Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年前の出会いが「仕事を『自分の仕事』にとどめているうちは仕事人として2流」だと今も教えてくれている。

「自分が取ってきた契約や仕事にいつどこまで関わればいいのか」は、営業職の永遠のテーマだ(どこまでが自分の仕事の範疇になるのか問題は、他の職種でも同じだと思う)。20年超の営業ライフで、何人かの先輩が、自身で開発した仕事にいつまでも携わろうとして、上役から注意される姿を見てきた。彼らは「自分の仕事だから」と異口同音に言っていた。それが原因で退職する人もいた。

僕にもまだ、そういう「自分の仕事」という意識はあるけれども、今は仕事を振ってからは結果を報告として受け取るだけで、それが「営業の仕事」だと割り切っている。だから「自分で新規開発し、案件になるまで育てて、成約した仕事の行く末を見るのが悪いことですか?」と部下に言われると返答に窮してしまう。正しいからだ。「営業の仕事は次の新たな仕事を取ってくること。取ってきた仕事にいつまでも関わって新規開発に割く時間と労力が削がれるなら本末転倒だ」と言いながら、なんだか自分自身を裏切っている気分になってしまう。

 

僕も彼と同じように「自分の仕事」という意識はある。ただ、仕事を他の人に任せなければならないことも理解しているだけだ。営業マンにとって新規開発して取ってきた仕事は子供みたいなもの。その子供が外でどのような扱いを受けるのか気になってしまうのは仕方がない。ちゃんとやれているかな、お客さんに説明したように動いているかな、と。仕事を任される側からみれば、子供を連れてくるのはいいが不良は勘弁ということになるのだろう。

 

子供が外の世界でうまくいっているときはいい。だが、うまくいっていないときは放置できない。20代の頃、取ってきた仕事を運営に引き継ぎ、安心しきっていたら、顧客担当者から「あなたから聞いていた話と全然違うんだけど」という連絡を受けることが何度かあった。大半は、請求書が約束の日に届かなくなった、納品の時間が少し遅れガチといった、慣れからくる些細なミスがほとんどだったけれど、いくつかは、僕が説明してきた内容とはほど遠いようなサービスが提供されているような深刻な事態で、最悪、契約解除までいってしまったものもある。

 

若かりし日の僕は、営業本来の仕事が疎かになるのもかまわず、現場に張り付き仕事がどう動いているのか確認した。「自分の仕事」を監視。だが、周りから「それは営業の仕事じゃない」と注意されたり、現場から「俺たちを信用しないのか。お前の仕事は何だよ」と叱られたりして、納得は出来なかったけれど、現場に張り付くのはやめた。そのとき僕が学んだのは、自分の取ってきた仕事を引き継ぐ際には、成約するよりもいっそう注意深く説明する必要がある、ということ。その観点からみれば、最悪の事態は僕の配慮不足が招いていたともいえた。反省。こうした、痛すぎる失敗から、僕は関係各所に仕事を引き継ぐ際に、定められた連絡事項以外に、自分は営業の際にしてきた話を伝えるようにしている。お客へのセールストークを社内での再現。くどいと言われながらも、それは20年近くずっと続けている。さいわい(小さな問題はあるけれども)、僕がメインで携わった仕事では解約のような致命的な失敗は起こっていない。「自分の仕事」を「営業の仕事」に落とし込めたと自負している。

 

当時、仕事でうまくいかないときに僕が頼りにしたのは、通っていたスナックにいた引退間近の保険業界のベテラン営業マンだった。上司や先輩は僕をライバルの一人と見ていたのか、仕事は見て盗めスタンスを崩さないような、クソ心の狭い人間ばかりだった。今のようにネットもなく、ビジネス書籍やセミナーも少なかった。偉人や経営の神様の本を読んで「ああ凄いなあ」と感銘は受けたけれども、自分とは世界が違いすぎる感が強すぎた。頼りになるものが少なかったのだ。僕はスナックでベテラン営業マンの彼から、いろいろなことを学んだ。顧客管理の方法。同業他社のサービスを褒めたうえで売り込むこと。関係部署へのセールストーク再現も彼のアイデアを拝借したものだ。

