Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

恩人の死で世間の薄情さを思い知らされた。

「あの人、亡くなったってよ」昨夜、かつて大変世話になった先輩の訃報を受けた。亡くなって、数年経過してからの訃報。それだけ彼とは疎遠だった。20数年前。心身を壊した若手営業社員数名の補充として、庶務から営業へ移ってきた僕に、その先輩は親切に接してくれた。彼が真っ先に教えてくれた「お客目線の自分都合」という仕事の進め方は、今も営業職として働く僕の、座右の銘になっている(余談だが、数年前、怪しげな営業セミナーを受けたときに、講師がまったく同じ文句を口にして驚いてしまった)。「お客目線/自分都合」とは、字面通りの意味で、特に独自性も面白みも深みもないけれど、仕事を進めていく際は相手の立場を考えながらも、自分の都合の良いところに落としどころは持っていくという基本スタンスをあらわした言葉だ。僕は今も、仕事上の判断で迷ったとき、エロい店やエロくない店でぞんざいなサービスを受けたときは、お客目線、自分都合、と唱えて平静を保つようにしている。

先輩のあだ名は「ミスター・ゼロ」。飲み会で激しく飲酒した先輩が、焼酎用の氷入れ容器へ嘔吐したあとは、陰で「ミスター・ゲロ」と呼ばれていたけれど、基本的にはミスター・ゼロ。ゼロの由来は、無駄を徹底的に無くそうとしていた彼の行動にあると思っていた。特に事務用品の無駄使いを忌み嫌っていた。「紙を無駄にするな」と裏紙の積極的使用の執拗に叫ぶのは理解できたが、使用済みホチキスのタマを集めて再利用している姿は理解しがたいものがあった。

僕よりも十歳ほど年上の彼は、しょっちゅう上司から呼ばれて注意を受けていた。「仕事を取ってこい」「契約を持ってこい」と。彼は何年も仕事を取っていなかった。ミスター・ゼロはそんな彼を揶揄するあだ名だった。無駄を忌避する彼自身が、営業部にとって大きな無駄になっていたのだ。哀しかった。入社数か月で僕を含めた新人たちは、ミスター・ゼロよりも結果を出すようになっていた。結果を出さない先輩ほどバカにされる存在はない。実際、僕の同期のなかには、露骨にミスターゼロを馬鹿にする奴もいた。僕は馬鹿にするようなことはなかった。恩を感じていた、とか、優しさから、ではない。その頃、すでに僕は彼、ミスターゼロに対する興味を失っていたからだ。いいかえれば、僕がいちばん残酷な仕打ちをしていた。

僕が会社を辞めるとき、ミスターゼロから「辞めた会社のことなんかすぐに忘れろ」という言葉をいただいた。僕は、その言葉に従って、「1・2の…ポカン!」で全部忘れた。ミスターゼロのことも。全部を。そして彼の訃報。正直いって「お客目線で自分都合」以外、彼から教わったものはない。彼自身の印象も希薄で、顔面は「会えばわかるかな…」レベルの曖昧な記憶しかない。名前は思い出せなかった。僕に去来したのは悲しさより申し訳なさだ。少しでもお世話になったのだから、せめて顔と名前くらいは覚えておくべきだった。営業マンとしてはいまいちだったが、いい人だった。彼より人のいい営業マンを僕は知らない。冷血に思われないよう自分を弁護するなら、名前や顔や肉体を喪っても言葉が誰かの中で活きていれば、それがその人の生きた証で、その意味で彼は僕の中で生きていることになるのだ。つまり言葉が神なら、僕ら人間は言葉のしもべにすぎないのだ。

今朝、年末の買い出しの帰りに、小路の片隅にあったゲロゲロゲロッパの痕跡を見つけた瞬間、ふと、頭にミスター・ゼロの本名が降ってきた。SNSで検索すると、昨夜、猫を抱いた自撮りをアップしていた。その笑顔は僕の記憶よりもずっとくたびれて、ゾンビみたいだったけれど、まだ生きていた。ガセで良かった。申し訳なさに突き動かされるように、空白の時間を埋めるように、僕は彼にフレンド申請をした。ご無沙汰しております。以前勤めていた会社でお世話になった私ですよ、と。数時間後返事が来た。「すみません。心当たりがないのですが」。忘れられていたのは僕の方でした。どうやら、終わってしまった人間関係を掘り起こしてもゾンビが出てくるだけでいいことはないらしい。(所要時間20分)

