Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「来年からあなたの仕事をRPA化します」と事務スタッフに告げたら猛反発された。

会社全体の業務改革の一環で、僕が預かる営業部でも、営業事務の一部をロボット(RPA)へ代行することが決まった。ボスからは早い段階での移行を命じられている。僕は営業部長だが、なるべく会社の方針をオープンにしたいと考えている。このロボット化についても、そのままストレートにスタッフたちに伝えた。「キミたちの仕事をロボットに任せることにした!」「早くて来年からかな!」

それが間違いだった。営業事務スタッフから「我々は切られるのですか!」「仕事を奪わないで!」などと猛反発を喰らったのである。これがリストラや組織改編ではないこと。雇用と賃金と地位は守ること。それらを伝えても僕に対する反発は収まらなかった。僕はロボット化を仕事を楽にすることだと考えていたのだが、彼らの立場からのロボット化は、仕事を奪われることになってしまうらしい。仕事が今よりもきっつーになると言ってキレるのは然るべきで納得できるのだが、仕事を楽にして差し上げるといって半ギレするのだから理解に苦しむ。

ロボに代行させる営業事務の仕事は、各入力作業、発注業務、顧客管理業務、書類作成業務といったルーティーンな業務である。ひとことでいってしまうと、迅速さとミスをしない正確さだけが評価につながる仕事である。それらは「当たり前を守ることが仕事」なのでプラス評価をしにくい。逆にミスをしたときは思い切り叩かれてマイナスになってしまう。営業事務スタッフからは「我々の仕事に大きなミスや遅延がありましたか。ないですよね」と言われた。当たり前のことが仕事になっている。ミスがないことは、それはそれで結構なことだけれども、まあ、機械的でもあるよね。僕に言わせれば、それはもう人間の仕事ではない。ロボに任せて楽になろうというのが今回の話の本意なのだ。つまり、そういった機械的な仕事をロボに任せて、そこに割いてきた労力と時間を(今は)人間にしか出来ない仕事に向けてもらいたいのだ。たとえば企画書の作成などは、ウチのようにコンサル的な仕事もやっていると、顧客ごとにまったく内容も違うものになる。だが、現実はどうだろう。使い回しやコピペがまだまだ見られる。もっと顧客に寄り添った、オンリーワンの企画書の作成に、労力と時間を割いてもらいたいのだ。

営業の仕事についても、一部、代行を採り入れている。当初は営業スタッフから同じような反発を少なからず受けたけれども、アポ取りと見込み客発掘を代行業者に任せて創出した時間で、顧客に対する提案やヒアリングの質は向上し、成約率はアップしているのだ。何がいいたいかというと、仕事をロボットに任せることではなく、本来の仕事に時間と労力を全振りすることが、大切だということ。その手段が営業事務の仕事についてはロボット(RPA)であるにすぎないのだ。

ロボットは仕事を覚えて、その事業に最適化されていく。これからの仕事は、事業に最適化されたロボットをどれだけ保有しているかが勝敗につながるのではないだろうか。食品業界の片隅にいるウチの会社が、大手の食品会社と渡り合っていくためには、現場や顧客の要望を企画商品化するまでのスピードが鍵になる。大手の開発力とパワーに対抗するためには大手には出来ない小回りの効く商品開発と提案が必須で、そのスピードを実現するためには、事務作業をロボットに任せて、人的パワーを集中投下するしかないのだ。つまり、営業事務のロボット化は、リストラではなく、ウチの会社が生き残っていくためには必要なことなのだよ…ということを淡々とロボットのような口調で説明したら営業事務スタッフは納得してくれたみたいで良かった。みんなをロボットに置き換えてしまえば、機嫌や気分を気にすることなく仕事が出来るのに…という本音を吐露すると新たな爆弾になってしまいそうなのでヤメた。

