Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

なぜ仕事に好き/嫌いを持ち込むの?

ホワイト企業と思われる会社に就職して丸1年、10日間の夏休みが付与されているにもかかわらず、お盆期間中も会社に来て仕事をしているのは自業自得あるいは因果応報に他ならない。先月おこなわれたボス主催の《新規事業アイディア社内コンテスト》に「採用されたら面倒だから」つってフザけた企画を挙げたら「なかなか面白いやってみろ」と謎の評価を受け、事業計画書を書くハメになったからである。フザけているから実現性が皆無であること、フザけていたのがボスにバレるのはよろしくないのでそれなりの実現性をもったものを書かなければならないこと、その2つに挟まれて頭を抱えており、この僕の苦悩はメイド・リフレでしか癒せない種類のものだ。

はっきりいって贅沢な悩みだ。まともに仕事に向き合っての悩みだから。今の職場は基本的に快適である。前の職場のように「貴様だけノルマ達成は許さない!」「死なば諸共!」という怨念や嫉妬による上司・同僚から妨害を受けたりしないからだ。それでも、前の職場と今の職場とで、仕事を進めるうえで共通していることがある。仕事に好き/嫌いを持ち込む人の存在である。「このクライアントは好きなんですよ~」「ちょっとあそこはとっつきにくいから嫌いです」みたいなアッピールをするのだ。結局、やらなければならないのだから、言うだけ無駄だと僕は思うのだが。意味があるとすれば、この仕事(クライアント)が好き/嫌いを管理職の僕にアッピールすることで、担当をさせる/させないの判断に好き/嫌いの要素を混じらせることくらいだろう。「好きだから」「得意だから」っていい仕事をしたり、「嫌いだから」「苦手だから」でおざなりな仕事をするのは論外だが、好きであれ、嫌いであれ、それなりのクオリティで仕事をしているのだから、なおさら謎だ。

実際、僕が同僚部下で観察してみた結果、好き(得意)な仕事を任せた場合と嫌い(苦手)な仕事を任せた場合とで数字はほとんど差はなかった。「クライアントとの打ち合わせ回数」だけ嫌い(苦手)な仕事を任せたケースの方が少ない傾向が見られたくらいだ。逆にいえば好き(得意)なクライアントとは「話やすい」「気が合うから」という理由で無駄な打合せを重ねているのではないかと疑ってしまう猜疑心の強い僕なのである。結局のところ仕事上の好き/嫌いというのは、感覚的なやりやすい/やりにくいにすぎないのではないか。感覚よりも数字が大事。僕はチームで戦う組織をつくりたいと考えているので、そういう個々のメンバーの好き/嫌い的なアッピールは無視して、数字から見える適正と能力で分担を決めていきたい。もちろん好きな仕事だけを選んで組織が回るならそうしたいけれど、誰もがめんどくさーと思う仕事をやる人間がいなくなってしまうからね。

あと、僕の個人的な観測で数字ではあらわせないし、「学びに感謝」みたいなことをいう薄気味悪い人みたいだけれど、僕は「嫌だなー」「苦手だなー」と感じた仕事やクライアントの方が、やりやすい仕事よりも経験値になったことが多いと思っている。筋トレでいえば、厳しい納期や要求のようにそれなりの負荷があった方が筋肉がつきやすいのだろう。

僕が仕事に好き/嫌いを持ち込む人の心理がわからないのは、僕が基本的に仕事そのもの、仕事のすべてが嫌いだからだ。嫌いだからこそ、効率的に、うまく、短時間でやりたいと考えるのが僕の仕事のやり方の原点だ。

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好きだったら、効率なんて気にしない。たとえば妻のいない休日のエロ動画鑑賞のようにダラダラやる(女優インタビューは早送りするけれど)。もし、好きなことで生きていると思えるならそれは一部の天才やスーパーマンをのぞけばラッキーなだけだと僕は思う。世界人類全員がラッキーにありつけるわけはなく、僕もアンラッキーな1人にすぎないから、アンラッキーな職業人生を効率的に過ごしたいと考えている。仕事を自由に選べる立場まで上がれたら、もう少し違う景色が見られるかもしれないが、まだその地平に僕は至っていない。あとちょっとなんだけどな。(所要時間19分)