彼は「取ってきた仕事を全部知ること」の大事さを、「お客から説明を求められたとき、その質問がこちらからはどんな些細でくだらないものであれ、その人にとって一大事だったらどうする?」というクイズを通じて教えてくれた。僕は自分の扱っている商品やサービスを隅々まで知ることの大事さを教えられたと思っていた。それだけではなかった。彼が本当に言いたかったのは、売る側からは些細な問題でも、客からすれば一大事になりうる、ということは営業しかわからないことで、それを関係各所に伝えるのが「営業の仕事」なのだということだった。彼は、営業の本質を教えつつ、こう言っていた。「仕事を『自分の仕事』にしているうちはたいした仕事はできない」

 

前の職場を辞める直前の一年間、リストラ奉行をやらされた。リストラといっても肩たたきよりも適材適所の異動の意味合いが強かった。それでも、人を動かすのだから、せめて現場の仕事を自分の目で確かめて、知ってからやるべきだと思い、出来る限り現場に入るようにした。僕が成約した、とある工場の現場仕事は1~2週間も入れば理解することができた。これなら、人か時間を削減できるという確信が持てた。現場に入りましたというあざといアッピールもあった。

「私は会社のデスクからではなく、実際の現場に入って、仕事を全部知ったうえで、リストラを行います」という宣言は反感を買った。「一週間からそこら仕事をやっただけでわかるのかよ」「今の現場の仕事は現場で時間をかけて作り上げてきたものなんだよ」。確かに、僕が入ったラインは僕のような素人が入っても、仕事が流れるようにシステムが出来上がっていた。確かに、同じ仕事を一週間限定でやるのと10年続けていくのとでは違った。僕は仕事を知りえたけど、まったくわかってはいなかった。「自分の仕事」にすれば多少の荒行は許されると勘違いしていた。営業にとって自分が取ってきた仕事は子供だ。だがこの子供は親の目の届かないところで、成長を遂げている。その成長の仕方や度合を見守る度量が営業には求められているのではないか。

 

そういえばスナックの彼からはこんなふうに言われていた。「自分の仕事と鼻息荒くしても、営業という立場で知りうる仕事とは所詮営業からみた仕事にすぎない」うろ覚えだけれどそんな感じの言葉だった。言われたときは「そらそうだ」と軽く考えていた。僕はリストラ奉行になったときに、現場を知ることが必ずしも分かるということではないと思い知らされた。会社のような組織では、営業の取ってきた仕事がたくさんの人を通じて大きくなっていく。全貌を知ることは出来ても、細かなところまで理解するのはかなり難しい。信用して任せることが必要になる。「自分の仕事」には限界があるからだ。

 

営業職が、携わった仕事の細部まで全部を知ろうとすることは驕りだ。だから後輩から「自分で新規開発し、案件になるまで育てて、成約した仕事の行く末を見るのが悪いことですか?」と言われたとき、まず僕がやるべきことは、型どおりの諌めをするのではなく、彼のそういう仕事に携わりたいという意気を買ってやることだった。それから現場に貼りつくことのメリットとデメリットを自分の経験を踏まえて聞かせることだった。「自分の仕事」という気持ちを忘れることなく、「営業の仕事」へ落とし込むことを伝えることだった。こういうのは小さくて地味だけれども案外仕事を進めていくうえでは大きなことだ。仕事の仕組みを作ったり、職場環境を整えたり、数値目標を達成させることよりも、こういうことを体系化して後進に伝えていくのが営業人生の終わりに差し掛かりつつある(きっつー)僕の仕事のように思える。

20年前、スナックでいろいろ教えてくれた彼のような存在に慣れたらいい。「仕事を『自分の仕事』にしているうちはたいした仕事はできない」「天狗になるなよ」という彼の言葉は、当時の、ちゃんと教えてくれる人がいればやれるとイキがっていた僕ではなく、管理職になった今の僕に、時空を超えて向けられているような気がしてならない。(所要時間39分)

寄稿しました。若者よ。正しく悩んでテキトーに働こう。 – キャリアの海

こういうエッセイが満載です↓ 

 

