Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

妻がインフルに感染したので休みたいと会社に言った結果が生き地獄だった。

妻がインフルエンザに感染した。日曜の朝から体調を崩していたので、仕事は休ませ、炊事、洗濯、掃除、一切の家事を僕がやっていた。起床。洗濯をすませ、朝食と昼食の準備をしてから出勤。仕事。定時にあがって食べ物や生活品を購入してから帰宅。夕食をつくり片付け、風呂清掃を済ませてから就寝。そんな日、月、火の3日間であった。共働きという事情もあって、僕ら夫婦間には普段から最低限の会話と接触しか存在していないし、寝室も別、家事もかっちり分担しているから、妻との会話がゼロになりいくぶん家事の負担が増えてしまったところで、日常と大きくかけ離れた生活になっているわけではない。ラクショー。昨日、熱が下がらないので診察を受けさせたらインフルエンザと診断された。今週いっぱいは自宅で療養しなければならない。念のために僕も診察も受けたが、シーズン前のワクチン接種やマスクや手洗いなどの地道な予防対策、狭まることのない妻との日常的な距離感が功を奏して、感染していなかった。インフルエンザを甘く見てはならぬ。荒れ狂う川に橋をかけるみたいにこの身を投げ出そう。僕は看護のために会社を休もうと思った。良き夫をアッピールできるし、もしかしたらニンテンドースイッチ購入許可に繋がるかもしれない。そして何よりも8月から今の職場で働き始め、自分自身を高く売り込んでプレッシャーがかかっていたのだろうね、正直なところ、疲れを感じていたのだ。寝込んでいる妻を看護するという大義名分で仕事を休めるのなら、終日プレイステーション4で遊べるなら、こんなに素晴らしいことはない。問題は、家族のインフル感染看護を理由に仕事を休めるかどうかだ。今の会社は、社員を大切にするというボスの強い信念があるので問題はないと思うが、それまで20年超の足が折れても働かされた悲惨な会社員生活がそんな淡い期待を悪魔のように打ち消そうとしてくるのだった。ボスのひとことで僕の懸念は懸念のままで終わった。「問題ありません。家族の看護は立派な《休む》理由です」とボスは言ってくれた。ボスは、中途半端な仕事は嫌いなんです、と厳しさも見せた。「家族に不安があってはしっかりと仕事は出来ません。中途半端な仕事は会社にとってマイナスです。インフルエンザが治るまで休んでください。もちろんこの休みは君の評価を下げるものではないので安心してください」そんなありがたいボスの言葉に報うには仕事しかない。僕をうまくつかいこなす、ボスは賢者だ。そしてテレビゲームをやるために仕事のハードルを上げる僕は愚者でしかない。こうしてめでたく本日平成30年1月25日と翌26日は会社を休めることになった。妻に事の次第を告げると、彼女は僕の立場を憂慮したのだろうね、「休まないで。キミがおウチにいると騒々しくて心身が落ち着かず治るものも治りません」と言った。ひとことでいってウザいんですと容赦ない追い討ちをかける妻を僕は尊敬する。まさかのゲット・アウト通告。あるいはパートタイム家政婦でオッケー宣告であった。今朝、家事を済ませてから追い出されるように出社するとボスから「家族がインフルエンザなのに仕事ですか。今すぐ帰らないと君を見損ないますよ。これ以上、失望させないでください」とダメ出しをくらってしまった。妻からも職場からも望まれず、今、僕は過去最強クラスの寒空の下で居場所を失っている。夕方、家事をはじめるまで何もすることがない。リストラされたことを家族にいえず夕方まで時間を潰す親父の心境なんて知りたくなかった。「僕はどうすればいい?」話しかけた野良猫の背中が静かに小さくなっていく。(所要時間19分)