『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(ふろむだ著)は控えめにいって人生を変えうる悪魔の書なのでみんな読んだほうがいい。

ブログ「分裂勘違い君劇場」のふろむだ氏(id:fromdusktildawn)の『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』を読んだ。このエントリのタイトルにあるように人生を変えうる本だと思った。

 ひとことでいえば、この本は「錯覚資産」についての本である。もし、「錯覚資産」なる言葉に引っかかったなら、こんな文章など読まずに、今すぐ、事前情報なく、この本『人生は、運よりも実力よりも…』を手に取ってもらいたい。僕はインターネット発でタイトルが長い書籍は、ジャンルがなんであれ、敬遠するように決めている。タイトルや目次以上の内容がないものが多く、時間の無駄になるからである。この『人生は、運よりも実力よりも…』もそのルールに則れば敬遠することになるのだが、あら不思議、読み始めたら読み終えるまで手を止めることが出来なかった。なぜか?僕の人生に起こってきた説明のできない成功事例、その要因を僕は「謎」「ワンダー」「ミステリー」「ラッキー」という曖昧な言葉で逃げていたけれど、それらを心理学の観点から見事に解明していたからである。

「錯覚資産」とは著者の造語で「他者による自分に有利な勘違い」を意味する。人間は錯覚する生き物であり、その錯覚を自分に有利に利用し、資産とすることが成功への道筋になると著者は語る。恐ろしいのは、人間は錯覚していることに気づかない(無意識)こと、そして錯覚資産は「雪だるま式」に大きくなって作用するので、それを使っている人と使っていない人とでは大きな差が出てくることだ。

「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」という有名な言葉がある。この言葉にある「不思議」とは「実力以外の不可解な要因(勝因・敗因)」と僕は考えているのだが、それを「錯覚資産」という概念で明確に説明しているのがこの本である。現実世界は実力がストレートに反映するようなピュアな世界ではない。そういうとき人は「運」という言葉で結果を受け入れてしまいがちだ(成功=「実力+運」)。だが著者は錯覚資産という概念からここで新たな成功の公式を提示している(成功=「実力+運+錯覚資産」)。さらに錯覚資産は実力にも運にも働きかけ、好転をもたらしてくれるとしている(先述の「雪だるま式」)。

私事になるが、僕は昨年から働きはじめた会社で、いい感じに働いている。前に勤めていた会社と同じ業界で、僕の実力が大幅にアップしたわけではない。だが実際には前よりもいい待遇で雇われている。僕はこれを単に運が良かったと思っていた。だが、この本を読みながら我がしょぼい人生を振り返ったとき、無意識のうちに錯覚資産を活用していたことに気づいた。面接の際に、自分を売り込むために資料をつくり自分をプレゼンした。その中身は僕がやってきた実績や仕事への取組みで、会社に寄与してきた数字それから役職を時系列でつくったものだ。今の会社のボスは「役職など関係なく実力で僕を採用した」と言っていたが、たかだか1時間程度の面談で人間の真の実力などはかれるわけがない。

つまり、彼は採用には関係ないといいつつ、「無意識のうちに」僕の役職と達成してきた数字(実績)から、僕の実力を「上方修正」して採用に至ったのだ。今だからわかるが「無意識のうちに」「上方修正」してしまう、これが錯覚資産なのだ。僕は知らず知らずのうちに錯覚資産を活用して、よりよい環境(役職と会社内での権力)を手に入れ、ボスの信頼を手に入れつつ、それに応えようと実力を付けつつある(雪だるま式!)。まさに「錯覚資産」である。おそらく、己の実力でサクセスしたと考えていらっしゃる成功者のほとんどは、何らかのカタチで錯覚資産を活用しているのではないだろうか。そういえば前に関わったクソ上司も「俺はスゴイ…」「俺はNYのビジネース界を生き抜いてきた…」「愛犬の名は…ノルマだ…」とスゴイアッピールをしていたのも下手くそな錯覚資産の活用だったのかもしれない(ノー実力だったのが発覚して失脚したけれど)。