おもてなしマインドを身につけよう

 ※当エッセイは9月27日発売の書籍「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。」から最終的にカットされたものです。カットの理由は「文字数の都合」。KADOKAWAさんと東京五輪2020の関係上、五輪と滝クリさんに批判的な内容のためカットされたわけでは決してありません…。

※※※

我々一般市民の与り知らぬところで「おもてなし」を売りにコンペで五輪を勝ち取ってこられても迷惑でしかない。大挙押し寄せて来日する外国人の皆様におもてなしをするのはプレゼンをした滝川クリステルさんや招致委員会の皆様ではなく、五輪で得をすることのない我々小市民。老夫婦が営む小料理屋が「コノオミセペイペイデシハライデキナイデスカ!」という容赦のないクレームを浴びて泣く泣くのれんをおろす姿が目に見えるようだ。僕は「おもてなし」の大バーゲンに、ついに日本は売るものが枯渇してしまった……という絶望を覚えた。

 僕が子供の頃から「日本には資源がない」と言われていた。資源がない国、世界第二位の経済大国、バブル最高、技術大国、クールジャパンと変遷を経て、今、日本は観光立国を目指している。古い寺社仏閣。四季に彩られた美しい風景。城があり、フジヤマがある。ニンジャやゲイシャもいる。シャンシャンもまだいる。オリンピックをきっかけに世界中からたくさんの外国人に来てもらって、お金を落としてもらおうというわけである。賽銭箱をドルやマルクで満杯にするぞー!

「金で解決すればいい」と言っていた三代目社長が、まずい経営で会社を潰して没落、先祖代々継承してきた土地と建物を売却して生活保護でカツカツの生活をしているような悲しみを覚えてしまう。現実は厳しい。これからは僕も、悲しみの涙をぬぐって観光立国の一員として生きていかねばならない。表裏のないおもてなしの精神が僕に備わっていることを祈るばかりだ。

 2020年に開催される東京オリンピックが、観光立国としてやっていけるかどうかのターニングポイントであることに異論はない。特に外国人旅行者をもてなしたいという気持ちはないが、食べていくためにはおもてなしをやらなければならない。そもそも「日本にはおもてなしの心がある」と宣伝されているが本当にあるのか疑問だ。

 

「やっちゃえ」と宣伝していた自動車メーカーが本当にやっちゃっていたリアル感がそこにはまったく感じられない。

 

残念ながら僕には、おもてなしの心は備わっていない。無償でもてなせない心の汚い不良品。他の日本人の人々は、どうだろう? 昨今の公衆便所の使い方の汚さを見る限りでは、おもてなしの心がある人はむしろ少数派だと思われる。かつての経済強国、技術大国の遺伝子やプライドが邪魔をして「へっ! おもてなしなんてやってられるかよ」という強気な態度の者もいるのだろう。僕のような中年が「俺たちの若い頃はもっと凄かったぜ」と若者に自慢している姿と似ていてとても醜い。

無償でおもてなしをするマインドがないので「さあ、見せてやるぜ、観光立国国民のおもてなしの心を!」と鼻息を荒くしても、具体的に何をすればいいのかわからないのだ。無償でおもてなしする心は持ち合わせていないが、有償なら毎日やっている。毎日、会社や家庭において、上司や配偶者におもてなしをしているのに、縁もゆかりもない、一円にもならない外国人の方々におもてなしをしろと言うのか。ただでさえ僕のような中年男性は息をするだけで若い女性たちに生ゴミ扱いされている。若い女性たちは「ちょっと……」「マジで、息とか永遠に止めてほしいんだけど〜」とせっせと納税して国を支える僕らをDISる一方で、キャーキャー大騒ぎしてジャスティン・ビーバーや韓流アイドルグループを追いかけまわしている。笑顔で搾取されている。そのような極めて不愉快な現状があるというのに、ジャスティン・ビーバー似の外国人旅行者に、アホみたいな笑顔を浮かべて、「愛無総理~」つって、一銭にもならない、おもてなしができるはずがない。