「仕事が楽になる」とは方便で言ったが、実際は違う。これからは当たり前ではない、他の誰かが考えないようなことを考えていくのがメインの仕事になるのだから、楽になるどころか、キツくなるのだ。仕事がキツくなるというと反発されるので、あえて言わなかったのだ。だが、残念だけれども、機械的ではない人間の仕事とはキツいものなのだ。仕事は機械にとって代わられて、任される仕事はキツくなる…人間て哀しいなあ…と時の涙を見ている僕に、誰かが「営業部長がロボットだったら完全に間違えない判断を下せますね」と嫌味を言うのが聞こえた。そのとき「近い将来、部下を全員ロボットに置き換えてしまえばいい!ハハハハハハ!」と僕の中の悪魔が囁いた。管理職きっつー。(所要時間22分)

社長と対立しました。

査定の件で、ボスと対立してしまった。これまで問題にならなかったボスとの意見の相違が明らかになったので、この対立をポジティブにとらえたい。営業部を任されている僕が査定する対象は、一部の事務スタッフを除けば営業スタッフとなる。会社の業績がいいので、基本的には全員プラス査定がボスの考え方で、その点について異存はない。だが、基本プラスであれ、営業スタッフ(営業職)として会社の業績にどれだけ貢献したのか、査定しなければならないと僕は考える。ウチの営業部は案件ごとにメンバーの組み合わせとリーダーを変える変動チーム制を採っている。だから部署全体でうまくいっているときは、ほとんどの営業スタッフが数値を達成できる。だが、中にはリーダーを任されて負け案件が続いてしまう者もいる。不運なのか、実力不足なのか、わからない。だがそれは事実でありその者の結果だ。僕は、冬季賞与に当たって、そういう者を低く評価した。いくら会社が好調であっても、数字をあげられない営業マンは評価すべきでないと考えたからだ。

僕の評価を、ボスは「厳しすぎる。会社が絶好調なのは全スタッフの貢献があったから」という観点から、差し戻したのだ。ボスは僕に「もし、会社全体の調子が最悪のときに一人だけ営業成績が抜群の者がいたらどう評価する?」訊いた。「最高の評価をします」「好業績のときと同じレベルで?」「ハイ。会社の業績を蔑ろにするわけではありませんが営業マンの評価とはそういうものですから」僕の答えにボスはあまり満足していなさそうだった。営業職以外の仕事を僕はやったことがないので他の職種の評価がどうなされているのか僕は詳しく知らない。だが、営業職は良くも悪くも数字で結果が出る仕事だ。だから僕は営業の仕事については、シンプルに、出た数字だけを評価したいと考えている(勤務態度とかは別ね)。

ボスは、はっきりと言わなかったが、結果が出ていない営業スタッフの「頑張り」「努力」といったものを評価して差し上げろと仰っている。笑止千万。僕に言わせれば、まともな頑張りや努力は数字にあらわれる。数字にならない頑張りや努力は、何らかの間違いがあるから、反省して次に活かせばいいだけのことだ。ボスのように、それらを評価したら、反省や活用はなくなってしまうというのが僕の考えだ。もちろん、そういう数字にならない頑張りや努力を評価することで、気持ちを折らずに次に繋げられる者もいるのは分かっているので、ボスの考え方を否定出来ないのだが。


前に勤めている会社のことを思い出す。営業職の評価に数字以外の要素を多く取り入れていた。上司の前で頑張っている姿。会社内で努力している姿。社長のマラソンを応援したかどうか。社員旅行の参加不参加。上に好かれた者が評価され、嫌われた者はコースアウト。数字を出さない謎上司が飲み会と社内営業で重用された。失敗したときは吊るし上げられ、成功はスルー。上司の見えないところで努力して数字を出しても評価に繋がるとは限らなかった。酷いときは何かインチキをしていると疑われた。きっつー。

結果として何が起きたか。失敗をおそれて何もしない、消極的な営業マンたちの爆誕である。「この案件は厳しそうなのでヤメときます」「競合他社がちょっと多いので戦略的撤退を提案します」「どうせ契約を勝ち取ってもまともに評価されないんでしょ」こんな声を何度聞いたことか。そういう環境にいたからこそ、営業職の評価は余計な要素を出来るだけ排除して、シンプルに数字だけにしたいのだ。数字にあらわれない努力頑張りは評価しないけど、逆にいえば、数字にあらわれる結果さえ出してくれれば、確実に評価に繋げるのだけど。間違っているかな…。