著者は、僕のような心理学ビギナーでもわかるように、人間の心の動きから錯覚を丁寧に説明し、そこから錯覚資産という概念とその効果についてスムースに解説している。最終的には、錯覚資産を意識的に活用する方法や運を引き寄せる方法(運をコントロールするではない)まで解説している。まさに控えめにいって悪魔の書である。そして、著者はスキルアップや実力主義を掲げる世のビジネス本やサクセス本を欺瞞として明確に否定している。そう、この長いタイトルの本は究極のサクセス本であると同時に世にあるサクセス本を否定している。それがもうひとつの悪魔の書と呼んだ所以である。

錯覚資産は、それを知っているかどうかだけでも、アドバンテージを得られる概念である。それを成功のために使うのか、失敗を回避するためにつかうのか、それはあなた次第。『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』は、単なる仕事サクセス本ではなく、あなたの人生における成功というものに新たな光をあてて解読してくれる人生の指南書になりうる本だ。長々と書いてきたけれど言いたいことは「わかりやすくて面白いよ」というひとことだったりする。おすすめ。(所要時間23分) 

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

 

「生産性」という言葉の暴力に対して僕が出来ること。

昨夜、義理の妹が我が家に遊びにきた。「ピサの斜塔見てみたいよねー」っつう世間話から、マイケル・ジャクソンの「スムース・クリミナル」の斜めに身体を傾けるパフォーマンス、それから僕のEDの話になった。僕のED問題は3親等までに共有され、家族の問題となっている。子供もいない。突然、義妹が「熱膨張って使えないかな?」と切りだした。お兄さま、この酷暑パワーをED改善に使えるんじゃなくて??義妹はサイタマ大の理学部出身で、今も現役JDだったらそれだけで僕のタマタマも大になってシュッシュしただろう。僕のアソコは内臓の位置が変わってしまうほど凶悪らしいので、そのイメージと大人の事情をあわせて、ここではドルフ・ラングレンと呼ばせて頂く。完全文系男の僕は詳しくないのだが、義妹の話によると、温度の上昇によって、物体の長さ・体積は膨張するらしい。僕のドルフ・ラングレンを高熱に晒したら、熱膨張により、長さ・堆積が膨張、それによって死んでいる海綿体の血管も拡張され血液が流入するのではないか、と義妹は笑った。それから彼女は、線膨張率、体積膨張率という用語をつかって理屈を僕に説明をしてくれたが、そのときにはすでに僕の頭はドルフ・ラングレンの亀頭と化していて、すべて性的な言い回しに聞こえてしまっていた。