僕は営業マンだ。おもてなしのプロだ。プロだからこそおもてなしサービスを無償で提供するわけにはいかない。このような話を職場の若手にしたら、「いやいやいや、そういう考えはもう古いっすよ、たくさんの外国人の方々に来ていただいて無償でおもてなしをして気持ちよくお金を落としていただく。つまり無償のおもてなしは将来への投資ですよ」と訂正された。新たなビジネスチャンスらしい。であれば僕はおもてなしのプロである前に、ビジネスのプロである。回収できるのなら、おもてなしをやろう。滝クリになろう。斜めから見られることを意識しよう。

 

このことに気付いたのは、外国人観光客が大勢やってくる東京五輪まで残り1年の時点である。これからおもてなしマインドを身に付けるには日常生活の中で常に意識していくことが求められる。

朝、洗面台の前で仁王立ちして一心不乱に歯を磨いている奥様の後ろに立つ。「いつも文句を言いつつも傍らにいてくれてありがとう」という感謝の気持ちを持ちながら、薄ら笑いをして鏡に映る彼女を見つめる。わざわざ声をかけない。驚かせて、うがいしている水を誤って飲んでしまわぬよう、サイレント薄ら笑い。これが相手ファーストに考える、おもてなしというもの。「不気味な顔して背後に立たないで」と言われても、気にしない。

とある休日の朝、散歩に行ったときのこと。5月の海岸の気持ちよい風を浴びながら歩いていると、20歳前後のアジア系外国人女性3人組に声をかけられた。なぜ、外国人の方々は、日本人よりも露出度の高い衣服をお召しになるのだろう、これが噂の逆ナンパかな、という淡い期待は瞬間的に消失してしまう。「スラムダンク、シッテマスカ?」と彼女たちのひとりが言ってきたからである。世界には、クールジャパンに憧れる外国人が大勢いて、クールジャパンを求めて来日しているという話は聞いていたが、本当に実在するとはね。

「オフコース! 知っていまーす。偶然ですね、私の名前はRUKAWAです」と答えた。おもてなしの心、大爆発。すると彼女たちはバカ受け、腰をおさえて、ヤー!  とかオー! とか声をあげて、お互いに肩を叩き合って息が切れるほどゲラゲラ笑った。それから、「イエーイ! アリガトーゴザイマス!」「イエーイ! サンキュー!」と奇声をあげながら彼女たち一人ひとりにハイタッチをして別れた。こういう、左手はそえるだけのシュートを一本一本決めるような地道なスラムダンクの積み重ねが、僕の中におもてなしマインドを形成していくのだろう。

家に帰って、鏡を見たら疲れ切った中年の男の顔がそこにはあった。おもてなしをするためにテンションを上げることは、思った以上に中年男の心と身体を消耗させるらしい。このままのペースでおもてなしを爆発させていたら、東京五輪2020まで持たない。でも、やるしかない。資源も技術もお金もなくなった僕らには別の道は残されていないのだから。諦めたらそこでゲームセットなんだよ。(所要時間43分)

 

祖母が遺した休眠口座をめぐって親族が醜い争いをしています。

身内の恥を晒すようで恐縮だが、母と伯父と叔母の3兄妹が祖母の遺した金をめぐって血みどろの争いを繰り広げている。たった一つの地球で、たった二つしかない睾丸から生まれた、たった三人だけの兄妹なのに、四の五の言わずに、なぜ、うまくやれないのか。僕には理由がわかっている。それは金がらみだから。お金が人を狂わせる。マネーが人を虎にする。虎同士の話合いは「お前とはもうおしまいだ!」「弁護士を呼ぶわ!」「ああ!もういい!」と決裂、僕が仲介役をすることになった。きっつー。伯父や叔母には父が亡くなったあと色々世話になったので、このような事態になってしまい悲しい。これほど悲しいのは、玉子かけゴハンを食べようとして冷蔵庫にあったラスイチの生卵を落として割ってしまったとき以来。2週間ぶり。