まあ、会社の業績は好調で冬季賞与も平均2.5ヶ月支給された。もっとも評価された者でも2.55ヶ月程度なので僕とボスの対立は0.05月という小さな戦場で行われたともいえる。でも、僕は危惧するのだ。会社が好調な今はいい。会社の業績が悪くなったときも、ボスが仰るように、数字にあらわれない努力や頑張りを評価対象に出来るのかと。評価の対象を変えずにいられるのかと。まあいい。僕はもう会社や仕事に過度の期待をしていない。僕の仕事は会社を良くすることではなく、営業部門の責任者として会社の好調継続に貢献することだ。僕に出来ることは、評価に対するボスの考えがどうあれ、意味不明な努力や頑張りといった曖昧なものに左右されない営業部門の責任者としての実績を積み上げていくこと、それだけしかない。(所要時間22分)

ディアトロフ峠事件の真相に迫る『死に山』は、失われた冒険心に火をつけてくれる魂の一冊だからみんな読んで。

「死に山」は、僕が今年読んだ本のなかで最高に面白い一冊のひとつである。だから多くの人に読んでもらいたいと思っている。一方で、最初にいってしまうと、ノンフィクションとしては不出来な面もある。なぜならこの本で明かされる真相について、客観的な検証がなされていないからだ(あるいは足りない)。それを踏まえ、この本の面白さを、ひとことで語ろうとすると「川口浩探検隊」となる。つまり、オチなんてどうでもよくなる、冒険心に火がつくような体験と途中経過の面白さである。

「死に山」は、約60年前に旧ソ連で起きた怪事件「ディアトロフ峠事件」の真相に迫るアメリカ人ジャーナリスト、ドニー・アイカー渾身のノンフィクション本だ。大学生を中心とした登山グループが真冬のウラル山脈の一角で、9人全員が謎の死を遂げた事件である。旧ソ連、上からの圧力による捜査打ち切り、捜査当局の出した結論「抗いがたい自然の力」、目撃された謎の発光体、内側から切られたテント、靴をはかず薄着の遺体、舌の喪失、遺体から検出された放射能。それらの謎が謎をよび、陰謀説やUFO説などあらゆる説が唱えられた未解決事件である。ディアトロフ峠事件 - Wikipedia

帯カバーにあるような「世界的未解決遭難怪死事件」かどうかは知らないが、僕は、小学生の頃からこの事件の概要は知っていた。UFO関係の話で取り上げられていたような、かすかな記憶はあるが、遭難事件というよりはオカルト事件のひとつとして取り上げられていたのは間違いない。「死に山」において著者が辿り着いたディアトロフ事件の真相が明らかにされていはいるが、それが真相かどうかはわからない。きっと永遠に解明されないだろう。ただ、ひとついえることは、この「死に山」が辿り着いた真相が、オチとしては地味ではあるもののの、「もっともらしい」のは間違いない。そのあたりは川口浩探検隊が「ホニャララは実在した!!」とタイトルばかりは勢いがあるけれども、最終的には地味なもやもやで終わってしまったのと少し似ている。

 「死に山」で描かれている冒険は3つある。ひとつめとふたつめは1950年代。ディアトロフ峠事件に巻き込まれてしまった登山グループの冒険と彼らを捜索するグループの冒険。そしてもうひとつは2010年代。事件を追う1人のジャーナリストの冒険である。1950年代のふたつの冒険のパートは、遭難する登山グループがごくごく普通の大学生のグループであったことを示す数々の写真とまるで冒険小説のように活き活きとした描写でぐいぐい読ませるが、それよりも僕が魅かれたのは事件の真相へ迫ろうとする2010年代の冒険である。

