Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

私はコレで会社を辞めました。

25年。中途半端に長くなってしまった僕の会社員生活において、数多のクソな人物やクソな出来事はあったけれども、上司Kの伝説的な土下座から僕の退職に至るまでの1年間に起こった一連のクソオブクソに比べれば、すべて鼻クソである。あえて言おうカスであると。

新卒で入った会社は超有名企業だった。長い歴史を誇る、その名を聞けば誰でも知っている会社だ。僕はその会社のとある事業部付の営業チームに配属されて働いていた。事業部のトップがKである。Kは仕事が出来る人だった。前任者の急死(好人物。残念ながらある朝起きてこなかった)もあって、40才の若さで事業部のトップになっていた。Kは数値目標(ノルマ)さえ達成していれば、細かいことを言わない人だったので、仕事をしやすい上司だった。

伝説のKの土下座を僕は見ていない。「社長の自宅の前で待ち構えていたKが、出勤しようとする社長の前で涙を流しながら土下座をした」「申し訳ありませんと叫んでいた」という伝説めいた目撃情報として社長運転手のいる社長室から流れてきたのだ。伝説の土下座が行われたのは、事件発覚の日の朝であった。朝8時半、僕が出社すると部署のまわりがざわついていた。入社4年目になれば会社員としての一通りの調教は終わっているので、会社で何かが起こっていてもひと目でわかるようになる。

部署のまわりには普段見たことのない人たちがいた。監査部門だった。監査部門は僕の所属する事業部をひとりひとり応接コーナーに呼び出してはヒアリングをおこなった。何か大きな事件が起こったのは間違いなかった。だが見当がつかなかった。昨日まで順調に動いていたからだ。同僚たちも首をかしげるばかりだ。請求担当のベテラン社員I女史が「Kが馬鹿をやったみたいよ」と教えてくれたけれども、馬鹿の中身は知らないようだった。上司Kの右腕的な存在で、親しい仲だったHは、ショックを受けてうなだれていた。

監査部門のヒアリングでは、Kの最近の働きぶりとS社との契約と業務についての情報を求められた。「Kさんからは営業の基本を教えてもらいました」「ときどき飲みに行くくらいの関係です」「S社には何度か請求書を持参した記憶があります」僕は答えた。S社への請求書持参が監査部門のゲシュタポどもの興味をひいたらしく、時期や回数、それを任されるようになった経緯について詳しい説明を求められた。意味がわからなかった。

昼前にヒアリングを終えて整理した情報と、監査部門からの説明とで事件の概要がわかってきた。Kの不正である。KはS社に商品を横流ししていた。価格よりもはるかに低い値で商品を売っていたのだ。それも1年以上にわたって。おかしい。請求書の控えをチェックして入金額と付き合わせて確認していれば、そのようなありえない売買がおこなわれていることなどすぐにわかるはずだ。監査部が必死にゲシュタポのような捜査をしているのは、事件の解明とともに、自分たちの普段の監査に落ち度がなかったことを証明するためであった。クソである。Kの単独ではなく、チーム全体がグルになった大規模かつ巧妙な不正だったために発見が遅れてしまったというストーリーを作ろうとしているように僕には思えた。あえていおうクソであると。

当時、会社は運送運輸の本業を中心に多角経営を推し進めていた。実際、グループ内には多くのビジネスがあった。多角化の流れから完全なる事業部制になり、各事業部内でも様々なビジネスをおこなわれていた。ひとことでいってしまえばカオスだった。僕の所属していた部署は商社から依頼された貨物を輸送する部署で、商社から商品を買い取って販売する卸売もおこなっていた。商品は機械部品・パルプ・飼料等。S社には、北米産の飼料と納品までの物流をセットで売っていた。

KはS社に異常な安値で飼料を売っていた。社内チェックがあるのでそんなことをすればすぐにバレる。だが実際には土下座に至るまでバレなかった。入金があればとりあえず精査しないという緩さをついていた。Kは、正規の値段が記載された請求書と、異常な安値の請求書を作成していた。二重請求である。そして社内(経理)には正規のものをあげ、相手(S社)には偽物の請求書を渡す。当たり前だが入金される金額は社内にある正規の請求書よりも少ない。普通ならここで気がつくが、即座に次の入金がなされて正規の請求金額に達していたので「問題なし」とされていた。これは推測だけれど当時の事業拡大の副産物であまり良くない顧客との取引が増えたことが見落としの一因だったのではないか?「未入金・未回収」「入金遅れ」といった酷い状況のなかでは不自然ではあるものの定期的に入金のあるS社は問題とされなかったのだ。なぜ次の入金が続いたのか?簡単である。続けて請求書の二重発行がされて次の偽請求に応じた入金がされていたからだ。だが正規の請求額との差は大きくなる一方なのでバレるのは時間の問題であった。