アポなし年末挨拶には無慈悲な鉄槌をくだしている。

「年末の挨拶はアポなしでオッケー!」みたいな風潮を抹殺したいと常々思っている。なぜなら、今、年末の挨拶にアポを取らずに来る図々しい客のせいで、僕の気持ちが折れそうだからである。こちらの仕事が納まらねえ。「そんなの断れよ(笑)」と仰る方もおられるだろう。僕個人の問題ならばスパっとそうするが、会社対会社の話なのでそう簡単にはいかないのだ。そもそも、僕が「年末の挨拶に伺いましたー!」とキラキラ笑顔の来客に「無礼者!帰れ!」と言えるようなタフな心を持った人間であれば、会社勤めなどしていない。つまり、アポなし年末挨拶客との戦いは、会社に勤めているかぎり永遠に続くのだ。きっつー。告白しよう。僕自身も長年、アポなしで年末挨拶をしていた。だから今更、アポなしヤメろなんて、わがままなのは、自分でもわかっている。ただひとつ、お利口な僕は、アポなしの挨拶巡礼のなかでひとつだけ禁句を設けていた。そのフレーズだけは絶対に言わないと。

現実問題として今、僕は管理職。挨拶をするよりもされる側になる機会の方が多い。「立場は人を変える」という言葉がある。そこには「あの人は立場を得て立派になった」というポジティブな意味もあれば、「あの人は肩書を得て変わっちまった…」という残念な意味もある。僕は前者でありたかったが、残念な後者である。己のアポなし挨拶歴史を棚に上げて、アポなしで来る客を迷惑だと思っているヒトデナシだ。しかし、なぜ、一本電話をかけてアポを取れないのだろう?ナメているのだろうか。僕の経験からいえば、単に、めんんどくさいからだ。出来るだけ多くのクライアントをまわるためには、クライアントの都合に合わせていられない、そういう考えが年末年始アポなし挨拶にはある。つまり「一年間ありがとうございました。今後ともー」と相手へのサンキューとリスペクトのポーズを取りながら、あくまで挨拶をする側の都合なのである。そういったものを心の底に沈めて、アポなしで年末挨拶にくる取引業者の人に対応している。

アポの有無はあれど客に貴賤なし。僕は出来る限り誠意をもって誠実に対応している。だからアポなしで年末挨拶に来る人が申し合わせたように「お忙しいところアポなしですみません」と言ってきても、誠実に「忙しいし、アポなしは困ります」と返している。すると、営業マンというのは面の皮が厚いものでございまして、恐縮するどころか、「イヤー。お忙しい部長に我々の年末の挨拶のために、わざわざ時間を取ってもらうのもどうかと思いましてー」などとワンダーな理屈を持ち出して、わざわざ時間を割いている僕に言うのだからたいしたものである。どうやら彼らには僕の皮肉とその裏にある本気の嫌がりが伝わらないみたいだ。

ムカつくのは、話が弾んできて面談が長くなってきたとき、わざとらしく腕時計をみて「あっ!」と虚をつかれた声を出し、すみません、私たち次の約束がございまして…などと言ってくるときである。次に会う客にはちゃんとアポを取っているのね、僕は軽く見られているのね、でもわかるよ同じ営業マンだから…顧客ランクAをランクZより大事にするよね…という気持ちを押し殺して、「今度はアポを取ってじっくり話をしましょう」と都会に染まった僕は言ってしまうのである。このように、僕は相手が、僕が禁句としていたフレーズさえ言わなければ、アポなし客であれどもそれなりに丁寧な応対をする。その禁句とは「ちょうど近くに用事があったので」。それを言われると即座に「私に会うのは《ついで》ってことですか?」と詰問するようにしている。もちろん《ついで》のときもあるだろう。暗黙の了解である。だが、アポなしでやって来て、それを言葉にするというのはナイ、というのが僕の考えだ。相手があたふたするのを確認してから「ついででもまあいいですけど、ご用件は?」と追い討ちをかける。「年末のご挨拶にまいりました」と相手が言い終わるのを待ってから、「いやいやそれだけで来社するはずはないでしょう、そろそろ本題に移りましょうよ」とふたたび追い込む。「いえ、今日は挨拶だけで!」と相手が窮すのを見計らって、僕は「じゃあお引き取りを」つって、かつてクソ上司がその身を犠牲にして僕に教えてくれた、『必殺!テーブルに広げた手帳パタン閉じ』を食らわすのである。

