Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

客が殺人で捕まった。

20数年前、新卒で入社して1年目の秋に、香辛料を扱っている会社の担当を任された。代理店業務だ。海外から輸入した香辛料の原料を、指定された日時に工場へ納品する仕事。取引相手の会社はS県に本社があり、商品はI県にある現場にコンテナで届けていた。僕が入社した時点で、すでに長く、安定して、続いていた仕事で、大きなトラブルが起きたこともなく、取引額もそれほど大きなものでなかったので、無駄に大きな仕事を抱えた部署のなかで、新人が任される初めての仕事としてうってつけだった。

仕事上、会話といえるものは、I県にある現場の担当者との電話での連絡や打ち合わせがあったくらいで、S県にある本社にいる社長その他と話をする機会は限られていた。それでも月に何回かは商品の入荷予定の確認で話していた。仕事自体はベリー・イージーで、基本的なことはすぐに覚えてしまった。引き継いでから数か月間、トラブルは何もなかった。「はいっ。〇〇でっす(会社名)」と会社名のみで対応する納品先のI県の現場の担当者のオッサンと、雑談こそないものの、コミュニケーションも円滑で、何も問題はなかった。「はいっ。〇〇でっす。手続き終わった?そしたら今週末の午後イチにいつもの感じで貨物つけて」「わかりました」というふうに。ときどき植物防疫所の検疫に立ち合うことをのぞけば面倒は何もなかった。

無風状態にありすぎて油断があったのだろう。担当して半年ほどたった日。指定された時間に納品できないというトラブルが発生した。手続きに予想外の事態による遅れが出てしまったこと。物流会社のドライバーが急病で代理の人間の手配が遅れてしまったこと。それから首都高で大きな事故が起きてしまったこと。そういった不幸が重なってしまったこと。なにより、担当者である僕の状況把握と連絡の遅れが、約束した納品日時に貨物が届かないという失敗と連絡の遅れによる現場の混乱というさらに大きな失敗を起こしてしまった。完全に担当者である僕のミスと怠慢が原因だった。

現場のオッサン担当者は、半年経ってもあいかわらず電話に出る時は会社名しか名乗らず淡々としたやり取りに終始する人だったけれど、そのときばかりは、いかにも「現場あがり」というような、荒っぽい言葉で僕を叱った。いや、罵った。仕事をナメているのか。バカにしてるのか。謝ればすむと思っているだろ。バカヤロー。ぶっ殺すぞ。何か言えよコノヤロー。そういう類の言葉だ。「そこまで言わなくても…」と思ったがが、非は完全にこちらにあったので、謝罪するしかなかった。

後日、対策案を携えて上司とS県の本社を訪れた。社長さんは穏やかな性格の人で、当時50才くらい。「これからは頼むよ」のひとことで謝罪と対策案を受け入れてくれた。作業工程が丸々ボツになってしまったのだから、現場のオッサン担当以上にハラワタ煮えくり返っていたはずだ。僕は現場のオッサンのように罵倒してくれたほうが気が楽なのにと思った。なんというか人間としての格の違い、余裕を見せつけられた気がして、それがかえって、じわじわと責められているような気分がしたのだ。実際、その後しばらくは、社長の穏やかな声を聞くたびに、僕は負い目を感じることになった。現場のおっさんの罵倒は、厳しいものだったけれど、そのぶん、あのときかぎりで、後には引っ張るような感じはなかったので気が楽だった。謝罪の席の終わり、僕は社長に「現場の担当者の方にもあらためてお詫びをしたいのですが」と申し入れた。「ああ。それは別にいいよ」と社長は言った。それだけで終わってしまった。

トラブルから1年も経たないうちに、その社長が捕まった。殺人だ。同僚を殺してしまったのだ。保険金をかけて。計画的に。僕は、25年間の会社員生活のほとんどを営業マンとして過ごしてきて、偉人、変人、奇人、超人、凡人いろいろなタイプの人間を見てきた。チャンスやピンチもあった。チャンスを大ピンチに変える上司もいた。事件や事故や病気で命を落とす知人もいた。けれど、衝撃度という点でいえば、打ち合わせや電話で話をしていた人、日常の一部であった人が、突然、殺人犯になってしまってしまったことを超えるものはない。

社長のワンマンに近い形態で経営をしていた会社(と思われる)だったので、業務は完全に止まってしまった。コンテナに入った商品と売掛が残った。電話をかけても繋がらなかった。上司からは「お前さ、仕事で話をしているときに相手が人殺しだってわからなかったのかよ」と無茶な詰め方をされた。「犯罪者はさ、顔つきや声が普通じゃないから、気付くんだよ。変化に気付けない営業は営業失格だ」と言われた。電話越しで話している人のことを「こいつ人殺しているのかな?」と疑いながら生きている人が名探偵コナン君以外に存在するのだろうか。