 【図解】

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事件発覚の午後にはKの不正の全容と被害額はだいたい明らかになっていた。Kのパソコンからたまたま不自然な請求書をパソコン管理部門が見つけて、それを経理に通報して不正は発覚した。不正はわかる。雑な悪事だ。だが、こんなアホな不正をしたのか?その理由がわからなかった。S社は得をするがKに得はない。不正がバレれば積み上げてきたものを失ってしまう。損しかない。Kと親しくしていたベテラン社員のHさんに心当たりをたずねると「バカなことをやりやがって」と吐き捨てるように彼は言った。

事件発覚の翌日。Kが不正をした理由が判明し、ついでにKをバカと吐き捨てたHが共犯であったことも判明。「バカなことをやりやがって」はKの不正についてではなく、不正がばれてしまったことへの言葉であった。クソである。不正を働いた理由は借金であった。監査部門からそう伝えられてもピンとこなかった。KとHはカネに困った挙げ句、あろうことか出入りしていたS社の社長Mに個人的に借金をしたらしい。返済に困ったクソコンビはまたもあろうことか商品の値引き分を借金返済に充てたというのが不正の全体図であった。クソである。

Kからは取引先には出来るかぎり足を運べと教えられていた。「実際に足を運ぶことで新しい仕事が生まれる」というのが持論であった。だからKが請求書をわざわざ持参するのも仕事に対する姿勢だと思っていた。S社からは現金で回収することがあった。不正の温床だったけれども入金があればいいというムードがそれを許していた。不正の全容が判明!→関わった人間が処罰されてお仕舞い。そう考えていた矢先に監査部門からヒアリングを受けた。クソコンビは出勤した後は連日監査室に軟禁尋問されていた。そこで得られた彼らの言葉の裏を取るためのヒアリングと思いきや「本当にキミは知らなかったのか?」と執拗に詰問された。完全に共犯扱いである。クソすぎた。

Kに頼まれて何回か請求書を持参したことがあった。そこを監査部門は問題視した。挙げる首の数が多いほど手柄になると考えたのだろう。「今日中に請求書を持参しないといけない」と焦っているKに手を貸したのがいけなかった。その焦りはKの職業的責任感ではなく個人的な借金返済のためであった。何回かヒアリングを経て、動機がない僕を挙げることを監査部門は諦めたようだった。生まれてはじめて胃薬を飲んだのもこの時期である。

ここからが本当の地獄だった。連帯責任とははっきりと言われなかったけれども、それまでおこなっていた仕事は他部署に移管されて不正のディティールを明らかにする作業をやらされた。正規の請求と偽物の請求との差額を調べての、納品状況や入金額との辻褄合わせ。偽物の請求書の控えと証拠は廃棄されていたので、納品書と入金状況をベースに不正をした本人から話を聞くしかなかった。

最大の問題は現金回収したカネであった。監査室で軟禁されていた(何もせずに座っていた)Kたちは「細かいことは覚えていない」の一点張りだった。まともに答える気はうしなわれていた。監査部門からは被害額と経緯詳細を明らかにしろと圧力をかけられたので、Kたちへの無駄な聞き取りは続けた。Kからは「忙しそうだな」と他人事のような言い方をされた。怒る気力も萎えていた。

僕と同僚はクソコンビが使っていた社用車から高速道路の領収書を回収した。S社へは湾岸線からアクアラインを使うルートが最短だが、帰り道にはアクアラインを使わずに遠回りして帰ってきていた。本人たちの現金回収の供述があやふやだったので直感から僕は「馬ですか。ボートですか」とストレートに訊いてみた。ビンゴだった。彼らは回収した金を増やそうとしてギャンブルで燃やしてしまっていた。いくらつかったのか記録もない。

僕は彼らに見切りをつけて辻褄合わせをして不正のすべてを明らかにするしかなかった。軟禁されている不正コンビがお互いを罵っているという話を聞かされた。もうどうでも良かった。入社5年目で営業という仕事がようやくものに出来かかっていた時期だったので、不正を片付けて、通常の業務に戻りたかったのだ。絶対に合わないピースの足りないジグソーパズルを気合いで完成させようとしていた。正しい請求書の控えと入金額と現金回収額。それから納品書といいかげんな当人の口述。「この入金の3割は偽の請求書第10号と第11号に該当して…満たない額は現金回収のち消失」という辻褄合わせを延々とやらされた。激しくなるばかりの胃痛に不眠が加わった。