ブラック上司が身をもって教えてくれた「時間を生み出す方法」が魔法レベルで役に立っているので全部話す。 - Everything you've ever Dreamed

無慈悲な手帳パタンをやられた人間は皆、魂を抜かれたような顔になるので面白い。たかがアポがないだけで大人気ない、《ついで》だっていいじゃないか、という批判もあるだろう。そしてその批判は相手に対して失礼だ可哀想だという感情からきているのだろうが、そもそも失礼なのはアポなしでやってくる人間であり、可哀想なのは、事務所の扉近くにマイデスクがあるために居留守がつかえず、アポなし客の攻撃を回避できない僕の方なのである。それに、どれほど無慈悲な報復をしても、アポなし年末挨拶に来るような連中は、何もなかったかのように、年が明けたらアポなしで年始の挨拶に来るから、心配するだけ無駄なのである。(所要時間23分)

ホワイト企業で働く僕が見つけたブラック企業とのヤバすぎる共通点について

20年間の雌伏の時を経て、今は、非常に快適な環境で働いている。経営者の考え方、考えの事業への落とし込み等々から、ホワイト企業といって差し支えないだろう。ありがたいことだ。昨年の夏に、ブラックからホワイトへ転職して、気付いたことがある。それは、今の同僚たちの言動と、過去の職場の同僚たちの言動で、よく似ていたものがあること。おかしい。なぜホワイト企業にやってきたはずなのに、ブラックな言動を耳にしなければならないのだろうか…。その根底にあるものを、ブラックとホワイト二つの職場の同僚たちの言動をいくつか取り上げ、比較検証して、探ってみたい。

1.経営者感覚

ブラック/経営者「社員ひとりひとりが経営者感覚をもって仕事にあたって欲しい」

ホワイト/社員「僕たちも経営者感覚を持たないと!」

非常によく似た発言。違いは言葉の主が、洗脳する側と洗脳される側であること。ブラック経営者の例は、「我々経営者はリストラのような厳しい選択をしなければならないときもあるので、社員も我々の厳しい状況を忖度して、労働者の権利みたいなつまらないことを言わずに、あっさりリストラされてくださいね」という都合のいい言葉であり、言語道断である。一方、ホワイト社員のように自発的に経営者感覚を持ちたいと仰っているのは大変素晴らしいことだが、ブラック経営者の都合のいい言葉を受け入れてしまう素養があるともいえ、大変危険であると考えるのは僕だけだろうか。つか単純にちょっとキモい発言ではある。

2.ランチミーティング

ブラック/「ランチ・タイムの言論統制」という会社サイドの目的からランチミーティング開始

ホワイト/「ランチの時間も無駄にしたくない。仕事に活かしたい」という社員の提案で開始。

ランチミーティングに求めるものは違えど、ブラックの例が主体となる経営者サイドの参加者に咀嚼能力の衰えが見えはじめているためクチャラーミーティング化、ホワイトの例がガチ仕事トークで食事が美味しくなくなる化、という計画前には予想しなかった問題が顕在化し、誰かが「やめよ?」といって消滅した点では同じであった。とはいえ、ランチの時間も無駄にしたくない思想は会社に都合よく使われるので気をつけた方がいい。

3.社歌

ブラック/経営者考案歌詞「一期一会の精神で~」

ホワイト/経営者考案歌詞「フォーユアドリームス」「トゥモローネバーノウズ」「スピーディーソリューション」

いうなれば演歌と90年代ジェーポップ。主張はほとんど一緒。両者を融合させれば、コブシの効いたポップソングとなり、今をときめく米津玄師さんのようになれたかもしれないが、哀しいかな、そんなうまい話はない。

 