小室哲哉氏の引退とぼくらの七日間戦争

多くの肩書があるけれども僕にとって小室哲哉さんは今までもそしてこれからも未来永劫ずっとTMネットワークのリーダーである。先日、引退会見に臨んだ小室哲哉さんは、追い詰められ、疲れきった老人に見えた。30年前に赤く燃えるサバンナを眺める金曜日のライオンのように逆立てていた金髪はすっかり落ち着き、白髪と見間違えるようになってしまった。時折涙ぐむ弱々しい姿は、このままUTUになってしまうのではないかと心配になってしまうほど。不倫と介護疲れによる引退。その行いと対応の是非は受け手側それぞれの考え方により違うと思う。ただ、会見で小室さんがEDを患っていると告白されたときに僕の頭に浮かんだのは「戦友」の二文字だった。同じ病、敵と戦うレジスタンス。数年前、胸にズゴックが描かれたTシャーツ姿で逮捕されたときに覚えた親近感よりも強い絆を感じた。そして悲しかった。追い詰められているのは想像に難くないがEDを言い訳に、無垢や純粋さの根拠にしていることが。僕はTMネットワークから「戦うことの大切さ」と「強くなれる」可能性、その二つを教わった。どんなに離れていてもひとりきりで泣かないでと励ましてくれたことも。それがどうだ。一人きりで泣きながら「僕EDなんで男女のアレはありません」とは。不倫の是非はともかく、僕は同じEDマンからそんな言い訳だけは聞きたくなかった。「EDの分際でチープなスリルに身をまかせてしまってサーセン」と潔く謝って欲しかった。よく「EDだから性欲ないはずだよね」と言われる。何百回、もしかしたら何千回も聞かされたかもしれない。思い出したくないくらい酷い言われ方もした。お前はすでにオスとして死んでいる、と。完全に誤解だ。性欲はある。今でももし自在にセルフコントロール出来ればちょめちょめしたいと思っている。個人的にはJDと朝までビートゥギャザーしてみたい。もちろん以前のように見境なしにカモンエブリバディというわけにはいかない。だが、1週間ほど禁欲して魔法のお薬のパワーをお借りすれば、タフかどうかさておき、ゲットワイルドできるときもある。運がよければ、タイヤを切りつけるアスファルトみたいに、向かい風に逆らうように、強くなれる。僕が今もEDや禁欲の1週間を戦えるのは小室さん、あなたが、TMネットワークが、「SEVEN DAYS WAR」で、《僕たちの場所この手でつかむまで》と力強いメッセージをくれたからだ。1988年。中学三年のあの夏に“Revolution”とノートに書き留めた僕を失望させないで欲しかった。もちろん同情は禁じ得ない。EDになってしまったことへ、そして本来必要のないEDのカミングアウトをするほど精神的に追い詰められてしまったことへも。おそらく小室さんはEDビギナーで不安なのだと思う。少子高齢化を嘆きながら、ED対策を真面目に講じていない現実を象徴している。奥様の介護が孤独であったように、EDもまた孤独なのだ。誰も助けてくれない僕らは僕らでもっと連帯するべきだと思う。必要なのはネットワーク。EDネットワークに介護ネットワーク。力を合わせれば、ひとりでは解けない愛のパズルも解けるかもしれない。傷ついた夢も取り戻せるかもしれない。そしていつか。奥様の介護の負担が大きく、無理かもしれないが小室さんにはいつか週刊文春と戦ってほしい。ゲス週刊誌との戦い、セブンデイズウォー。小室さん。僕もあなたと違う場所で闘うよ。ただ素直に生きるために。(所要時間14分)

若手社員の発言に見るホワイト企業とブラック企業の違い

おかげさまで大変素晴らしい環境で働くことができている。この年齢(まもなく44才)で前職(人様からはブラック環境と指摘されている)よりも好条件で採ってもらえたのは、ひとえに僕自身の類まれな能力と実績のおかげだが、それなりに幸運も寄与したと言わざるをえないだろう。試用期間が終わるまでの半年間、粛々と働いてみて驚いたことがある。前のブラックな環境と現在のホワイトな環境とで、そこにいる若手社員の発言が似通っているのだ。なぜだろう?劣悪な環境であれ、恵まれた環境であれ、両極端な環境に置かれた人間は感覚が削ぎ落とされてしまうのだろうか。僕はこの謎を解き明かしたい。なぜなら、このまま恵まれた環境に浸かっていて、前の職場にいたときと同様に、心身を削られるのはゴメンだからだ。この謎を解き明かすべく、いくつかの若手営業社員諸兄の発言を挙げてみたい。なお、能力面でいえば、ホワイトにいる若者は優秀な人が多く、ブラックで腐っている若者は総じてイマイチ。共通するのは意識が若干高い点である。

