Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

客を裏切った。

先日、客を裏切った。断ったのだ。営業という仕事には、条件や状況によっては断らなければならないときがある。断るのも仕事のうちと割り切るしかない。条件が酷すぎて話にならなかったり、客との付き合いが短かく関係が薄かったりする場合は「すみません」の一言ですむ。相手も「まあしょうがないよね」で終わる。

しかし、数年間、定期的に面談を続けて関係性を築いてきたような見込み客は、そうはいかない。数年間かけているということは相応の規模のビジネスが期待できるということ。そのうえ、その期間で築かれた関係性がある。それは言いかえれば、僕に対する期待だ。それを「すみません」と断るのだ。「あなた、困ったときは当社に任せてくださいと言っていたじゃないか」と非難されるのは慣れっこであるが、3秒くらいは気落ちしてしまう。

S県にある総合福祉施設がコンペをやることになった。僕が勤めている会社のメイン事業は食材提供なのだが、顧客からの「食材を納品するなら食事提供も」という要望に応じて一部給食事業も展開している。で、当該施設は開設以来厨房スタッフを直接雇用し食事提供をしてきたが、このたび業者に任せることになったのである。食材と給食業務を一括丸々である。

この施設の担当者とは、前職から継続して15年ほどの面談を続けている関係だ。そのため、提供している食事の内容やボリュームはほぼ把握していた。複数の施設(病院含む)なので売上も期待できる。長年にわたって、僕は、食事を業者に任せることのメリットについて説明してきた。何回かはサンプルを持ち込んでプチ試食会をやったこともある。給食業界の状況について説明をしてこともある。法人本部のほとんどとは名刺交換を終えて面識がある。だから今回の委託化は、僕が時間をかけて僕が誘導したようなものだ。窓口になってくれている担当者も「もし、その時が来たら……頼みますよ」と念を押されていた。だが、結果的に僕は彼らの期待を裏切って辞退することになったのである。

なぜか。条件の不透明性が払拭できなかったからだ。「ちょっと見通しが立たないけど頼みますよー」と言われたとき、築き上げてきた関係性であっても、仕事となると厳密に判断せざるをえない。今回の施設について、一点だけ踏み込めない領域があった。現在雇用している厨房スタッフの状況だ。ざっくりと何名で運営して何名欠員が出ているという話は聞いていたし、厨房施設や食事提供の様子も見学させてもらっていた。だから仕事のやり方、業務引継ぎについては不安はない。

だが、業者委託するということは、現厨房スタッフを一旦全員解雇(雇止め)すること。しかも今回のプロポーザルは来年1月からの契約開始とされていた。業者決定は10月末なので時間がない。総合福祉施設のため複数の厨房があり、相応数の人員が必要だった(現スタッフ数は約60名)。必要スタッフ数を新規募集と当社本部ヘルプだけで埋めるのは不可能で、現スタッフの移籍はマスト条件だった。

コンペ要項には「現厨房スタッフの引き受けをお願いします」的な文章があった。だから安心していた。内々で話は進んでいるにちがいないと。進んでいませんでした。きっつー。僕がコンペを仕切っている担当者に現厨房スタッフへの説明と移籍希望者についての情報を質問すると、意外な答えが返ってきたのだ。《現厨房スタッフに今回の件は説明していません。理由は業務委託化を明らかにすることによって退職者が出て体制を維持できなくなるのを回避するためです》その後は口ぐせのように「やってくれますよね」

10月末に業者が決まったら告知するらしい。開けてみないとわからない。全員移籍希望なのか、ゼロベースなのか。移籍希望があっても、給与はスライドできても福利厚生等の細かい点まではスライドできない。たとえば、巨大医療法人様とちがって、当社には保養所はございませーん、老後の生活を約束するような豪華な退職金制度もございませーん。それを知った現厨房スタッフが全員移籍してくれるだろうか。ましてや昨今の飲食業界はどこも人材不足で、売り手市場なのだ。他に行こうと考える人が出てくるのは容易に予想できる。