4.休みたくない

ブラック/社員「 仕事を休みたくない」

ホワイト/社員「仕事を休みたくない」

ブラック企業では「休みたい」の声が大多数であったが、「休みたくない」という奇特な少数派もいた。理由は「休んだら我にかえってしまう」という哀しいもの。きっつー。ホワイト企業における「仕事を休みたくない」は、仕事が楽しすぎて休みたくない、というピュアな気持ちの表明だけれど、傍目からみたら異様なので、公共の場やSNSでの発言は、老婆心から控えた方がいいと思う次第。

5.仕事がある幸せ

ブラック/ボス「仕事があることは幸せだ」

ホワイト/社員「仕事があることは幸せだ」

ブラックとホワイトでまったく同じ言葉を耳にした。異なるのは、言葉の主。ブラックの場合は、仕事を部下に任せる立場の人間のものであり、それに対し、ホワイトの例は実際に仕事をする部下のもの。ブラックの言葉は「つらいと感じているかもしれないが仕事はあるだけマシなんだぞ」という典型的なブラック経営者思考である。どういう人生を送ってきたのか知らないが、ブラック企業には、なぜか「仕事はつらい」という前提があるらしい。きっと前世は古代ローマの奴隷だったのだろうね。ホワイト企業の社員が「仕事があるってそれだけで幸せだなー」と仰るのは、純粋で、素晴らしいことだと思うけれども、そのピュアな心が、仕事の挫折や同僚の裏切りで折れないよう草葉の陰から僕は祈っている。

6.朝礼スピーチ

ブラック/社員「私はこの会社が大好きです!大好きな会社の欠かせない存在になりたいのですが!人前で!話すことが!まだまだ苦手です!はやく!人前で!赤くならずに話せるようになれるよう!努力します!」のように会社愛や自分に足りないものを「絶叫」。

ホワイト/社員「私はこの会社が大好きです。大好きな会社の欠かせない存在になりたいのですが、人前で話すことがまだまだ苦手です。はやく人前で赤くならずに話せるようになれるよう努力します」のように会社愛や自分に足りないものを「比較的大きな声で語る」。

絶叫と大声、それ以外の違いはほとんどないが、ホワイト企業の場合は、「会社にはこうなってもらいたい」「人に愛される会社にしたい」と、会社に足りないものを求めたり、こういう会社にしたいという理想を主張することもあるのが違う。ただやってることは傍目からみたら同じ。あと、声量でやり直しを喰らうかどうかも大きな違いかもしれない。

7.多忙

ブラック/社員「ヒ―!忙しい」

ホワイト/社員「ヒー!忙しい」

文字でみるとまったく同じだが、ブラック企業につとめる社員の「忙しい」は残業しないと終わらない、さもなくば死ぬ、という切羽詰まった状況のスクリームであるが、それに対して、ホワイト企業社員のそれは「ノー残業、定時で仕事を終わらせるためには仕事ペースを上げなくてはならない!」という己に対する喝にすぎない。忙しい、忙しい、と言いつつ、僕チンは定時で帰れるよーん、と喜んでいるにすぎないのだ。ひとことでいえば、余裕の表明。

8.繁忙期の対応

ブラック/経営者「周りの皆も頑張っているから…」

ホワイト/同僚「周りの皆も頑張っているから…」

仕事で折れてしまいそうな者に対する励ましフレーズである。ブラックとホワイトで大差はない。ただ、これに続く言葉が違う。ブラック経営者は「頑張ろうよ!」といって、ここでヤメたら周囲に比べて貴様は劣っていると自認することになるぞ、という圧をかけて翻意を促してくるが、ホワイト同僚は「休みなよ!」といって、ワンフォアオール、オールフォアワンなスタンスを示してくる。ただし、仕事が好きなあまり「周りが頑張っているから」というフレーズが言われる側にとって重圧になりかねないことがわかっていないのが致命的である。受け手が気持ちの弱い人の場合、「みんなに悪いから休みいらないっすわ…」という哀しい結論に導きかねないことに気づいていないので、微ブラック臭が否めない。