 

1.長期休暇について

ホワイト企業で働いている若手社員(以後「ホ」).「年末年始の休み。長すぎませんか?」

ブラック企業で労働に従事する若手社員(以後「ブ」).「夏休み、天候に恵まれなかったのでもう一度取っていいっすか?リベンジさせてくださいよ」

 

2.朝早くから出社している若手社員にその理由を聞いてみると、

ホ.「すみません。自分、チカラをセーブ出来ないんですよ」

ブ.「仕事が夢に出てきて眠っていられないので出社しました…」

 

3.仕事についての考え

ホ.「仕事楽しいです!」聞いてもいないのになぜ主張するのだろうか。

ブ.「仕事楽しいです!」朝の朝礼でボスから「仕事楽しいだろ?」と凄まれて。

 

4.失注に際し敗者の弁

ホ.「クライアントの求めるものは完璧に掴んでいましたが…、ニーズを掴み損なったことが今回の敗因です」真顔で言われてもきついだけ。

ブ.「クライアントの要求がまったくわからなかったのが敗因です。よくある《どうにもならない相性の不一致》ってやつですよ」次の勝利が駆け足で遠ざかっていくのが見えました。

 

5.残業について

ホ.「仕事が楽しくて家に帰るのが惜しいくらいです」この分かりやすい信号を発している若者を見過ごしていいものだろうかと軽く悩む。

ブ.「帰宅する体力がなくなったので今日は社に泊まります」千代の富士を引退に追い込んだ、体力の限界。

 

6.プライベートの活用

ホ.「筋トレと勉強、つまり明日の準備と未来への投資です」

ブ.「仕事以外はパチンコだけやっているわけではないです。パチンコで勝つ方法を研究しています」姿形こそ違えど未来への投資なのは変わらない…。

 

7.ノルマについて

ホ.「これ以上、契約を取って現場回りますかね…」ノルマ達成見込み

ブ.「人不足の実態を考慮してあえて契約を取りませんでした」ノルマ未達

 

8.ゲーム感覚

ホ.「仕事が厳しいときほど、これをこなせばスコアが付く、アレを終わらせればステージクリアと自分の中で設定する、いってみればゲーム感覚で取り組んでいます」

ブ.「仕事って要はテレビゲームですよね。ダメならリセット」残機ゼロ。

 

9.失注したときのスタンス

ホ.「己の未熟さを思い知りました。精進します」

ブ.「相手が未熟すぎました。レベルの低い相手に合わせるの苦痛っすよ」

 

10.好きなことで生きていく人たち

ホ.「この仕事が終わらなきゃいいのに」仕事が楽しすぎるらしい。大丈夫だろうか。

ブ.「この仕事…終わらなきゃいいのに…」今の仕事終わらせるとよりキツい仕事がやってくるのに恐怖しているらしい。大丈夫だろうか。

 

11.アフターファイブの活用法

ホ.「平日の夜はだいたいジムかボルダリングに通っています。一緒にどうです?いい汗かけますよ」結果、ボルダリングに参加した僕は墜落して肩痛悪化。

ブ.「平日の夜は睡眠にあてています。それ以外に何かありますか…」思わず涙。「休日は通院です」で号泣。

 

12.自分を高める

ホ.「新たな発見と挑戦を通じてこの会社で自分を高めたい。自分の手でこの会社を高めたい」頑張ってほしい。僕のいないところで。

ブ.「仕事で身体を壊さない程度に免疫力を高めたい」 

 