きっかけは30年前に亡くなった祖母の休眠口座。金融機関からの通知。これまでも通知が来ていたと思われるが、「宣伝ハガキやDMは即ゴミ箱行き」という家訓のせいで明るみにならなかったのだ。「長男は俺だ!」「私が臨終に立ち会った」「母さんに一番愛されたのは私よ!」中国地方の大名毛利氏の3本の矢になぞらえて「どんな苦難でも乗り切れる三本の矢」を自称していた兄妹がこうもあっさりポキッと折れるとは、お金はマジでおそろしい。ヒアリングをすると「お金の問題じゃない」「金額が大きいから争っているのではない」「金というか気持ちがね…」と3人が3人ともお金には執着していないと主張するのだが、それぞれに「じゃあ、譲れば?」と提案すると、それは出来ない、プライドがある、負けを認めたくない、といって断じて譲ろうとせず、分割を提案しても「分ける意味がわからない」「分けたら取り分が減るよね。増えるなら応じる」「人の命ってわけられないよね?」と意味不明な理由で拒否するなどして、結果的にお金に執着するのが面倒くさい。雁首そろえて早く鬼籍に入ってくれ、と思うけれども70歳をこえてなお、ガチで喧嘩をするバイタリティがあるので、朝8時から胃痛に苦しみ、夜9時になると目がかすみ、夜11時になると目ヤニで目を開けていられなくなる、僕のほうが彼らより先にストレスで斃れる可能性のほうが高いと思われる。いいやつほど早く死ぬっていうしね。醜い争いを回避するために意識のあるうちに一筆残しておくことをおすすめする。ちなみに僕も奥様から「遺されたものを不幸にしないために」つってエンディングノートを渡されている(まだ書いていない)。お金は譲りたくない。お金の問題で弁護士を呼びたくない。お金を独り占めしたい。祖母の愛を一身で受けたい。毎日サンデー状態の老兄妹たちを狂わせる休眠口座。本当に面倒くさい。まあ、徹底的に納得できるまでやりあえばいいと思うよ。人生はいちどきり。諦めることはないのだ。床に落ちた生卵でもおいしく食べられるのだ。巨額の遺産で争っていただけると僕も仲介役としてもやりがいがあるのだけれど…

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これじゃやりがいもクソもない。(所要時間16分)

9月27日に書籍が出ます。完全書き下ろしです。

アマゾン↓↓

9/27発売フミコフミオ本『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』最終段階で泣く泣くカットした未収録エッセイを公開します。

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【速報】Amazon「胃・腸の医学」で位! 

9月27日という消費増税直前という最高のタイミングで、KADOKAWAさんより、現代における生きづらさに迫るエッセイ本『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』が発売されます。

内容は「会社」「仕事」「社会」「家族」といった人生の様々なシーンで普通の会社員である僕が「きっつー」と感じた生きづらさを探求して、それらをどうやりすごしてきたかを真空パックしたものだ。そこらへんにいる中小企業勤務のオッサンの悩みと解決なので、スーパー・ビジネスマンのそれよりは、皆さんにもウルトラ共感していただけると思う。 

今日は特別に未収録エッセイを大放出したい。KADOKAWAのエモい担当編集I氏と場末の居酒屋で飲んで「僕、16万字くらい書きますよ。余裕っす」「フミコ先生ありがとうございます!」と盛り上がった勢いそのままに、僕は17万字近くきっつーな文章を書き、校正もおこなった。ところが最終段階でI氏から「まことに申し訳ありませんが、文字数の関係で…」という大人の事情申出があり、最終の、最終の、最終段階でカットすることになったものだ、これを読んでいただき、少しでも『胃に穴』に興味を持っていただけたら嬉しい。

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未収録エッセイ①/失敗を恐れない人は勇気があるのではなくナメているだけでは?

PDF→失敗を恐れない人は勇気があるのではなくナメているだけでは?.pdf - Google ドライブ


「私は失敗を恐れない」は勇気があることを表している言葉だ。それが「バカだから失敗がわかりません」と言っているように聞こえるときもある。

 記憶が蘇る。

 「僕は怖くないぞ!」

 友達が大きな声をあげて、空気の抜けた自転車で公園から路地への下り階段を降りようとしている。「ケガするって」「危ないからやめろ」周囲の声に「大丈夫だって!見ていろ!」と言い返し、そのまま自転車で下り階段に突っ込んでいった彼は、二、三段下ったところで、がくっとハンドルを取られ、ガラガラドチャーン! と落ちていった。足が空に、頭が地面に、一回転して落ちていって、動かなくなった。