 以上である。このようにブラック企業とホワイト企業とで非常によく似た言動が見られるのだ。なぜか。その原因は、ブラック企業サイドにフォーカスしてみるとわかりやすい。つまりブラック企業の経営者は、自分の会社がブラックであればあるほど、そのブラック要素をカムフラージュするために、言動でホワイトであるように装うからである。その結果、ブラック企業における言葉だけの薄っぺらなホワイト発言と、ホワイト企業で働く喜びを素直に表現する従業員の発言が接近し、似てくるのだ。薄さと素直さに共通するのは「ストレートであること」。つまり、ブラック経営者の従業員をごまかすための言動と、ホワイト企業で働く従業員の仕事嬉しい!楽しい!大好き!な言動が似てくるのは、ストレートな感情からの言葉だからなのだ。

結論めいたことをいうと、ブラック企業で働くアンラッキーな人は、経営者のブラックぶりをホワイトに偽装する発言には気を付けるようにすること、そして、ホワイト企業で働くラッキーな人は、その喜びをあまり素直に表現しすぎて、経営者に利用されないようにした方がいいこと。僕にいわせれば、ブラック経営者はアホすぎるし、ホワイトで働く社員は甘すぎる。

ホワイト企業がブラック企業になるのはオセロゲームのようにマジで秒だ。その可能性を常に念頭に入れ、油断せずに充実したサラリーマンライフを送ってもらいたい。(所要時間39分)

ちょっくら東大を受けてくるってよ。

高校3年生の甥っ子1号が東大を受けるらしい。模試の成績どおりに行けば問題なく現役合格する見通しなので、滑り止めの受験は考えていないそうだ。「まあ、甥の受験なんか、僕には関係ないわー」とスルーを決め込んでいたら、入学祝いを求める話が甥っ子サイドから出てきたので他人事ではなくなってしまう。祝っていない。むしろ、呪っているくらいだ。クリスマスや正月が近づくタイミングで、「おじさんはイケメン」「おじさんは尊敬に値するレインメイカー」「おじさんの加齢臭はそれほど気にならない」などと、あからさまに僕をリスペクトするような言動を繰り出してくる甥たちを、どう愛すればいいのか。まだ僕にはわからないというのに。そもそも、僕の理解によれば、祝い金というのは祝う気持ちから贈る金銭ということになっているが、現実はそんな綺麗なものではないので、実際的には、受け取る側との親密度等の諸事情を鑑みて、こちらから「いくら出そうか?」と発信するものである。つまり、あくまで祝い金の主体は贈る側であり、受け取る側から「これだけ欲しい」と金額指定をしてくるというのは僕の理解をこえているのだ。さらに驚いてしまったのは、万が一、甥1号が、受験に失敗したときも、予備校への入学呪い金をいただきたいとのこと。人間とはどこまで厚かましくなれるのだろうか。親の顔が見てみたいものである。そういう事情があるので、アホ面の甥1号には絶対に一発で受かってもらわねばならない。金のことはあまり言いたくはないが、僕は、予備校への呪い金をアドオンで支払いたくないからだ。そういう汚いマネーの話はさておき、あの小さかった甥が大学受験をするというのは少し感無量である。甥が小学生の頃は、夏休みに一週間ほど泊まりに来て、海や山や映画館へ行ったり、一緒に遊んだりして、可愛がったものだ。僕に子供がいたらこんな感じなのだろうな、という貴重な疑似父親体験もさせてもらった。秋葉原へ行ったり、ガンプラをつくったりもした。子供ということにして僕のミニ四駆のコースデビューに付き合ってもらったりもした。あの、甥っ子が東大受験とは…時の流れの速さを思い知らされる。もっとも、秋葉原と、ガンプラと、ミニ四駆コースデビューについては、ついこのあいだの今年の夏の出来事である。そんなボンクラな高校最後の夏を送っていたアホ面の甥が東大とは…にわかには信じがたく、僕は今、親族一同による僕を標的にした金銭詐欺を疑いはじめている。(所要時間13分)

就業規則変更で社員の秘められていた能力が見つかった。

就業規則の変更が通達された(労基届出済み)。内容は、会社や取引先の車両や機器を破壊殲滅したら、その回復にかかった分を負担させることもあるよー、情状の余地はあるけどねー、というもの。これまでは営業車でチキンレースをして大破させるような、マッドで悪質な行為の結果でないかぎり、無条件で会社が全額負担していた。前に勤めていた会社では、無条件で事故を起こしたら社員全額負担の無慈悲なフリーザ様対応だった。同じ世界とは思えない。その「悪気があって壊す人はいない…」という性善説に拠る無条件を今回、改めたのである。

