僕は食品会社の営業部長、自分で言うのもなんだが部下に慕われている部長と自負している。その証拠に、先日、休みを取ろうとしたら、部下の一人が気を使ったのだろうね、「いてもいなくても同じですから休んでください」と言われた。一瞬、思うところはあったけれども、ポジティブシンキングで目指していた自由に発言できる風通しのいい組織の証明ととらえた。実際、営業部を今の体制に変えたのは僕なのである。
4年前、僕は中途入社した。それまでの経験から案件の発掘から成約まで一人でやりきってしまう営業マンを揃える営業組織に限界と疑問を感じていて、意見を同じくする社長のもとで、これまで組織を変えてきたのだ。ホークアイで見込み客を見つけ、マジカルトークで有力案件に育て、ミラクルな企画提案で契約を取るスーパーな営業マンを僕は否定しない。でもスーパーマンに依存した仕事のありようは組織としては正しくない。スーパーマンが退職したときに抜けた穴の他に何も残らないからだ。任せていた案件は停滞し、最悪、消滅する。
僕は四半世紀の営業人生で、突然辞めた同僚から引き継いだ見込み客に「あの人だから耳を貸して話を聞いたのに~」と何度も言われてきた。同業他社へ転じた同僚に顧客をもっていかれたこともある。仕事の属人化だ。経験から属人化のマイナス面はプラス面より大きいと確信した。だから変えた。
現職の営業部も僕がやってきたときは数字をあげるベテラン営業マンの個に依存した組織だった(1)。ベテランたちの仕事はブラックボックス化していた。部署内でも抱えている顧客はわかっても進捗や詳細は不明だった。危うさを覚えたのは、彼らが、会社内での立場が微妙になったとき(ノルマ未達などで)、容易に顧客を手土産に同業他社へ移ることができることに気づいたときだ。
そこでチーム制に変えた(2)。市場調査と見込み客発掘から有力案件化までの営業活動、企画提案まで営業マン個人ではなくチームで担当して成約までもっていく組織にした(以前このブログでも書いた)。
その結果、個に依存しないぶん、新規開発数と成約数は安定した。ベテラン3人はやり方が合わないといって退職したが、見込み客や案件も引き抜かれる事態にはならなかった。
残念ながらうまくいかない点もあった。時間の経過とともに新規見込み客の発掘が停滞したのだ。見込み客が有力案件となり企画提案へと段階を進むにつれて、新規発掘に投じるパワーが減ってしまったのだ。また、1の個に依存していた体制では出来ていた尖った提案営業がなくなり、他社とのコンペで負けるケースも出てきた。チーム制にしたことで個性が抑えられてしまったとも考えられたが、新規発掘から企画提案までをチームで対応すると個でやるよりも融通がきかず、新規発掘をおさえて企画提案に注力すべきときにそれがなされず力が分散される組織の問題と考えた。
その点を踏まえて3。新規開発の入り口。市場調査やダイレクトメールやテレアポによる新規発掘を外注化した。
最近の業者さんは優秀でこちらの依頼と希望に応えてくれる。中小企業の営業で新規が伸びないときは導入を検討する価値はある。外注によって新規アプローチ数は増えた。それに伴って見込み客も増加。だが有力案件と成約は期待ほど増えなかった。当初は慣れの問題と考えて半年間この体制で動かしてみた。データを見てわかったのは、外注からバトンされた新規顧客が多すぎて各営業チームがその対応に追われ、ロスに繋がっていることがわかった。
外注によって新規発掘(窓口)を増やす。チーム制による属人化を廃した営業活動。ここまでは間違っていない自信があった。だがこの2つをリンクさせたときのロスが問題だった。
悩んだ結果、人員を割いて新しいチームをつくった(4)。外注業者さんから新規発掘された見込み客に対応して有力案件まで育てるチームだ。これまでロスの原因になっていた有力案件にならないあるいは時間のかかる見込み客を取捨選択と育成を行う。原則面談はせず電話営業とメール対応することで少人数で時間と手間を削減した。
そして有力案件になった時点で各営業チームに渡す。各チームは有力案件にパワーと時間をかけて成約を目指すようにした。パワーと時間をかけられるようになって、尖った企画提案も出来るようになった。何よりもキツくて時間のかかる案件発掘から解放されたことがプラスに動いた。属人化を排するところからスタートし、効率を求めた今の組織まで試行錯誤しながら進めてきた。その結果、昨年度は新型コロナの影響を受けながら対前年130%を達成した。
現在の会社に入る前、数か月の無職時代(アルバイト時代)、ありあまっていた時間をつかって、仕事のあり方について考えに考えた経験が今、活きている。あのとき何も考えていなかったら失敗を繰り返して怨念垂れ流しモンスターになっていただろう。前職の僕も囚われていた「オレがいないとダメな職場」という考え方は本人のプライドを満たすだけで、会社にそのプライドを利用されているだけということに僕は気づいた。スーパーな営業パイセンたちは例外なく会社に使い捨てされていた 。自分達は会社を見限ったつもりでいたのが哀れだった。
僕は25年間営業マンで食べている。スーパーマンまではいかなくてもパーマン5号くらいのレベルには達している。パーマン5号レベルの僕も前職を辞める前は「お前しかいない」と会社に持ち上げられて使い捨てされたからよくわかる。
営業のスーパーマンたちは仕事を属人化してブラックボックスを作って自分がいなくなったらという不安定な状況をセルフプロデュースしてそれを解決しているだけである。そして良いように使われて結果が出せなくなった途端に組織から捨てされていった。古くから続く営業開発部門はそういう組織だった。だが長期的にみれば、誰が欠けても同じように結果をだせる安定した組織のほうがより大きな結果を出せるはずだ。蓄積と継続性があるからだ。
僕はスーパーな営業マンは否定しないといった。ある程度の属人化は有効であると考えているからだ。誰が欠けても変わらず継続していく安定した組織のうえで自分の個性を活かしていく限定的な属人化をはたしていくのが、営業にとどまらない仕事のあり方だろう。ひとことで言ってしまえば、「『オレが辞めてもいいんですか?』というくだらない脅ししか出来ないくらいの個性に価値があると勘違いするな」になる。昨日までの仕事はできるかぎり標準化し、そこで削減した労力と時間を活かすことが、新しいものを迅速に産み出す土壌になるのではないか…そんなことを有料駐車場のバイトをしながら僕はぼんやりと考えていた。
そして現在に至る。部下から「いてもいなくても同じ」と言われたのは目指してきたものなので少々ムカつくけど納得はしている。だがなんとなく寂しい気持ちにもなる。それは、かつてのスーパーな営業マンへの憧憬が僕のなかにまだあるからだろう。(所要時間46分)
こういうお仕事論もあるエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。
ツイッターもやってます→フミコ・フミオ (@Delete_All) | Twitter