13.夢

ホ.「自分の正しい努力で夢を実現したいと考えています」

ブ.「夢を見るなんて余裕のある人間の戯言ですよ」

 

14.マネー/ボーナスを支給されて

ホ.「こんなにボーナスをもらってもいいのですか!頑張ります!」

ブ.「ボーナスと言える額ですか?会社、頑張ってくださいよ~」成約ゼロ男の叫びは虚しい。

 

15.目標

ホ.「高い目標が、私を成長させてくれます」 黄シグナルが出てるような…。

ブ.「目標が高すぎるとヤル気が失せるっす。無理ゲーっすよこんなん」営業マン向いてない信号が点灯。

 

16.キミは千パーセント

ホ.「99%達成は未達成です…」 

ブ.「4割達成なら四捨五入で達成ということでいいじゃないですか」言葉の意味が良くわからないがとにかくすごい自信だ。

 

17.逆算して行動する/デイリーの行動計画の立て方を尋ねて

ホ.「年間目標から、月間、週間、日間と逆算で割り出してます」

ブ.「年間目標が無理っぽくなった時点で一発大逆転を狙います」

 

18.チームで戦う

ホ.「自分の案件は基本的に一人で追いますが、それが難しいと感じた時点でご相談します」

ブ.「どうせ一人ではやり切れないので、最初っから周りを巻き込んでいきます。そうすれば責任取らなくて楽じゃないですか」

 

19.上司

ホ.「上司へのホウレンソウは欠かさないのが大前提です」

ブ.「ホウレンソウを怠ったのは謝りますが、それも含めて上司の責任でしょう」モンスター爆誕。

 

20.会社とは

ホ.「自分の人生の一部です」 冗談にしては笑えないし、マジだったらヤバい。

ブ.「私は会社の一部品です」 マジでしかない。

 

21.結婚観

ホ.「結婚したら家族のためにもっと頑張らないと…」彼女アリ

ブ.「結婚しても寿退社できるわけじゃないから無意味です」彼女ナシ

 

22.転職について

ホ.「ヘッドハンティングされるくらいの人材になりたい。と常に考えながら仕事に取り組んでいます。転職するかどうかは別の問題です」

ブ.「あー今すぐにでも転職したいけれど、転職活動する体力気力がもうナイから諦めました…」

 

23.緊急時対応

ホ.「雪で帰れなくなったら仕事するしかないですね!」←NEW!2018年1月22日の雪で。快適な環境環境へGO!

ブ.「ベランダに雪だるま作っていいですか?」 快適な職場環境へNO!

 

24.見込み客の発掘

ホ.「刈取りと同時に種まきもする。明日がどうなるか不確定な営業として当然の行動ですね」

ブ.「見込み客発掘www明日がどうなるかわからないのに熱心にやるわけないでしょう?会社を辞めてるかもしれないし、死んでるかもしれないし、地球がなくなってるかもしれないのに。楽観的すぎでしょwww」 死んでくれたら、と思います。

 

以上である。言葉そのものは、ホワイトで働く若者もブラックで従事する若者も似ているような気がしないだろうか。両者に共通するのは、誰かに強制されての発言ではなく、(例外もあるが)自発的な発言であること。もしかしたら、ホワイト企業もブラック企業も、ある種の洗脳で従業員をコントロールしている点では同じで、その影響を若い人が受けやすいのではないかと僕は考えている。この記事を参考にシグナルを察知していただき、若年層離職率改善に役立ててもらえたら嬉しい。それでは。(所要時間28分)

 

かつて交際していた人をSNSで観察し続けたら積年の恨みが消えた。

心の支えにしてきた言葉がある。その言葉は、かつて付き合っていた女性の何気ない賛美のひと言に過ぎないが、その何気なさゆえ、そこに揺るぎない真実が宿っているように思われ、長いあいだ僕の冴えない人生を照らす灯台のような存在となっていた。だが数年前から、その言葉は呪いとなって僕を苦しめている。あれは、本当に、僕のことを指して褒め称えた言葉なのだろうか、何か裏があるのではないか、と。