アメリカ人の著者は極寒の事件現場へ赴いていく。冬山装備を揃え、同じように事件を追い事件を風化させまいと活動している奇特なロシア人の家に泊まり、準備を整えていく。僕が好きなエピソードは、登山グループの生き残りとの邂逅だ。生き残りの老人は、事件を旧ソ連の陰謀として当時の体制に対して批判的でありながらも、一方で、旧ソビエトの体制と当時の生活へ愛着を見せる。一個人の中でロシアと旧ソビエトへの愛憎がごちゃごちゃになっているのだ。そして脇にいる通訳が旧ソビエト時代の話に露骨に嫌な顔を見せる、大きな変化のあった国に生きる複雑な人間の心を垣間見るようなエピソードだ。

アメリカに住むジャーナリストが60年近く前のソビエトの事件に興味を持ち、貯金とクレジットを使い果たしてまでのめり込むのか。なぜ、彼が妊娠中の恋人や生まれたばかりの子供を家に置いてまでして、ディアトロフ峠へ向かわなければならなかったのか。その、クエスチョンに本書(著者)は明確な答えを用意していない。我々読者たちも同じだ。おそらく読者は60年前のミステリアスな事件にドラマチックな解決があるとは思ってはいない。なぜなら、もし、このような世界的な事件に、明快な解決があるならば、すでに情報として流れているからだ。それなのになぜ、この事件に係る本書を読むのか。この冒険に引き込まれてしまうのか。ロマンなどもうこの時代には残されていないのに!

そのクエスチョンに対する答えは、誰もがそれぞれのディアトロフ峠事件を持っているからだと思う。ある人にとっては子供の頃に見たはずのUFOかもしれない。突然切れだす人や煽り運転をするバカの内心、また別のある人にとっては、日常生活における些細な引っ掛かりかもしれない。僕らは忙しい毎日の中でそれを見て見ぬふりをして流しがちだ。そういう生活の上で解明する必要のないミステリー、つまりディアトロフ峠事件に突き進んでいく著者に僕らはどこかで憧れを抱き、自分自身を重ねてしまうのではないか。少なくとも僕はそうだった。

僕は冒頭で「死に山」が辿り着いた真相を、オチとしては地味、と述べた。確かにその真相を単体で見てしまうとそう見えるだろう。だが、事件から60年後の現代から事件をアプローチして、現場に赴き、客観的に陰謀説等々の無理矢理さを排除していくくだりは派手ではないが知的でスリリングだ。そのオチを見たまま地味ととらえるか、研ぎ澄まされたソリッドな真実ととらえるかは、読む人に委ねられているのだ。本当に面白いから読んだ方がいい。おすすめ(所要時間27分) 

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

 

 

私は老害になりたい。

最近、「老害」といわれることが多くなった。44歳、人生の黄昏である。もし、僕に対する悪口のつもりで「老害じゃん…」「老害になりそう」と仰っているのなら、残念ながら逆効果である。忌避されると喜んでしまう、好戦的な性格と厄介な性癖が、僕にはあるからだ。そして、なにより、僕自身が老害になりたいと考えているからだ。それも一刻も早くに。

なぜか。自分の考えを持っていれば、誰でも老害になりうると気付いたからだ。つまり、老害は自分固有の考えや価値観を持っている証拠ともいえる。自分の考えや価値観が他の世代と合わなければ、結果的に老害扱いされる。たったそれだけのことだからだ。実際、僕の人生において糧になっている先人の方々を振り返ると、本当に尊敬できる人生の先輩数人をのぞけば、老害と呼べる人ばかりだ。「アホかよ」「こんなバカにはなりたくない」という反面教師的であったが。老害とまではいかなくても、部活やサークルのOBが現役世代にあれこれ言ってくると、たとえそれが正論であってもウザがられるものだ。