きっかけは僕が任されている営業開発部在籍の、僕の入社前から事故を起こしまくっているベテラン社員である。優秀なスタッフの中で、「温厚な性格」と「平均的な仕事ぶり」という得やすい資質を併せ持つ彼は、今年になってから、コンクリ壁、電柱、金網を相手に自爆事故を3回起こしており、先日もまたコンクリ自爆。その彼が事故報告書の原因と思われるものに「生活苦」と記してきたのを受け、部長会議に出ている幹部一同、「さすがにこれは…」と反省の無さぶりに「ぐむむ…」と唸ったのである。

部下が事故を起こしました。 - Everything you've ever Dreamed

部長会議で、僕は、彼に対して特に思い入れはないが、他の部下たちから冷酷な上司と誤解されたくないので、彼を弁護した。「彼は左足ブレーキ右足アクセルという特殊な運転技法を用いている。全部それを教えた教習所のせい」「毎日車で外回りをしていれば事故を起こす可能性はゼロではない。職種が悪い」「暑すぎた夏の疲れが出たのかも。異常気象が悪い」と。いいかげんな弁護に聞こえたらしく、「フザけているのか」「ちゃんと指導しろ」「屁理屈はやめろ」部長連中の非難は熾烈を極めた。おかしい。僕が入社する以前から彼は事故を起こしていたのに、なぜ、今。きっつー。おそらくこの抵抗は、外様で新参者の僕に対するもの。負けられない。部下を守ること、それは己を守ること。つまりこれは僕の戦い。そんな強い気持ちはあったが、気持ちだけではどうにもならないのが僕たちが生きるこの世界のリアル。決壊する堤防から溢れ出る激流を、紙コップで汲んでは戻すような、僕のささやかな抵抗は、大勢を覆すに至らず、就業規則の変更へと繋がった次第である。

部長会議のあと、「安全運転をお願いしますよ」「事故が続くと、自己負担にされてしまいますよ」と彼に注意をした。弁護はいいかげんだったが、これは心から彼を思ってのホンモノの注意であった。これ以上、彼に事故を起こされたら、僕の管理監督責任が問われる、それは絶対に嫌だからだ。僕は彼の度重なる事故に、ひとつの共通点を見つけていた。それはバック走行中。彼にその点を指摘すると彼は、「首を後ろに向けてバック走行させると右が左になって左が右になりますよね?」と同意を求めてきた。言わんとすることは、わからないでもないが、もしかしておバカさんなのかな。僕が「なりません。たとえそうであっても対応すればいいでしょう」と言い、彼が「すごいですね…」と応じて会話は終わった。

それが2ヵ月ほど前。そして今朝、就業規則の変更が正式に通達された。「ちょっといいですか」彼に呼ばれて話を聞き、僕はそれこそポコチンが抜け落ちるくらいに驚いてしまった。彼は「部長たちが騒ぐから、こんな決まりが出来ちゃったじゃないですか。今度、事故を起こして負担することになったら、どうしてくれるのですか!」と言いのけたのである。こいつ…後ろを見ると左右がわからなくなる己のアホさを棚に上げて…僕が自己保身のためとはいえ部長会議で矢面に立ったのを知らずに…。腸が煮え返るのを抑えて「まあ、ルールだから。事故さえ起こさなければいいんですよ」と僕は言った。「そんな机上の空論は現場では通用しませんよ」とカッコよすぎる捨て台詞を残して彼は外回りに出て行った。

そしてその数時間後。またバック走行中に車をこすったという報告。またコンクリ。メリクリの季節にコンクリ。擦ったのは左後方タイヤの前。どうやればここだけをピンポイントで擦ることが出来るのか…。

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(車体が歪んでドアの隙間が広がってしまっとるがな…)

こんなときどうすればいいのか。左右がわからなくなるのを理由に解雇できるような就業規則の整備に動けばいいのだろうか。ホワイトな会社に移ってもこんな状態で、今、僕は、自分が変人ホイホイなのではないか、僕自身に決定的な要因があるのではないか、己を責めているところである。きっつー。(所要時間ん23分)