 「死んだ?」

 張り詰める空気。死んだ人間は生き返らない。仕方がない。諦めよう。今日という日を胸に刻んで生き残った僕らは強く生きよう。彼のぶんまで立派な大人になろう。
彼は生きていた。擦り傷だらけになった彼は「すげえだろ」と己の勇気を誇っていた。

 

これは勇気ではない。蛮勇である。バカとも言う。周囲を巻き込まないなら蛮勇はたいへん結構。血を流している蛮勇君を放っておくわけにもいかないので、彼の自宅まで送り届けた。僕らは彼のお母さんから「友達なのに、なんで危ないことをしようとしているのを止めないの!」と叱責された。そのとき「トンビはトンビしか産まないのだなあ」と思ったのをつい昨日の出来事のように覚えている。

 

それ以来、「失敗を恐れない」という蛮勇族が現れると、パブロフの犬のように警戒するようになってしまった。

「失敗を恐れない」蛮勇族を警戒する僕みたいな人間もいる一方、「失敗を恐れない」というフレーズが魅力的に映る人もいる。新進気鋭の実業家が「私はね。過去の前例や常識にはとらわれない。失敗を恐れたりはしない。失敗は成功の母だからね。ははは」とインタビューで答える。すると疑うことを知らないピュアな若者はその言葉をそのまま真に受けて「すげえ。かっこいい。俺も失敗を恐れずに挑戦するぞー」と進んで失敗に突き進んでいって滅亡するのだ。

成功者の「失敗を恐れない」は、失敗を恐れていないわけではない。あらゆる失敗を想定し、対応策を講じたうえで、ようやく恐れなくなったという表明である。常識的に考えて、失敗を予想せずに自転車で階段を下って傷だらけになった蛮勇君が成功するわけがない。もし蛮勇君が起業しても、「痛みは痛いと思うから痛いのです。痛いと言っている余裕があるなら、お客様に笑顔を向けましょう」なんて言うようなブラック会社の代表になるのが関の山だろう。


失敗を恐れないは、失敗を軽く考えることではない。「失敗は成功の母」「失敗を糧にしよう」みたいなフレーズがとても軽く扱われていて怖い。失敗ナメすぎ。千の成功を積み上げても、たった一度の失敗ですべてが無になることがあるからだ。社会には他人の失敗をいつまでも覚えているヒマ人がいて、執拗に「あんたあのとき失敗したじゃないか」と言ってくる。

 

以前勤めていた会社で同僚だったクボ君は、大変気さくな好人物で、近い年代の人たちからは「クボちゃん」「クボッチ」と呼ばれて親しまれていた。その親しみは、彼生来の愛すべき、そそっかしさや忘れっぽさから来ていた。「まーた、クボちゃんかよー」「しっかりしろよ。クボッチ」という声を何回耳にしただろう。クボ君は、上司からよく叱られていた。仕事をするうえで、そこだけはミスったり忘れたりしちゃいけないポイント。そこさえ押さえておけばオッケー、あとは何とかなる、そういうポイント。クボ君はそういうポイントをしっかりスルーしていた。

 

「あのさー。何度同じことを言わせるんだよ!」
「すみません。この失敗は次に活かします」
「キミねえ。毎回、毎回、そう言っているけど、いつ活かされるのよ。え? いつ!」

 

クボ君はこんな感じで上司にヤラれていた。失敗の印象は強い。こうしてクボ君の失敗を語っている僕も、クボ君イコール失敗の印象が強くて、そこから逃れられない。クボ君は確かに失敗が多かったけれど、失敗よりもずっと多くの成功があったはず。


キツいのは、失敗はなかなか忘れてもらえないこと。どんな小さな失敗でもずっと影のように自分を追ってくることだ。

 

仕事のうえでの成功のほとんどは、誰からも褒められることのない小さな実績だ。否応なく叱責を受ける失敗のほうが目立ってしまう。クボ君はたくさんの成功を積み上げていた。だけどクボ君の時々の失敗がそれらを無にした。成功の価値は失敗によって減じられてはならない。成功はその成功をもって評価されなければならない。

 

それは理想。残念ながら人間はそこまで綺麗に割り切って考えられない。

 