「もし、一人も残らなくても受けてくれますよね。やってくれますよね」と法人担当者は僕との関係性を信じてそう言ってくれたけれども、リスクは負えない。ちょっと待て。見方を変えれば、これは現スタッフに対する責任の放棄じゃないか。現厨房スタッフの処遇といういちばん考慮しなければならない点、面倒くさい点、難しい点を、来年から任せる業者に投げている。「業者に委託することで労務管理の面倒くささから楽になると仰ったじゃないですかー」と担当者は僕に言った。ハイ、確かに言いました。15年間。確かに委託のメリットを説明していたのは僕なのだけれど。それは雇用しているスタッフを雑に扱えという意味じゃないんですけど。戸惑う僕に担当者の「やってくれますよね」。

今年いっぱいで業者に任せるというゴールラインは決まっている。今すぐ現スタッフに通知したほうがいいと助言すると、現体制が崩れて年末までもたないリスクは背負いたくないという答えがかえってくるばかりだった。要するに業者に任せられる来年以降は知らねーという話なのだ。私にはスタートだったの、あなたにはゴールでも、という昔の流行歌が頭に流れてきたよ。

「やってくれますよね。期待しています」長年築き上げた関係性からそう言われると何とかしたい気持ちが湧いてくる。時間的猶予があればなんとかなるかもしれない。10月末に決定して正月スタートは2か月。スタッフ確保の目途はなし。移籍ゼロのカバーは不可能。ならばスタートを来春まで遅らせることはできないか。それならカバー可能だ。そう進言すると、法人の理事会で承認された契約期間なので動かせません、と却下された。「大丈夫です。確証はありませんけれど全員残ってくれますよ。期待しています。やってくれますよね」と担当は言ってくれた。

給食事業は典型的な労働集約型事業で、ヒトモノカネのうちヒトが揃わないとどうにもならない。自前で食事提供をしていたのなら、そのことは熟知しているはずなのにどうして…ま、ヒトが面倒くさくなったんだろうね。担当者は15年にわたる僕との付き合いを信じて、コンペに至ったこと、急な展開は法人トップの突然の方針決定によるものだと説明した。現スタッフはどうなるか不透明で、スケジュールもきっつきつだけれど、「やってくれますよね」と担当者は念を押した。

信じてます。やってくれますよね。そういう期待を裏切るようで申し訳ないけど参加は見送ることにした。理由は「事業の見通しが立たない」。相手にそれを伝えると「嘘でしょ。どうしてですか。参加してくれると信じていたのに。え〜マジですか〜」という反応。やりたくてもできないんだっちゅーの。「社内検討の結果、残念ながら」の一文で辞退してもよかったが、15年の付き合いがあるからこそ、参考になるよう、先に述べた理由を列挙した。それでも「やってくれると信じていたのに」と納得できないようだった。

どうも声をかけたすべての会社から参加を見送る/検討中という塩対応をされているらしい。だろうね。そういう状況であっても、もっとも関係の長いウチだけは参加をしてくれると信じていたらしい。「実は、法人本部では御社を推す声が多いんです。なんとかなりませんか」というので現スタッフへの告知をあらためて提案したが「それだけは無理です」きっぱり。

おそらく、現スタッフの体制もうまくいっていないのだ。だから業者切り替えを機に一掃するつもりなのだろう。契約日以降は給食業務は業者の責任になる。プロの会社ならスタッフが残らなくてもなんとか食事提供してくれるだろう。僕への期待はあったと思う。それを断るのは忍びない。だが彼らの僕への期待は、彼らの楽観的な願望が上乗せされているものだ。それに応えることはできない。あらためて辞退を申し上げた。

「長年付き合ってきて困ったときは手を貸すといったのに酷すぎます」「今回のコンペが不調になったらどう責任を取ってくれるんです」「他の会社さんが手をあげて、現スタッフが全員残留しても後悔しないでくださいよ」等々いろいろなことをいわれたが、申し訳ないけど無理です」でやりすごした。営業の仕事は、会社のプラスになる仕事を取ることだ。リスクのある仕事を断るのも営業の仕事だと僕は考えている。長年付き合ってきて関係を深めてきた見込み客を、これまでの労力を振り返らず、感情抜きで切ることはしんどい。だが、このように客を裏切ることもまた営業の仕事なのだ。(所要時間47分)