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夜、1人になった僕は、ドルフ・ラングレンが熱膨張する夢をみた。線膨張率。体積膨張率。二つの言葉は僕の中で洗体×膨張×前立腺と淫数分解されていた。完全に目覚めた僕は、エアコンの効いた涼しい部屋から、窓の先にある、熱帯夜、灼熱下のベランダと夜の町を眺めた。夜のニュースは夜間の気温が30度を超えていると叫んでいた。《ドルフ・ラングレンをネツボウチョー》僕は首にまいていた氷枕をドルフ・ラングレンに押し当てた。BIN‐KANな部分は中年になっても変わらない。声が出そうになる。冷たい氷枕をダイレクトにドルフ・ラングレンに当てるとちょっぴりくっつくことを僕ははじめて知った。氷枕を身体から話そうとするとドルフ・ラングレンも商品名「熱すっきりアイスノン」につられて虚空にその身を晒す。それから、窓をドルフ・ラングレンが通過できる程度に開き、そこから冷え冷えのドルフ・ラングレンを世界でいちばん暑い夏へと解き放った。冷却状態から一気に加熱。蘇れ海綿体。だが、ドルフ・ラングレンはダウンしたボクサーのような恰好を崩さなかった。その姿を窓越しに見たときの、あんな悲しみは、もう味わいたくない。なぜ、この行動が妻にバレたのかわからない。監視カメラがあるのか、それとも、世界で熱い夏にドルフ・ラングレンを放ったときに、アへ声が漏れていたのか。今となってはどうでもいいことだ。これが原因で今朝、過去最大級の壮絶な夫婦喧嘩をした。「真夜中に変なことをしないで!」「蘇生手術なんだよ!」「意味わかんないです!」僕たちには子供がいない。そんな僕らは杉田水脈議員からみたら「生産性がない存在」で税金をつかう価値もないのだろう、だが、そのかわりといってはなんだが凄惨性だけは十分にあるので認めてほしい。国会議員の先生からは、ドルフ・ラングレンなんてバカみたいに見えるかもしれない、ネツボーチョーなんて生産性のないくだらない人生に見えるかもしれない、だが、皆、それぞれ、小さいけれど、一生懸命生きている。己の主義主張のために、必死にもがき生きているものを、生産性という名のもとに潰すことは誰であれ絶対に許されないのだよ。(所要時間14分)

僕の絶頂期が終わった。

今の職場で働きはじめてから1年、環境も待遇も良く、営業部長として、皆から「ブチョ~ブチョ~」とバカ殿のようにおだてられつつ、快適に働いてきた。こんな妄想上の新婚生活のような甘い日々が永遠に続けばいいのに…と思っていた。だが、僕の絶頂期は今朝、突然、終わってしまった。今、ボスに事情説明を終えてデスクに帰ってきたところだ。

簡単にいえば、営業成績トップ5にいる3人のきわめて有能な部下(以下「黒い三連星」)が同時に辞めたのだ。きっつー。ボスから営業組織の改革を見込まれて、僕はこの一年で従来のやり方を、ひとつひとつ精査して、廃止したり、修正したりしてきた。多少、抵抗を感じなくもなかったけれど、数字という明確な結果が出ていたので、問題はないとしてきた。数字を追い、数字に追われる営業マンなら、数字が出ていればわかってくれると信じていた。甘かった。黒い三連星は同じ世界に生きていなかった。

彼らは、変化にノーを突きつけ、もし今のやり方を改めなければ辞める、と言ってきた。子供かよ。3人とも僕より年上のベテランなので、いきなりあらわれた年下の上司から今までのやり方をあれこれ指摘されるのが面白くないのはわかる。「俺を踏み台に~」という心境だろう。実際、踏み台にしたのだから仕方ない。僕に出来ることは、せいぜい、踏み台に感謝して、強く蹴り、「跳べ!ガンダム」つって高く飛ぶことしかない。

辞めたいなら辞めればいい。やり方を変えたいなら進言すればいい。なぜ、どっちつかずの行動を取るのだろう?僕は前の会社で散々見てきた。辞めるつもりもないのに「給料を上げてくれなければ、辞めますよ」「自分が辞めたら穴が開いて困りますよね」、「いいんですか?俺、必要悪ですよ?」そういう下手くそなやり取りを。辞めたければ辞めればいい。僕には辞める人間を止める権利はない。そういう手に乗ってしまう性癖もあいにく持ち合わせていない。

「わかった。辞めるのですね。最低限の引き継ぎだけはしっかりお願いします」僕は黒い三連星に言った。「年休の消化等細かいところは総務人事に相談してください」と付け加えると、三連星のリーダー、オルテガ氏が「そういうところが付いていけないのですよ」と言った。いやいやいや、こちらから、辞めろ、辞めてほしいと言ったわけではなく、辞める、と言ったからその希望に沿っただけ、望みどおりになったのだから、むしろ感謝されてもいいくらいなんですが…。まさかとは思いますが、僕があなた方三人の能力や実績を何かと天秤にかけて、やり方を変えたり、反省をするとでも思ったのですか?という意味内容のことは言わせていただいた。