女性から別れを切り出されてばかりの人生だった。自分から別れを切り出したのは、幼稚園時代まで遡らなければならない。お遊戯会の日、陰気で、辛気臭いミイちゃんのお菓子でベタベタになった手を振り払って以来40年余り。受難の人生であった。今思えば、お付き合いしていた女性の多くは、少々不安定であったり、金銭感覚がクレイジーであったり、人間的に未熟だったりして、今日こそ、今日こそって、こちらから別れを切り出すつもりでいたものの、不安定な人特有の暴発を恐れて躊躇していただけなので、結果的にオッケーではある。だが、捨てようとしていた者に切り捨てられたという意識、屈辱、敗北感が、彼女たちの言葉と共に残され、混ざりあい、長い時間をかけて熟成され呪いの言葉となっていった。

呪いは僕の男性機能を壊滅させた。海綿体が、岸壁で波に揺れる壊死したクラゲのイメージと重なる夢を見て何回泣いただろう?酷い仕打ちをした彼女たちを僕は、絶対に許さない。そんな暖かい気持ちから、通りすぎていった女性たちのその後の人生を夜な夜な観察し続けてきた。彼女たちの動静はフェイスブック、インスタグラム、ブログといった媒体で容易に確認できた。そこに「男の影」が見え隠れすれば、僕よりも人間的魅力と経済力に欠ける人物であるよう祈り、「結婚式の打ち合わせ」とあれば結婚相手の勤務先が倒産するよう祈祷した。「今日は結婚式。超キンチョー」とあれば、双方の浮気相手がサイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」をバックミュージックに式場へ乱入する地獄絵図を描くよう祈願した。「ママになります」とあれば「重度の育児ノイローゼにならなければいいですね!」とスマホ画面に嫌味を言い、「ママになりました」とあれば平均程度の学力があってまあまあ健康的な子供に育てばいいですねと呪った。春夏秋冬、季節の移り変わり。子育て。初めての離乳食。体調不良。うまくいかなかった公園デビュー。苦労の連続の保育園探し。そんな彼女たちを僕はインターネットの彼方から眺め続けた。失敗しろ、不幸になれ、僕と同じ呪いを受けろ、そう念じながら。だが観察するうちにそれらの呪詛はいつしかエールに変わっていた。頑張れ。負けるな。そんな直球の応援ではなく、「お前の力はそんなものか」「本当のお前を見せてみろ」という歪んだ形のエールだった。

いつしか僕は、ひどい別れ方をした、もう友人になることもなく、おそらく二度と会うこともない彼女たちを赦していた。彼女たちの多くが別れの理由にした僕の攻撃的な性格が緩くなったからなのか、ただ時間が経過したからなのか、それとも僕のことなど忘れて子供をつくり、家を建て、先へ先へと進んでいく彼女たちと、相変わらずの場所で立ち止まったままの自分との距離が、感情で埋め合わせられないほど広がってしまったからなのか、僕にはわからない。理由はわからないけれども、同じ時代を生きる戦友として、頑張ってもらいたいと考えるようになっていた。確実にいえることは僕が彼女たちの熱狂的な支持者であること、そして彼女たちの誰かが残した言葉の呪いが解けて、ふたたび僕にとって大きなものになりつつあることだ。

かつての呪いの言葉、「スゴ~い!内臓の位置が変わっちゃう~!あ~~ダメ~!」、その真意はもう聞けない。だが、言葉を呪いにするのも力にするのも自分次第なのだ。すごく回り道をしたけれど、それを気づかせてくれたと思えば、夜な夜な別れた女性のSNSをチェックするような、生き恥を晒すようなクソ人生も、そこまで悪いものでもなかったように思えてくる。今、僕は彼女たちの綴る日常に「いいね!」を付けられないことを少し寂しく思っている。交わらない人生。だがそれでいい。今度は僕が、自分で、僕自身のサイズを決める。それだけのことなのだから。(所要時間22分)