現実は、ひとつの失敗によって数多くの成功はなかったことにされている。一度の失敗で出世街道から外されてしまった有能な人材を、これまで何人も見てきた。クボ君とは10年以上も会っていないけれど、彼の積み重ねてきた失敗が糧になって、今は大きな花を咲かせていると信じたい。

 

今、僕は失敗を恐れる中年。守らなければならないものが出来たから失敗を恐れているのではない。成功以上に失敗を重く見るようになったのだ。加えて、経験を重ねてあらゆる失敗を予測できるようになった。予測できる失敗は回避できる。予想されている失敗に突き進んでいくのは、蛮勇君のようなバカだけでいい。

 

「僕はどうしても失敗したい。自分の武勇伝にしたい」という奇特な方には、失敗するのなら若いうちにしておくことをおすすめしたい。突然のリストラ。熟年離婚。莫大な借金。こういう失敗は、中年になってからではガチで取り返しがつかない。こうした失敗をしないためには、どうすればいいのか。簡単である。何もしなければいい。皆さんの会社にもいないだろうか。肩書や役職もなく、ただボーッとしている先輩社員。積極的に動かず、あらゆるものに無関心、無気力のスタンスを周知させて「あの人は仕事できないから……」「あの人に仕事を任せると、いいかげんなことをして頼んだこちらの責任が問われる」と思われるようにするのである。誰でもできる、責任の問われないどうでもいい仕事のみを粛々とこなすだけの日々。一度の失敗が人生を破壊する恐怖がこうした人間を生むのだ。

 

失敗は失敗。殺人や強盗のような犯罪でないのに許されなさすぎだ。これからは失敗が許される世の中になればいい。あらゆる組織で残機制度を導入してはいかがだろうか。失敗するごとに残機は一機ずつ減っていくが、残機ゼロになるまでは責任を問われない。手柄を立てたら1UPキノコ。人事担当の方に残機制度の導入を真剣に検討していただけたら幸いである。

 

家庭のほうがデンジャラス。会社など、家庭に比べればイージーモードである。会社で失敗して上司から詰められるのがきつかったら辞めてしまえばいい。だが家庭は逃げ場所がない。家庭から逃げても慰謝料や養育費が地獄の果てまで追ってくる。尻の毛まで抜かれる。奥様という名の秘密警察は失敗を見逃さない。情状酌量もない。

 

小さなしくじりも大きなしくじりも等しく重罪。奥様警察には賄賂も役に立たない。
「ささ、どうぞ」と賄賂を菓子折りの箱に入れて渡せば、「この金はどこから調達したの! なぜ生活費に入れないの!」と別の罪名がアドオンされるだけである。

 

外出時にトイレの消灯を忘れれば「やっぱりあなたはダメだ。失敗ばかりの出来損ない人間だ。どうして何度言ってもわからないのだろう。バカなのだろうか。こんなバカと結婚した私がバカだった。私の人生を返してほしい。ああ、佐藤健君と人生をやり直したい!」といい、これまで地味に積み上げてきた功績が全否定。前日、特上カルビをご馳走しても胃袋で消化されてしまえば、無意味。家庭においては「失敗を恐れない」などという甘い理屈は通じない。もし、あなたが「僕は失敗を恐れない」と口に出来る家庭をお持ちならば、それは素晴らしく贅沢な人生を送っているか、妄想だと思うよ。

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 ちなみに掲載イメージはこんな感じ。文字多めのストロングスタイルで勝負です。

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では、よろしく。 

 

煽り煽られてイキるのさ

煽り運転マン逮捕された直後から、テレビやネットがフミオ!ガラケー!フミオ!ガラケー!と大騒ぎするものだから、とても他人事とは思えなかった。だが、僕自身は、生来の巻き込まれ体質もあって、煽られる側の人間であった。生真面目に四十キロ制限の県道を四十キロぴったりで走行しては、若者が運転する軽自動車に後ろかチカチカやられ、追い抜く際に中指を立てられるような理不尽な目に遭うことが、本当に、本当に多かった。

