」「頑張りましょう」と声をかけた。驚いた。彼らは元気はつらつだったのだ。虫の息ではなく、ただの無視の域であったのだ。こうやって自身にとって都合のいい情報のみをゲットして、あとは聞こえないフリをするのも、無理せず老いていく知恵なのだろう。

僕は何か動くものがあっても見落とさないように、背をまっすぐに、視界を確保するようにして歩いた。Xは80代の高齢で、足腰も歳相応に弱っていたので、それほど遠くへ行けない。必ず見つけられる。山道を歩く。尾根に出て視界が開けるたびに、僕は背を伸ばして遠くまで見渡した。人の姿はない。シニア捜索隊は下を向いたまま、拾った木の枝で藪を叩いたり、山道の脇にある溝の中を眺めたり、おーいお茶を飲んだりしていた。山道を下る。片側は緩いガケだ。一番若い僕が最後尾になって高齢者の列から落伍者が出ないよう注意しながら進んだ。彼らは視線を上げずに下を見ながら歩いていて、時折、立ち止まっては左右の手が届きそうなヤブや木の陰を注視しながら歩いていた。「ガケ崩れ危険」とペンキで描かれた看板が崩れていて、その下をのぞき込んだりしていた。生きているものを探している姿ではなかった。諦めてしまっているように見えた。Xの最後の姿からまだ半日しか経っていない。最後を最期にしないために僕らは、いや僕は山道を歩き続けた。僕の声だけが山と谷に虚しく響いた。

午前中いっぱい歩いたが戦果ゼロ。いくらシニア捜索隊とはいえ、Xが僕らより速い速度で山道を歩いたとは思えない。なぜなら彼が同じルートを辿ったとしても、時間帯は夜間から早朝にかけてで、その闇の中を認知症を患ったXが僕ら以上の速度で歩けるはずがないと推測されたからだ。午後は午前中かけて来た道を戻るのみで、事実上、本日のゲームは終わりだ。捜索本部(僕の実家)にいる母にゲームセットの連絡を入れた。母はXの家族が捜索に対して協力的でないことを嘆いていた。「家族が本気にならないと…周りで出来ることには限界があるよ」「そーだね」「もっと家族のあいだで話あってもらわないとねー」「そーだね」と相槌を打ちながら母の言葉を聞き流した。

家庭にはその家庭の事情がある。外にいる者がそれを正確に知ることはできない。認知症のX。老夫婦だけの家。距離を置いている家族。いろいろなパーツからなんとなく全体像は想像できるけれども、それが実体かどうか、実体からどれくらい外れているのか、永遠にわからない。そして長い時間を共にしていた家族間でも分からないことがある。Xは痕跡を残さずに去っていった。家族に何も語らず人生から去ろうとしている。それでいいじゃないか、母さん。どれだけ言葉を尽くして語りつくしたとしても完璧に分かりあえることはない。生きることは花のようなものだ。時間とともに花びらは散っていく。花びらがなくなったら花の一生は終わる。散った花びらがそのまま腐ろうと、誰か知らない人の手で花束になろうと、花自身は知る由もない。それだけのことだ。

それでも僕は諦めムードを隠そうとしないシニア捜索隊にはムカついていて、その愚痴を電話の先にいる母に話した。「土曜にいなくなったのにジジイたちが諦めてしまって真剣に捜そうとしないんだよ」母の回答は意外なものだった。「それは無理でしょ。もうダメだと思うわ」母は諦めの悪い人間だった。勝負は勝つまでやめないタイプ。その母の諦めの言葉に、ガツンとやられた。僕は頭を殴られたように、母の老いと、彼女がXのように人生から去っていく日もそう遠くはないという揺るがない事実を思い知らされた。「母さんトシ取ったね…。そんなに諦めのいい人間になるなんて」僕は言った。

母は「先週の土曜日から丸一週間いないんだもん。さすがに無理っしょ」と明るく笑った。土曜って昨日かと…。僕の家族には言葉が足りない。圧倒的に足りていなかった。それから周りで座っていたシニアから「見つけても運べるかなあ」「運ぶのは若手の仕事よ」という声が聞こえてきて魂が死んだ。(所要時間28分)

こういう世知辛いエッセイをまとめた本を去年出した。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。