 そもそも老害とは何だろう。老害という言葉から僕が連想する人物は、某大新聞トップW氏、元東京都知事兼作家I氏、元総理兼東京五輪組織委員長のM氏、元上司のK氏である。シンプルにまとめてしまうと、「自分の考えを曲げず聞く耳を持たない、それでいて現役世代に対して相応の影響力を持っている(持っていた)老人」。現実を見ていない、現実についていけていない、という批判を受けているのも要素のひとつだろう。だが、余程のバカでないかぎり、人は、年齢や経験を重ねて、自分の考えや価値観を、数多の修正と変更を経て、補強し強固にしていく生き物ではないか。子供の頃と同じレベルで柔軟性を発揮して考えをコロコロ変えられるのは、記憶力の皆無のアホか天才くらいだ。つまり程度の差こそあれ、誰もが老害になる。そして、強固な考えを持った年長者が下の世代からウザがられるのは人類の歴史と部活OBが証明するように、仕方ないことなのだ。

 下の世代からみれば年長者の考えというのは、少なからずウザいものである。それが正当なものであってもウザいし、間違っていればなおのことだ。たとえば、エレベータを待っているときに、見知らぬ老人から昇降ボタンを押せと強めに言われたとき、どう感じるだろうか。一般的に、昇降ボタンを押すのは先に待っている者の役割なので、老人の言っていることは正しい。それはわかる。だが、なんでそんな強めに言われなきゃならんのだ、ちょっと人生の先輩なだけのくせにウガ―!と思うのではないだろうか。「この老害!」と心の中で叫ぶ人もいるだろう。先に年長者がウザがられるのは仕方ないと述べたが、下の世代がウザがるのもこれまた仕方のないことなのだ。自分の考えや価値観を補強するために、老害という仮想敵を設定するのは極めて有効な手段だからだ。「老人は凝りに固まった考えしかできないけれど、フレッシュな僕らならまるで柔軟剤で柔らかくしたようなアイデアが湯水のように出てくるよ!」みたいな。つまり年長者を老害とみなし、けなすことで自分の考えを補強してアイデンチチーを確立しているのである。

 自分の考えを「補強」した結果、年長者は老害になり、若い世代も自分の考えを「補強」した結果、老害を貶しているのだ。非常によく似ていると思う。ここから導きだされるのは「世代は超えられない」という諦めに近い認識を持つべきということだ。わかりあえないということをわかりあうべきなのだ。ときどき、意識が少々高い30代の「いい大人」が、若者サイドに立って「自分たちは若い世代、老害は去れ」などとウザいことを仰っているのを見かけるが、世代という概念にとらわれているかぎり、かなり高い確率で当人が老害になると僕は見ている。

僕は自分の考え方が凝り固まっていると自覚している。レッツ・ゴー・老害は免れられないだろう。今は、一刻も早く名実ともに兼ね揃えた老害になりたいとさえ思っている。どうせ老害になるのなら、立派な老害になりたい。ところで、いい老害とは何だろうか。「金は出すが口はださない年長者」が最高の老害とすれば、「金は出さないうえ口も出す年長者」は最悪のそれになるだろう。僕はせめて「金も出すが口も出す」立派な老害になりたいと思っている。金を払うのは「文句言い料金」のつもりだ。

かのマッカーサー将軍の有名な演説「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」。素晴らしい心境だと思うが、消えゆくのみなんて、僕はイヤなのである。実につまらない。将軍はフィリピン奪還作戦を「アイシャルリターン」という言葉をかかげてド派手にやり遂げた経歴があるから、ただ消え行くのみという心境に達しても、あの人はデカいことをやったからね…と思える。だが、人生においてアイシャルリターン的なことを何も成し遂げていない平凡な僕らが、ただ消えていったら、ガチに消えるだけだ。寂しいかぎりでははないか。

若い世代に疎まれるのを極度におそれて、考え方に変更を加えたり、発言を控えるような人生にだけはしたくはない。それで老害と言われても僕は構わないし、言われるくらいでちょうどいいとさえ思っている。老害を突き詰めていって、「ただ消え行くのみ」の域に到達できたら、いい。はやく立派な老害になりたい。(所要時間28分)