黒い三連星は、独立するのか、同業他社に引き抜かれたのか、今後については口にしなかったが、ウチの顧客を抜くつもり、らしい。ボスに状況説明をした。黒い三連星の退職とそれを容認したこと。そして顧客を持っていかれる可能性について。ボスは「大丈夫なのか?」と気をつかってくれた。大丈夫です、問題ありません、と答えるしかない。優秀な戦力を失う件と顧客を持っていかれる件については、いわゆるスーパー営業マンを否定する戦い方、個ではなくチームで戦う営業部隊をつくってきた自負があるので、申し訳ないが黒い三連星が考えているよりも、損害は出ないと考えている。

ボスの前でも黒い三連星の前でも「残念です…」と言ったのも、お世辞ではない。黒い三連星が、残念な辞め方しか出来ない残念な頭脳しか持っていない方々であったとは、実に残念だ。僕は彼らのことは評価していた。痛い。痛いけれども「古株がいなくなれば、新しいやり方を進めやすくなる」とポジティブな面を見るようにした。黒い三連星も、ボスも、僕がダメージを受けているとみていたようだが、ダメージはゼロ、まったくない。

僕はかつて酷い環境で働いていた。生き抜くために身に付いたのは、精神的なタフネスと無神経である。つまり僕はブラックな環境で身に付いた武器でホワイトな環境で戦っている。今の環境ははっきりいって楽勝すぎるのだ。多少、トラブルがあるくらいで僕にはちょうどいい。楽観はしているが、黒い三連星が去ったあとに何が起きるか見てみよう。いずれにせよ、人が足りなくなるので、しばらくは忙しくなりそうだ。僕に出来ることはノルマを達成しつつ、スタッフに残業をさせない労務管理をすること、そして黒い三連星の《退職ジェット・ストリーム・アタック》を難なく退けること。こうして僕の絶頂期は終わり、安定期がはじまるのだ。(所要時間21分)

あの夏、不完全な僕たちは殴り合うしかなかった。

去年の夏、まだアルバイト生活をしているとき、母から「地元のお祭りの手伝いでもしたらどう?」といわれた。どーせ暇なんだから、人様の役に立ちなさい、もしかしたらそれで仕事が見つかるかもしれないよ、と。地元の祭りは中学時代の友人や顔見知りが仕切っている。母からみれば、僕らは、まだ家に集まってファミコンで遊んでいる中学生グループなのだろう。だが、僕は彼らとのあいだに距離を感じていた。

昭和最後の夏休み(1988年)、中学三年生の僕はテレビゲームばかりしていた。仲間で集まってファミコンの「カイの冒険」をプレイしながら、エロ本を眺めたりジュースを飲んだり馬鹿な話をしたり。そういうくだらない時間の流れに心地よさを感じながら、妙な違和感が沸き起こってきた瞬間、温くなったスプライトを喉に流し込んだ瞬間を今も鮮烈に覚えている。

こいつらとはもう一緒にいられない、という自分がエイリアンになってしまったような感覚。裏切っているような後ろめたさ。それを感じた瞬間が、傍目にはファミコンとコントローラーのように有線で繋がっているようでも、僕が彼らとは違う人生を歩きはじめた分岐点だった。ボンクラな学生生活をしながら、本物のボンクラにはなりきれない自分、要領よくボンクラを演じている自分に嫌気がさしていたのかもしれない。彼らはこの町に死ぬまでいる人間で、自分はこの町から出ていく人間。シンプルにいえばそれが僕の認識だった。僕らは「カイの冒険」に挫折した夏が終わると、誰が言いだしたわけでもなく、自然と別々のグループにわかれて距離を置くようになった。不完全だった僕らは距離を置くことでお互いが傷つかないようにしたのだ。

ファミコンがスーファミになり、プレステの時代になった。大学を卒業して就職するときも、僕は彼らとは距離を置きながらも、彼らと同じ町に住んでいた。神奈川という土地は、東京に進学したり就職する際に、わざわざ出ていかなくても済んでしまうのだ。僕は気持ちは地元から離れているのに、身体と生活は地元に存在している、という状況に陥っていた。