そういう頭の悪い若者は、Siriに入れる座薬のようなものである。座薬特有の異物感はSiriの中ですぐに溶けてなくなり、忘れてしまう。僕は大人の余裕を見せて車を停めて道を譲る。座薬バイビー。だが、バックミラー越しに彼らが助手席にセクシーギャルを乗せているのを見てしまうと、座薬の分際でギャルかよ、ザケンナヨ、絶対に許さない、という気持ちが沸いてきて道を譲る気持ちは蒸発、道を譲らず四十キロきっちり維持して走行、相手のイライラを募らせ、座薬とギャルに抜かれる際に口パクで《SHI・NE》とやられるのだ。

「このようなカーライフを送っていたら取り返しのつかない事態になる」ある時期を境に僕はそう考えるようになり、煽られないように努力をするようになった。ドラレコ設置。それからハンドルを握る際にはクロブチ眼鏡をかけ、ヤクルトスワローズの野球帽を被り、ヤベえヤツ感を演出するようになってから煽られることはなくなった。参考にしてもらいたい。こうして僕個人の対煽り運転戦争は沈静化した。

しかし、煽り運転は社会からなくならない。なぜ、煽り運転をするのだろう。ニュースによれば煽り行為の発端は追い越し走行にあるらしい。僕は、追い越しという行為が優越感と劣等感を刺激することに煽りの原因があると考えている。たとえば他人に対して謎の優越感を持っているバカにとって、追い越し車線の前方を走行する車は優れている自分を邪魔をする存在であり、他人に対してどうしようもない劣等感を持っている人にとっては追い越し車線で前方を走る車は、リアルではダメダメな自分を想起させ、絶対に前を走らせたくないと思わせる存在なのである。そして、くだらない自分の立ち位置を守るために、前方に走っている車はあってはならないものとし、抜きにかかり、邪魔だと感じたら煽って、己の戦いに引きずり込み、追い越そうとするのだ。煽り運転をする人たちの勝手な言い分は、自分たちが正しい戦いをしていると信じているからこそ出てくるのだ。迷惑すぎる。

僕は、追い越し車線というネーミングがその種の人間の闘争本能を刺激しているのではないかと思う。なので「ささ、お先にどうぞ車線」という柔らかなもの、「地獄へGO車線」という命のピンチを意識させるもの、「DQN車線」というアイデンチチーを刺激するもの、はいかがだろうか。

だいたい人間というものは生まれてきた時点で素晴らしく、価値のある存在であり、その後の勉強や仕事が出来る出来ない、お金を持っている持っていない、抱いた異性の数といったもので優劣や価値の増減などは、どうでもいい誤差みたいなものだ。そんなもので俺は優れている!だから何人たりとも俺の前は走らせないと考えるのは一ミリを一万光年に拡大解釈しているようなものなのだ。ほんのちょっとの優劣を追い越し車線で証明したり取り返そうとするみたいなのは、バカバカしい行為なのである。

そのように日々考えているので、年長の知人から「何ものにもなれなかった」「こんなはずじゃなかった」と酒を飲みながら言われても、生まれてきた時点で価値があるのだから別にどうでもよくね?と思うばかりなのだ。「良くやりましたよ」と褒めるのも「もっと出来ましたよね」と評価するのもおかしい。自分が納得するかどうかであって、その評価を他人に委ねるのがおかしいのだ。それでもグチグチネチネチ絡んでこられると、酒が不味くなってきて、感情的になり、精神の追い越し車線に乗り込んで「なんかそういうのダサくないっすか?」と煽ってしまう。僕もまだまだ修行不足だ。

つまり、自分が少し成功していたり、自分の思い通りにならなくても、それを追い越し車線的なものに持ち出し、そこで見つけた獲物を相手に証明したり解消したりしようとする行為の極北が煽り運転なのだろう。人間は生まれながらに価値があるので、そんなことをしても己の価値を貶めることこそあれ、上げることにはならないのだけど。普通の人は直感的にそれがわかっているから煽り運転をバカと一刀両断できるけれども、バカには永遠にそれがわからないから繰り返すしやめないのだ。きっつー。煽り運転で逮捕されたフミオさんを見てそんなことを思った。なおこの記事はガラケーによって書かれた。(所要時間27分) 

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