Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

傷ついた心を山奥スローライフで癒すハードボイルド『この密やかな森の奥で』

憧れている生活がある。かつて写真家の星野道夫さんが送っていたような、北米の山奥にある小屋で自給自足する生活だ。妄想を配合して、大自然のなかで戦地で傷ついた心を癒しながら生きている設定なら最高。聡明な子供がひとりいればなお良い。ボンクラ的にはなぜかセクシー美女に好かれる展開もいい。そんな静かで平和な暮らしを脅かす「敵」が近づいてくる。戦いのときだ。

映画『コマンドー』や小説『極大射程』等々、ボンクラホイホイ・フィクションでよく見かける設定だ。『この密やかな森の奥で』はそんな「コマンドーもの」の設定を踏襲している。主人公クーパーは元軍人。自分が起こした行動がもとで山奥で一人娘と暮らしはじめて8年になる。交流は戦友のジェイク1人のみ。コマンドーものなら、かつての上官や戦友が戦闘力を見込んで「一緒にビッグなビジネスをやらないか」と誘ってきたり(ビッグビジネスはテロリストへの武器の横流しか薬物の密輸入)、いきなり山荘に攻撃を仕掛けてきたりして(バカが無駄に重装備で派手に襲撃)、暮らしが脅かされ、やむなく武器をとって戦うという流れになる。だが、今作はそういうお約束の展開にはならない。

明確な敵が存在しない稀有なハードボイルドだ。せいぜいクーパーの過去を知っていると思われる不気味な隣人スコットランドから監視を受けたり、ちょっかいを出されたりされるくらいだ。クーパー親子を執拗に追跡する者はあらわれない。クーパー親子は自ら世の中から完全に身を隠しているからだ。街に出た途端、過去の行動が原因で身柄を拘束される(と設定されている)。つまり、安全地帯から出られないという緊張感が常に山奥の静かな暮らしの底にある。

そんな暮らしは脆弱だ。何者かが、道に迷って入ってきただけで破綻してしまう。追跡者より、外部の無関係な者の存在のほうが恐ろしい。予測も排除も出来ないからだ。「コマンドー」のシュワちゃんのように倒すべき明確な敵がいるほうがどれだけ楽だろうか。

クーパーの過去、PTSD、隣人スコットランドの正体、成長する娘(外界への興味)、それら不安要素が静かな生活を少しずつ脅かしていく。主人公は、一般的には正しい行為だが自らにとってはマイナスのなる行為と、正しい行いではないが自らの身を守れる行為とで選択を迫られる。これは僕らにもありえる選択だ。たとえばクソ上司のダメな行いを批判する方が正しい選択だが、それによって社内的には失脚しかねないとき、正しい選択とはいったい何だろう?ギリギリの状況で人間は正しい選択ができるか、正しい選択とは何か、この作品は突き付けてくる。余談だが僕は自分の身を守る選択をする。正義では飯を食えないからだ。

ボンクラなら誰でも憧れる退役兵士の山奥での暮らしを守ろうとするハードボイルド。スローライフを維持しようとする姿はさながら実写版どうぶつの森のようだ。結末はビターで、そこに、「悪党を鉄パイプでボイラーに突き刺してスッキリ!」な『コマンドー』のような解決はここにはない。登場人物たちそれぞれの選択は正しい選択なのか、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、読む側に委ねられている。すっきりとした結末にはなっていないが、そのぶん考えさせられる余地と余韻が『この密やかな森の奥で』にはある。(所要時間20分)