この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。今回は、記録と創造について、の部分です。
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「書き捨て」を推奨しておきながら、こんなことを言うのは、少し気が引けてしまうけれども、メモは取ろう。何から何までメモするメモ魔ではないが、残しておきたいというものは必ずメモを取るべきだ。
メモするものは、メモする時点で評価や考えが固まっているもの。読書や映画鑑賞したあとの感想メモ、営業活動後の顧客メモ、仕事で気付いたことのメモなど。そのときに記録しておくべきことを自分で判断して、メモを取っている。
メモを取るものと取らないものの取捨選択がなかなか難しい。一時期、B6サイズのノートを持ち歩いて、何から何までメモを取るようなことをしていた。無駄が多く、現実的ではなかった。自分からすすんで文章を書くようになり、「書き捨て行為」を始めてから、「書く」と「メモ」の分別は容易になった。情報の取捨選択能力が向上したのだ。「文章を書く」は自由に進んでいく「創造」、「メモ」はいったん思考や意識の流れにストップをかける「記録」という基準が構築されたのだ。
・創造と記録「良い記録が良い創造を生む」
文章を書くという「創造」と、メモを取るという「記録」の2つを使いこなすことで、仕事や研究はより円滑にすすめることができるようになる。
メモを取って「記録」することは、知識や経験を言葉によって確実なものにして、創造のための「土台」をつくることである。あるいは、小説を書く際の取材メモや創作メモのような「素材」づくりといったほうがイメージしやすいかもしれない。
それに対して「文章を書くこと」は「創造」にあたる。「創造」とは何もないところを自分の言葉で開拓していくようなものだ。だが、創造はゼロから生まれない。「記録」という土台があってこそ「創造」はなされる。仕事でも顧客のニーズをまとめたメモを眺めているうちに、発想が生まれて、企画や提案に繋がる。「メモ=記録」が正確なものでなければ、良い発想は生まれない。良い記録が良い創造を生むのである。
大きな「創造」には土台となる「記録」=確固たる知識が不可欠だ。小説家の荒俣宏先生が「帝都物語」シリーズのようなスケールの大きな物語を創造できたのは、先生の並外れた知識量という土台があったからだ。「記録」が「創造」を生むのと同様に、「創造」が次の「記録」を生む。「創造」をメモで「記録」することによって、以降は、それを土台にして、より大きな「創造」ができるようになる。このように「記録」と「創造」は切り離せない関係にある。意識してこのサイクルを、使いこなせるようになるだけで、一生使える武器になる。
「記録」と「創造」、「メモ」と「書く」とを意識的に使い分けたほうがやりやすいと思う。思い切って、ツールを分けてみよう。たとえば「メモ」は手帳、文章を「書く」ときは専用のノートを使うなどして、ツールを別にすることで、使い分けと意識の切り替えが同時にできるようになるので試してほしい。ノートは方眼や罫線のないものが、自由な発想を妨げないのでおすすめ。
営業という仕事のなかで、顧客ごとに1冊のノートを持ったこともある。メモ(記録)と自由帳(創造)を兼ねて一冊のノートにまとめて、一つの顧客に関する全てを書いていた。顧客情報だけではなく、その顧客についての思考と発想の断片も書き連ねておいた。商談が順調にすすんで、企画提案の段階になったとき、そのノートを見るだけで、企画のもとになる発想が湧いて出てきた。思考と発想の断片を言葉にしておいたから、具体的な提案に繋がる発想が得られたのだ。100円のノート一冊を書くことで成約にいたったのだから、コスパ最高である。もし、仕事が詰まっているときは騙されたと思って「案件別思考発想ノート」を試してほしい。
漫画『デスノート』に名前を書いた人間を死に至らしめるデスノートがある。僕はデスノートを否定しない。心がスッキリするからだ。でも、デスノートを書いているヒマがあるのなら、メモを取ったほうがいいと思う。それに死神に取りつかれないぶん、健全である。
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