Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

小山田圭吾氏の大炎上問題でわかったこと。

過去の言動によって東京五輪の音楽担当を外された小山田圭吾さんの爆発大炎上がとどまることを知らない。所属しているバンドの新譜が発売中止になり、その関連のラジオ番組も終了になった。小山田氏のキャリアが終わってしまいそうな勢いである。

 1991年の秋、僕は、氏が組んでいたフリッパーズ・ギターの「ヘッド博士」を、プライマルスクリームの「スクリーマデリカ」とニルヴァーナの「ネヴァーマインド」といったロックの歴史的名盤と同じくらいよく聴いていたので、現状は残念でならない。「ヘッド博士」から数年後、今回の問題になった氏の発言が掲載された雑誌もリアルタイムで読んだ(大学のサークル室に置いてあった)。報道されているとおり、酷い内容だった。詳細は覚えていないけれど、小山田氏も聞き手も「ひでえ(笑)」みたいなトーンだったと記憶している。

小山田氏の炎上は完全に自業自得で弁護できるものではない。と僕は思ったけれども、それでも、擁護や理解を示している人たちがいる。僕の観測したかぎりでは大きく分けて二つあった。ひとつは、雑誌が世に出たときには「鬼畜」な内容が受け入れられる時代であったという視点を持たなければならない、というもの。もうひとつは、脛にキズのない人間なんていないだろう、というもの。

 前者は論外である。鬼畜な内容のものはあったけれども、決して受けてはなかったし、メインストリームになることもなかった。「ひでえ(笑)」というノリは内輪であって、受け手の多くは「ひでえ(真顔)」だったと思う。「ひでえ(笑)」できる俺たちはスペシャル、という悪ノリ意識があったのだろう。それは時代性ではない。いつの時代にもある。時代や世代の問題にするのは、頭のいい人たちの悪いクセである。

 後者の擁護には、今回の炎上を大炎上にかえている構図が隠れている。「脛にキズのない人間はいないだろう」は言い換えれば「脛にキズがなければ非難して良い」である。そこから「罪のない人だけが石を投げなさい」という姿勢が生まれる。それは「障がいのある人に排泄物を食べさせるような重罪を犯していない人は石を投げられる」に変質し、世の中の大半の人間はそのような重罪を犯していないので、我が身を振り返らずに石を投げまくられるのである。今回の炎上の原因になった言動のようにありえないものである場合、「脛にキズのない」云々の擁護は擁護になるどころか、炎上にニトロを注ぐようなものである。

 不思議なのは、小山田氏がオリパラのような、国家事業、超メインストリームの仕事を受けたことである。よく言われているのは、「障がいを持った人に対してあのような酷い言動をしたのに、なぜオリパラの仕事を受けたのだろう?」という意見である。僕の印象は少し違う。例の言動以前から、たとえばフリッパーズ時代から、斜に構えた発言を繰り返していた小山田氏がオリパラのような、かつての氏ならバカにしていた仕事を受けたことが不思議であった。

 氏はもともと陰口野郎(失礼)であった。確かコーネリアスの1stが出た頃の雑誌インタビューにおいて、歌番組で一緒だった国民的男性アイドルグループSの格好や、匿名で失礼するがTKという人がプロデュースしたダンスユニットを小馬鹿にする発言をしていたのをよく覚えている。フリッパーズが一部の人に受けたのも、そういった表では言いにくいことを陰ではっきり言うキャラクターがあったからだろう(フリッパーズ時代からの言動が掘り起こせば、その種の発言はいくらでも出てくるはず)。そういう人がオリパラのような日の当たる場所の仕事を受けるのが、不思議でならなかったのだ。余談になるが、フリッパーズ解散後の小沢健二さんがキラキラなポップスターになったのも薄気味悪かった。「あんた…カローラに乗るような人かよ」って。小沢氏の場合は確信犯で演じていたのだけれども。小山田氏と小沢氏はイニシャルをとってダブルノックアウトコーポレーションを名乗っていたが、時を同じくして両者ともスキャンダルでノックアウト寸前なのは実に味わい深い。

 小山田圭吾氏が年齢を重ねて、それを成熟というのか劣化と評価するのかは受ける側の判断になるけれども、オリパラのような最大級の公な仕事を受けたのは、かつての尖がっていた氏を知っている者としては寂しい思いがある。権力に寄り添うのは、僕のようなサラリーマンな生き方と変わらないからだ。サラリーマンは問題を起こしたら切られる哀しい存在である。氏がオリパラのような国家的規模の超メインストリートに行かずに、サブカルのまま好きな音楽を作っていたら、氏にとっても幸せだったのではないかと思う。

 今回のオリパラ開閉会式における一連の騒動によって、「あいつら面白いよねー」つって軽いノリで起用して、問題が起こったらあっさりと切り捨てて責任をとらないでいる人たちの存在が明らかになったこと、そして彼らがカルチャーを大事にしているようで実は使い捨てにしていることがよくわかった。マジでクソである。ついでにいえば、広告代理店出身のクリエイターの限界が見えて良かった。

 小山田氏や元ラーメンズの小林氏を切り捨てた人たちがどのような開会式を作り上げるか楽しみにテレビで観ていたら、ジョン・レノンの「イマジン」が流れてきて、そのわかりやすいベタな感性に感動してしまった。クリエイター最高。閉会式は小田和正さんの名曲「言葉にできない」を流してください。(所要時間30分)

このようなカルチャー論も収録したエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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