「子供を持てばわかる」で話を終わらせるのヤメて。

とある友人と飲んでいて「子供は東大か京大へ行かせるつもりだ」と冗談を聞かされたので「言うのはタダだからな」とゲラゲラ笑ったら相手が真顔で半ギレしていた。冗談ではなかったらしい。「小学5年生の息子を学習塾と英会話と体育予備校とスイミングスクールに通わせているので小遣いが少ない」という愚痴からの流れで飛び出した東大進学希望発言。僕が冗談と勘違いしたのも無理はない。と思う。なぜなら彼は学生時代、どちらかといえば、というか、明確に勉強が出来ない人だったからだ。じっさい、酔っぱらっていたとはいえ、その場で暗唱した九九も相当に怪しかったし、「dog」の意味を問われた英語の小テストで「ドッグ」とカタカナで解答していたのを僕は強烈に覚えている。トンビが鷹を生む、ということはありうるけれども、自分の遊びほうけていた過去や目の当てられない成績を棚に上げて、子供に猛烈に勉強をさせて成績を望むのは何なのだろう?僕には子供への期待ではなく、親のエゴに思えてならなかった。彼は、子供から友達と遊ぶ時間がないと訴えられて、平日の一日だけ自由時間を与えた、これも子供のためだと胸を張った。子供は塾はともかくスイミングだけは笑顔で通っているそうだ。もし、鷹だと信じていた子供がトンビだったらどうするのか?親のエゴが子供を潰すこともあるんじゃないのか?と僕は彼にたずねた。彼は「なんで人間の子供の話をしているのに突然鳥の名前が出るんだよ。エゴってなんだよ。意味わかるように言ってくれよ」と答えた。絶望した。彼は諺もエゴも知らない。ここをスタート地点として、どうすれば東大の赤門に辿り着けばいいのか、一億光年くらいか、僕は厳しすぎる現実を中ジョッキで流し込んだ。そういえば、俺はやればできる、と彼はよく言っていた。今も。リアルな友人でもネットの向こうの知り合いでもいいのだけれど、やればできる、という人間で実際何かをやって成し遂げた人間を見たことがない。「やれば」という仮定は現状からの逃避に他ならないからだ。そういう仮定を設定している限り、何も成し遂げられない。もちろん、やればできると内心で思っていてモチベーションにするのはありだが、なぜか宣言して、予防線を張ってしまうのが、何とも悲しい。最悪は「やればできる」から「やればできた」へ、過去形になってしまうことで、僕の目の前にいる友人はそのステージに入りつつあった。永遠の「やればできる」地獄から抜けられないのは、悲しいかな自分の責任でしかないが、己の「やればできた」という幻想を自分の子供に託すことが、はたして夢や希望といえるのだろうか。僕にはとても思えない。思えないので「友だちだから言っておくけどはっきりいってお前勉強出来ないよね。そんなんで自分の子供が東大へ行けるとどうして思えるわけ?飛躍してると思わない?飛躍っていうのはわかりやすくいえば、Bダッシュで大ジャンプして高いブロックに飛び移るって意味なんだけどさ。まあ、不可能とは言わないし子供の可能性を否定するわけではないけど、ドラマや映画の観すぎじゃね?いやいやいやいやビリギャルだって東大じゃないし。そういうの親のエゴっていうんじゃね?醜いよ。まあ、エゴっていうのは、わかりやすくいえばワガママってことなんだけどさ…」と言った。友人は、子供には…、と言葉を途中で打ち切り、それから僕に「お前も子供を持てばわかるよ」と言った。僕はそれきり何も言えなくなってしまった。子供のいない僕にはわからないという宣告。反撃不能。子供を持つことはなかったが、もし仮に子供がいても、僕は子供に自分以上を期待しないとは思う。子供を持てばわかること、子供を持たないとわからないこと、おバカな友人でも知っていること、親のエゴでも過去へのリベンジでもないこと。子供のいない僕がそれを永遠に知りえないことが少し寂しく、そして悔しい。(所要時間19分)