違う人生を歩いている彼らとのランデブーは起こる。はっきりいって、ヤンキー、つーの?ジャージ姿でミニバンを乗り回す彼らを僕は見下していた。彼らのいう「地元愛」は地元から出ていけない奴の言い訳だと居酒屋でたまたま顔を合わした彼らに、酒の勢いではっきり言ってやったこともある。「変わったな」「勉強ばかりしてんなよ」という彼らの声も、「負け犬の遠吠え」と浅はかな僕は聞き流した。

僕は羨ましかったのだ。ホンモノのボンクラで在り続けている彼らが。結局のところ、僕はそのときの風にあわせているだけの風見鶏でしかない。根無し草なのだ。他人や世間が良いという価値観や人生に合わせているだけなのだ。アホでもいい。バカでもいい。自分の足で立ち、世の中を歩いてみたい。その感覚を知らない焦りみたいなものを、そのときの僕は覚え、彼らにぶつけていただけなのだ。彼らだって同じように感じていたと思うが決定的に僕と違うのが、町の外の人間の目を気にしている/気にしていない点だった。彼らとはますます疎遠になった。もう、永久に彼らとは打ち解けあえないと分かったとき、どうでもいいと切り捨てた関係を想って、寂しい気持ちになったのは今も苦い記憶だ。

去年の夏、僕はアルバイト生活の根無し草だった。結局、母の助言は無視して地元の祭りには参加することはなかったけれども、祭りには顔を出した。8月の夕暮れ。屋台がぽつぽつくらいのささやかな祭りだ。金魚の泳ぐビニルプール。その奥にあるミニバンと実行委員と貼り紙された仮設テントに懐かしい顔があった。目が合った僕は手に持っていた缶ビールを掲げた。それでおしまいにしようというサインだったが、彼は出てきた。タンクトップに金ジャラのネックレス姿のひどい姿だ。昔話に花が咲くなんてファンタジーだ。僕らはお互いに「久しぶり」とだけ言って何も言うことはなくなってしまい、「じゃあ」つって別れた。それで充分だった。

映画「スタンド・バイミー」のラストシーンに「私は12歳の頃の友人を二度と持つことはなかった」というリチャード・ドレイファスのモノローグがある。公開当時はピンと来なくて、ただのセンチメンタルだと思っていたけれども、今さら、やっと、意味がわかった。不完全だった頃の僕らの罪を許し、認め、理解し、殴り合えるのは、不完全だった頃に知り合った友人だけなのだ。

僕は、昭和最後の夏を共に過ごした彼らと違う人生を歩んでいる。おそらく、あのときのような関係に戻ることはないが、それでいい。あの夏、僕が感じた違和感を、僕はわりと最近まで自分だけの特別な感覚だと考えていた。それは間違っていて、おそらくカイの冒険を遊んでいた僕ら全員が抱いていたもので、だからこそ僕らはお互いに距離を置くようになったのだろう。僕は彼らよりそれを少しだけはっきりと感じることが出来たにすぎない。

地元の祭りで、かつての仲間たちが、僕の人生の向こう側でいきいきとしている姿を見て、なんだか嬉しくなってしまった。羨ましい、という成分のない純粋な嬉しさってなかなかない。自分とは違う人生にも違う喜びや楽しみがある、そんな当たり前のことにいまさら気付き、嬉しくなるなんておかしい。違いを認めることが人生を楽しむ秘訣なのかもしれない。

ある日、ふと「カイの冒険」が未クリアなままになっているのを思い出した。中古ショップで買ってきて、大袈裟ではなく《血を吐くような》苦労の末クリアした。あれほど皆で目指したクリアだったが特に喜びはなかった。そのとき、僕は、あの昭和最後の夏が、自分の中でもう殴ることのできない完全な過去になっていることを知ったのである。(所要時間26分)