44歳のオッサンがひとりでディズニーランドへ行ってきたよ。

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風邪をこじらせた妻の代わりにディズニーランドへ行ってきた。男44才、実に11年ぶり2回目のひとりディズニーランドである。(11年前/2007年9月一人でディズニーランドに行ったよ - Everything you've ever Dreamed)僕に与えられたミッションは、クリスマス限定グッズの購入と、イベントや飾り付けの模様を撮影してくること。意味が分からない。なぜ、行かねばならないのか。妻「高額なチケットが無駄になります」。日付変えて行けばいいやん、という意見は、年内は予定がいっぱいです、期間限定のグッズを入手できなかったらどうするの、とえらい剣幕で退けられた。「行かないとどうなるの?」「おそろしい災厄に見舞われます…」。だそうです。妻からは詳細な工程と付箋を貼ったガイド本を渡された。「このとおりに巡って買って撮ればオーケーです」と妻は仰っていた。そんな決定権がお前にあるのか!と反論したいのをグッと堪えてひとこと「御意」と言った。耐え難きを耐えるのも大事なのである。

もともと休みを取るつもりだった。部下に休暇の予定を質問されたので、正直に、「ひとりでTDLへ行く」と言った。するとその部下は、心から落胆したような溜息をつき、「僕らに気を使って遊び人を装わなくてもいいんですよ…」と言いました。きっつー。妻のプランは開場最低1時間半前に現着が必須となっていた。「何時開場?」「朝8時」「ジーザス!」妻の言葉を信じて朝5時に家を出て6時半に現地に到着したけれど、11月30日は特別に朝9時開場でした。舞浜に神はいない。結局、僕は朝6時半から夜9時半までひとりでディズニーに滞在した。管理職にとって、15時間の長さの時間は貴重だというのに。妻の求めるイベントやパレードの撮影、グッズ購入をほぼ完璧にこなした。

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▲当日は、35周年とクリスマス・イベントでした。

それだけでなく妻が組んでいた工程通りに行動し、アトラクションにも搭乗してきたので褒めてほしい。アトラクションから降りたところで心優しい人に声をかけ撮影していただいた画像を時系列に沿って貼っておく。

よく、ひとりディズニーといって、浮かれてしまう輩を見かけるが、一緒にしないでほしい。淡々と仕事をこなす、プロの仕事ぶりを見てもらいたい。

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1.モンスターズインク(9:37)  楽しかった。テロリストじゃないぞ。

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2.ホーンテッドマンション(10:57) クリスマスバージョンが可愛かった。テロリストじゃないからね。

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3.バズライトイヤー(11:17) 手に汗握った。光線銃当てるの難しい。テロリストじゃないからね。

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4.カリブの海賊(11:42) 最初どーんと落ちるの失念して焦った。テロリストじゃないから!

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5.スターツアーズ(12:29) 油断してたら少し酔った。テロリストっぽいな。

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6.スペースマウンテン(12:56) ぐるぐる回った。説明にあった急停止はどこいった。日常に戻ったテロリストっぽい。

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7.ジャングル・クルーズ(14:36) 船長さんトーク面白いね。任務完了したテロリスト。

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8.イッツ・ア・スモールワールド(16:08) リニューアルしてポップになった。世界はひとつを唄うアトラクションで世界分断を誓うテロリスト。

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9.スティッチ・エンカウンター(17:41) スティッチよくしゃべる。よくできている。スペース・テロリスト。

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10.ウエスタンリバー鉄道(19:05) 乗ったのは小学生以来かも。鉄道施設を爆破するために闇にまぎれるテロリストじゃないから。

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11.番外編 シンデレラ城をバックに。目が暗い。
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▲当日の格好(インスタグラムより)


どれも同じカッコで申し訳ない。髪ぼさぼさ、髭ボーボー、隠すための格好だったのだが、よくいえばテロリスト、悪くいえば変質者にしか見えなかったかも…。でも、ほんの少しの勇気とタフさがあれば、オッサンでもディズニーは楽しめるとだけは言いたい。オッサンズ・ビー・アンビシャスだよ。夜11時に帰宅してお土産とデータを納めたら、妻から「大儀…」のひとことと、欲しくて欲しくてしかたなかったニンテンドースイッチを頂戴したので良かったです。

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 (所要時間約16時間)