Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

たった1枚の紙切れで10年間の夫婦関係が…

「ちょっといいかな」妻は言った。3月中旬の朝。ダイニングテーブルの上のマグカップからはコーヒーの湯気が立っていた。「なにか…」と僕が言おうとするのを遮るように、彼女は「これ」と言った。彼女の前には一枚の紙が置かれていた。いつからそこにあったのだろう?まるで魔法のようにその紙はあらわれた。それが意味するものは明確で、内容を確認するまでもなかった。言葉は神だ。もし紙に書かれたものを読み上げたりすれば、それは現実になってしまう。その現実を認めることになる。

その紙が示す現実はひとつだけれど、受け入れる僕らには二つの終わりが提示されていた。はじまりと終わり。僕らは結婚して10年になる。暴かれた僕の罪によってこの関係は終わろうとしていた。線香花火の終わりのように最期に輝きを放つこともない、ただのジ・エンド。罪刑法定主義によれば、《犯罪とそれに科せられる刑罰はあらかじめ法律に 規定されている範囲にかぎられる》。法が変われば罪も変わる。罪でなかった行為も罪になる。我が家の法は妻である。妻という法によって僕は裁かれ断罪されるのだ。

真向いに座っている彼女はその紙を僕のほうに押し出し「観念しなさい」と言った。「こんな一方的なやり方はフェアじゃないよ」僕は言い返した。「そうかしら」と彼女はいうと紙に書いてある言葉を読み上げはじめた。言葉はシンプルだった。シンプルがゆえにひとつの意味しかなく、逃げ道になりうる他の意味は見出せなかった。僕は「死刑宣告を受けるときってこういう気分なのかな」と思いながら静かに聞いていた。「ヨコハマー〇ワッピング」「ハレンチ・ドット・シーオー・ジェイピー」「FINISHにて常連カードと交換いたします」妻は冷静に僕の罪状を読み上げ「反論は…ないよね」と断罪した。

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▲2021年4月13日時点で回収された2枚

なぜ、今これが、どこで、なぜ、どうして、誰が、という数多の疑問はある。それ以上に僕は、独身時代のロックな活動を正当化することの難しさの前に打ちのめされていた。10年前に処分したはずのロックな黒歴史。なぜこれが2021年に復活するのか。2001年は無罪でも2021年には重罪。粗雑なつくりのカードには日時西暦記載がなかった。2001年に使われたものであるという証拠はない。僕が反論を考えていると、妻は「ハレンチ・ドット・シーオー・ジェイピー」「ハレンチ・ドット・シーオー・ジェイピー」と繰り返した。そこには反論は受け付けないというダイアモンドの意志があった。

弁解も認められず、赦されもしなかったけれど、執行猶予はもらえた。妻からは高級エステおよび形成外科代を出すよう求められた。ざっと計算して僕の平日ランチ代(約300円)の10年分の金額であった。選択肢はなかった。僕に出来ることは、妻が「私が綺麗になったらキミも嬉しいでしょ」と勝利宣言するのを平伏して受け入れることしかなかった。おそろしいことに彼女の手にわたった紙はまだ他にもある。その数が死海文書ほど多くないのがせめてもの救いだ。(所要時間18分)

このような世知辛いエッセイ満載の本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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