確かに、ニュースで知ることになった社長が事件を起こしたと思われる日時も計画殺人を立案して準備をしている期間も、僕は普通に電話で話をしていた。社長も普通に来月の予定や今後のスケジュールも教えてくれた。だが、普通ではないことは普通ではないことのなかで起きるのではない。普通のなかにこそ普通ではないことが起きるのだ。普通ではないことは普通の顔をして、いつも僕らのまわりにある。何かのきっかけで姿をあらわすものもあれば、永遠に普通の顔をして終えるものもあるのだ。上司に詰められて、S県にある本社まで足を運んだけれども、何も収穫はなかった。その会社との取引も終わり、幸いなことに、売掛を回収することも無事にできた。その会社は解散したと誰かから聞いた。僕は、つい先日まで、ずっと、あの穏やかな社長と凶悪な事件とを繋げられないでいた。

事件の衝撃が大きすぎて、ディティールは損なわれてしまっている。爆風のように、あったはずのあらゆる感情を吹っ飛ばしてしまい、僕のなかでは「ウソ!」「ショック!」という感嘆詞をもって片づけられてしまっている。2021年になって、当時の僕が知らなかったことが掘り返されて、衝撃199Xが恐怖2021に変わった。きっかけは当時の先輩同僚との横浜駅前での偶然の再会だ。

かつての先輩は、僕との共通の話題を見つけるのを諦めてしまうと、当時の仕事で印象に残っている人や出来事をあげていった。「あの人は会社を辞めて…」「あの会社は事業を売却してしまったらしいよ」彼は軽い気持ちから、「そういえば人を殺してしまった客のこと覚えているか?」と訊いてきた。もちろん覚えていた。忘れられるはずがない。その先輩から僕はその仕事を引き継いだのだ。「いろいろ大変でしたよね」と僕は言った。そして僕のミスから起こったトラブルとそれにまつわる謝罪のエピソードを話した。「現場のオッサンからは怒鳴られたけれど、社長からは優しくされたんですよ。でも、レクター博士みたいに、一見、紳士的な人が殺人を犯してしまうものなのかもしれないですね…」と切りだして、僕は社長の態度に対する違和感とその後しばらく気がかりになっていたことを先輩に話した。

先輩は「おかしいなそれ」と反応した。僕は、先輩も僕が覚えていた違和感に同意してくれた。そう理解したが違った。先輩は「あの社長…普段はI県の現場で仕切って対応もしていたはずだぞ…」と言った。怒鳴り散らしていた現場オッサンと優しくしてくれた社長は同じ人物でまちがいないと先輩は断言した。先輩は担当しているときに、たまたま訪れた現場で社長が他の電話にバイオレンスな口調で激高しているのを観たことがある、だから間違いない、と根拠を教えてくれた。「ワンマンだったから現場の仕切りも誰にも任せていなかった」「厳しい口調ではあったけれども、ぶっ殺す、みたいなヤバい言葉は使っていなかったと思うぞ」とも先輩は言った。きっと、何かのきっかけ、道を踏み外してしまううちに、激しさのなかに、ヤバさが混じるようになったのだろうと僕は考えた。

社長=現場のオッサン。片方は電話越しであるという要素はあっても、同じ人物とはまったく思えなかった。完全に別の人格だと思っていた。ずっと。だから、現場の方にも謝罪したい、と申し出たときに、別にいいよ、と言ったのか…。別人レベルの穏やかさと激しさ。社長の中にあったものが20数年後にやっと見えた気がした。従業員をうまく話をして保険金をかけさせ、暴力的に撲殺した事件。事件のすべては彼の中にあったように今は思える。普通の顔をしているなかにこそ普通ではないものはあるのだ。

後日談がある。「犯罪者はわかるだろー」と僕を詰めに詰めた上司は、あれから3年後に会社の金を横領していたのがバレて立派な犯罪者になった。僕はまったく気が付かなかった。「犯罪者は普通じゃない」とかよく言えたものである。

今、僕は業界をかえて食品会社で働いている。先輩との再会で思い出したあの会社がどうなっているのか知りたくなってネットで調べてみた。会社名で検索するとあの殺人事件の記事がヒットする(多分検索すればわかってしまう)。ワードをかえて検索したらまったくちがう会社名になって事業継続していた。代表者こそ、かわっていたけれども、よく、あの状況から…立ち直ったものだ。道を外さず普通であり続けること、外れたかな?と気付いたとき、普通に立ち戻る強さは、それだけで価値があるものなのだ。この事件のことを振りかえるたびに僕はそんなことを思いだすだろう。(所要時間55分)

こういう人間交差点なエッセイ満載の本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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