Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕たちは五輪をあきらめない。

未来の話だ。2681年夏、東京。巨大スタジアムのメインスタンドの前にジャージ姿の老人が立ち尽くしている。老人が立っているのは、セパレートレーンのスタート地点だ。スタンドには誰もいない。スタンドだけではない。スタジアムには老人以外の人影はない。彼の傍らにはタイムを競うライバルもいない。弱り切った彼の足腰は、陸上選手のようなスタート姿勢に耐えられなくなって久しい。老人は「よ~いドン!」と囁くように声を出して走り出した。一歩。二歩。その走りは、食後の散歩のようだ。歩みは遅い。それでも彼は確実にゴールへ向かっていた。25mを過ぎたところで、老人はバランスを崩した。転びそうになる彼を支えたのは、学生時代、スポーツに挫折した記憶への反抗心だったかもしれない。失速した老人は立ち止まって目をとじた。耳を澄ませた。人々の声が聞こえる気がした。歓声。喧噪。その音は、スタンドより遠くから聞こえた。彼はかつて行われるはずだった五輪のスタンドから時空を超えてきた声だと思った。老人はふたたび走り出した。彼の心のなかに、子供の頃、周りの大人たちから中止になった東京オリンピックの話を繰り返し聞かされた記憶が蘇った。「日本が、東京が五輪をやっていたら」というifを考えることは少年期、青年期を通じて彼のテーマだった。五輪中止はいたしかたのない理由だったと彼は自身に言い聞かせてきた。彼は見た。彼を包み込む胎盤のようなスタジアムを。人は、ここから五輪を産み落とされるのを拒めない。スタジアムは、過去にARASHIという国民的グループが解散ライブを催したときの姿をとどめている。日本の技術と歴史を体現した木の籠。これを木棺にしてはならない。それは悪魔の所業だと老人は断じた。老人は歩みを止めなかった。息は切れ、足の筋肉は悲鳴をあげた。限界だ。「さ~ん」老人は自分の名を呼ぶ声を聞いた。スタジアムの遥か彼方から聞こえてくる幻聴がふたたび聞こえてきたのか。私も老いたものだ。彼は頭を振って、一歩また一歩とゴールテープのないゴールへ進んだ。視界がかすんだ。地面が揺れた。また自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。老人はバランスを崩した。カラダを地面に打ちつける…覚悟したダメージがない。彼の体を支える者がいたのだ。老人の体を支える者もまた老人だった。時の総理大臣を会食の場に呼び出して己の権力を誇示した彼もジャージ姿になれば一人の老人だった。「水臭いじゃないか。実行委員長」二人の老人はまるで二人三脚のようにゴールへ向かった。両者の足は糸でこそ結ばれていなかったが、利権でしっかりと結ばれていた。老人ふたりはクララのような足取りでゴールに辿りついた。すると「お疲れ様でした!」とやけに低姿勢な老人がタオルと水を持ってあらわれた。お疲れ様でさえ原稿を読むような調子であったので、誰の心にも響かなかった。東京五輪万歳!万歳三唱する老人3人を「密ね…」と冷ややかな感情を持って見つめる女の姿がスタンドのマスコミ席にあった。皇紀2681年、令和3年夏。1940年五輪中止の悲劇を繰り返してはならないという老人たちの執念が、無観客、無選手というかつてない五輪を実現させた。そして、老人が耳にした喧噪は幻聴ではなかった。老人たちの自己満ショーが行われたスタジアムの外では病院に入れない感染者のうめき声と、ゴールをみつけられずにさまよう何百台もの救急車のサイレンがうねりとなっていた。(所要時間17分)こういう文章をおさめた本を出しました。ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。