Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

プペルとゆとり世代と昭和の価値観が令和を生きる私を壊す。

テレビに出ているような有名人や若手社員が「爪痕を残す」という言葉を、好印象を残す、成果をあげる、といった良い意味で使っているのが気に入らない。言葉が時代時代にあわせてアップデートされるのが嫌なのではなく、もともとの好ましくない物事についての言葉であることを知らずに使っているのが嫌なのだ。以前、社内での打ち合わせで若手社員が、「令和を生きている顧客は、事実上平成30年代から生きている人たちであり、つまり彼らのニーズは平成と地続きであり断絶はしておりません」などと、どうでもいいことを言葉で飾り立てて報告していた。なるほどなるほどと感心を示す一部上層部を除けば、その場は白けきっていた。なぜ大げさに言うのか。「会議で爪痕を残すためです」が彼の答えであった。新型コロナで先行きの見えなさから、今、自分に出来ることを最大化している。そう語る彼の目は輝き、眩しすぎて背けたいほどでした。僕は彼が恥をかかぬよう、「爪痕を残す」の本来の意味を教えておいた。

後日、当該若手社員が少々面倒くさい顧客とちょっとしたトラブルになり、僕が仲介することになった。彼の説明不足を発端としたトラブル自体は解決したが、その他の要因もあって条件を再調整する必要がでて契約は伸びてしまった。最悪、話は立ち消えになるかもしれない。彼は反省の弁を「爪痕を残しましたよ」と締めた。言葉の使い方としては正しい。最低限の学習能力が確認できて良かった。

緊急事態宣言が出て、見込み客の担当者がほぼ在宅勤務になった。それは対面営業をベースにした昭和から続いてきた営業術が終わった瞬間であった。言葉と同じように仕事のやり方も時代にあわせてアップデートしていかなければならない。新型コロナ時代では、直接の対面は最小限に止めるべきであり、アポなし訪問は問題外になる。だが人間は簡単に変われない。

だが、会社の一部上層部は、昭和のノウハウとバブルの栄光を捨てられなかった。彼らはこう言った。「相手が在宅勤務をしている。競合他社は訪問を控える。それは絶好の好機だ」。彼らが言わんとすることは、見込み客が在宅勤務をしていて、競合他社が手を出さないのなら、我々が自宅まで行って誠意をみせるだけで、一本釣りで契約が取れる、ということであった。誠意。足を棒にする。顔を売る。昭和の価値観でこの難局を押し切ろうという考えであった。寒気がするくらいの昭和。地獄だ。

だがこれは地獄の終わりではなく始まりであった。当該若手社員をはじめとする若手が、それいいっすねー、と上層部に同調したのだ。昨今の営業活動や仕事で目の当たりにしている閉塞感を打破できるかも、という謎の期待感からであった。昭和の亡霊に若手の体力が加わった。こうして、競争を避け、ほめられて育てられたゆとり世代と、昭和の価値観の悪魔合体がなされた。「在宅を狙って爪痕を残しますよ」 正月休みにプペルを観て《あらゆる障害を排除して夢を追うことの大切さ》を学んだと語っていた若手社員は言った。彼が曲解した、映画が伝えようとしていたメッセージを確認する前に、僕は、営業部長としてこの地獄ムーブだけは絶対に鎮圧しなければならない。(所用時間17分)こういう社畜エッセイをまとめた本を出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。