監査部門からは圧をかけられ続けた。S社のM社長と対面することになった。僕のなかではアホな上司を陥れたラスボスだった。くだらない辻褄合わせ罰ゲームをさせられているのも、胃痛も不眠もこいつのせいという憤りをぐっと堪えて挑んだ。相手のほうがずっと上手だった。こちらが切り出す前に請求書と納品書を全部ぶちまけて「うちは御社が出してきた請求書どおりに支払って物を買っただけです」と言った。確かにそのとおりだった。何も言い返せなかった。当時の僕は若くて経験が足りなかった。相手が言い訳に終始するという予測しか立てていなかったのでこういう展開は想定外だった。苦し紛れに僕は反論した。「商品の価格が法外に安すぎるとは思いませんでしたか?不自然だと思いませんでしたか?」「ちっとも」僕の反論はあっさりとかわされた。「勝手に値引きをして安かったから買った。信用?これまで付き合ってきた実績があるから疑わなかった。企業努力で安くしてくれていると思っただけだ。どこか間違っている?」届いた請求書に記載された金額を払った。勉強して安くしてくれたと思った。完璧なディフェンスだった。

僕は個人的な借金について質問した。すると社長は「個人的には金を貸している。でもそれと今回の騒動は無関係だ。私が個人的に貸した金はまだ一銭も返してもらっていない」といって笑顔を浮かべた。Kたちは借金を返しているつもりで不正を働いた。だが返してもらっている側は「返済されている意識はない」と口にしている。Kたちは同情の余地のないバカだが、その瞬間だけ僕は彼らに同情したのを覚えている。おそらく口約束はあったのだろう。だが証拠はない。何も。M社長はKたちよりずっと上手だった。悪い奴とは己の手を汚さないばかりか、悪いことをしているという意識を瞬間的に捨てて過去を改変できる人間のことなのだろう。「忙しいからこのへんで」といって退席する社長をとどめる理由はなかった。あまりにも奴はクソすぎた。キングオブクソ。

M社長から提供された請求書(偽)その他の資料のおかげで不正の流れは明らかになった。現金で合わない金額は、ギャンブルで溶かしたものとされた。KとSは解雇になり、事業部は解散。実際の商品の納品状況と金の流れのつじつまをあわせるためのパズルに苦戦して最終的な報告書をまとめるまでに数か月かかってしまった。事業部が解散となったので一時的に別の部署の下働きをしながら毎日残業してやりきった。営業職に戻れるという監査部門の言葉を信じていた。その数か月間で同じ事業部にいた同僚たちの多くも辞めてしまった。残ったのは僕と転職先を見つけるのが難しい何人かのベテランだけだった。

辞めるほうが正しかったと今でも思う。その頃の僕は胃痛と不眠に悩まされていて、別の環境で働くことを考える余裕はなかった。何よりもクソな不正に負けるのがイヤだった。だから、とりあえず、やりきろう。そう思っていた。最終的には被害額は億レベルに達していた。不正が最終的にどう処理されたのか僕は知らない。それから間もなく知る立場ではなくなったからだ。

事後、僕は別の事業部(国際輸送部門)に異動となり、めでたく営業職として復帰することが出来た。そこでアフガニスタン等々の紛争地帯へ中古の鉄道車両を輸出・運搬するプロジェクトのメンバーとなった。プロジェクトのスケジュールが完成した時点で現地に赴任する予定だった人が突然死して、僕が若さと件の事件を処理した経験からハードな環境に耐えられるという謎の評価から紛争地帯に行かされそうになったとき、「この会社にいるかぎり、あの事件の近くにいたというだけで、負けルートを辿らされる」と気付いて会社を辞めた。それが2000年の1月。そこからは食品・外食業界に転じて現在にいたるというのが僕の雑な職務経歴書になる。

散々な出来事だったけれども、得たものもある。ひとつは会社や上司というものに対する諦めだ。20代のうちに会社や上司に対する理想や希望がなくなったので、絶望することもなくなった。いいかえればタフになれた。退職直後にブラブラしているときにサム・ペキンパーの「戦争のはらわた」がリバイバル公開されていた。「戦争のはらわた」は主人公がクソ上官へのムカつきを爆発させて終わるのだが、最後にベルトルト・ブレヒトの「諸君、あの男の敗北を喜ぶな。世界は立ち上がり奴を阻止した。だが奴を生んだメス犬がまた発情している。」という言葉が引用される。KやSといったクソ上司。Mのようなクソ悪者。監査部門をはじめとした会社全般。目の前にあるそいつらをやりすごしても、また生まれてくる。クソはクソだと諦めて立ち向かって生きていくしかない。僕はブレヒトの言葉をそう解釈して受け取った。腑に落ちてしまったのだ。

そしてもうひとつ。1999年から2000年にかけての先行きが見えない暗黒の会社員生活のなかで、僕は書くことを知った。上司。悪。組織。それらとまともに対峙して頭の中がゴチャゴチャになっていた。それを吐き出すように書いて整理したのだ。書くことで自分の人生を救ったのだ。それからしばらくして僕はウェブに文章を書くようになった。さるさる日記、ライコス日記、大塚日記…はてな。日記サービスを転々として現在に至る。この退職エントリで語った出来事がなければ、もしかしたらこのブログは存在しなかったかもしれない。(所要時間85分)

会社員経験を盛り込んだエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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