Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

『面倒なことはChatGPTにやらせよう』を文系ゴリゴリおじさんが読んでみた。

『面倒なことはChatGPTにやらせよう』(カレーちゃん氏、からあげ氏著)を2回通読した。著者のひとり、からあげさんは、僕がキャラクターを認識できる数少ないブロガーだ(お会いしたことはない)。現在、データサイエンス研究者として大活躍している。なお、僕は勝手に彼をターミネーター2に出てくるサイバーダイン社の開発者ダイソンさんをイメージしている。人類の未来のために、凶悪なターミネーターを開発することのないことを祈るばかりである。僕はゴリゴリの文系の営業職の50歳のオッサンで、本書の推薦人である松尾教授とは真逆の人間である。もしかしたら本書のターゲットから外れている人物像かもしれない。そういう人物に本書がどう役に立つの?という視点でレビューになる。

本書を一語にたとえると「ブルドーザー」だ。ChatGPTへの抵抗感や不信感や偏見という壁をぶっ壊し、日常に即したツールとするまでの道を舗装するという意味だ。昨今、生成AIが大ブームである。数年前まで某感染症の感染者数をリアルタイムで報告していたテレビのワイドショーでも毎日のように「生成AIでこんなことができる!」「生成されたリアルな画像が現実と区別がつかない」などと内容のあるようでまったくないくだらない取り上げ方をしている。書店に立ち寄れば「ChatGPT」が表紙を飾る本を見かける。そんな世の中で生きている僕は、ガンマgtpだけでもヤバいのに、そのうえ生成AIを使わないとヤバいことになりそうだという危機感を持つようになった。

不安にかられて僕も著名人(あえて名は出さない)またはそのゴーストライターが執筆した「生成AIを使わないと損をする」「生成AIで世界はこう変わる」という本を何冊か読んだ。危機感を煽られただけで途中で読むのをやめてしまった。大変もやもやした。くだらないのが「AIに仕事を奪われる!」「こんな仕事は滅びる!」と繰り返される内容だ。人類が科学を発展させてきたのは、言い換えれば過酷な労働から決別するためである。技術の発展でなくなる仕事があるのはこれまでの歴史と一緒でしょ?仕事の在り方が変わるだけだ。

「ChatGPTとどう向き合えばいいの?」「ChatGPTを前に文系オジサンは最初に何をすればいいの?」本書はそういった不安を解消する内容となっている。かなりの頁数を割いて、どういった命令を与えれば、こういう答えが返ってくる、うまくいかないときはこうやってみてという実例が掲載されている。データを加工してグラフ作成やパワポの資料作成、顧客別の販促メールの作成法、簡単なブラウザアプリの作り方まで、ゴリゴリ文系の僕でもわかるくらいの、これ以上分かりやすく書けるのか?というレベルまで視点を下げてくれている。

<めちゃわかりやすい実例>

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生成AIで世界はこう変わる系の書籍の大半は「AIすげー」「やべー」で思考停止してブラックボックスのように扱っているように見える。その方が危機感を煽れるからだ。けれども、本書はChatGPTの優秀さや便利さを嚙み砕いて、こうやって使うことで身近なツールになるよ、という優しい視点で書かれている。多くの文系中年おじさんは、生成AIはヤバいよ、といわれて、そっかヤバいんだな、で止まっている人間が多い。なぜか?それは「何をすればいいのか」「最初の一歩でどうすればいいのか」そして「それをすることで何が起こるのか」をわかりやすく解説する教材がなかったからだ。

そしてプライドの高い文系中年おじさんはChatGPTや生成AIを「質問を投げかけると人間っぽい答えをしてくれるツール」「文章から現実顔負けの画像を作成するツール」という限定・矮小化されたイメージで固定させてしまう。何を隠そう僕もその一人だった。だが本書を読んで、それらはChatGPTの一部にすぎないことがよくわかった。実際にはもっと自由度と汎用性の高い可能性を秘めたツールであることを《プロンプトと結果とうまくいかない場合のコツ》の繰り返しの実例で示している。素晴らしい。

タイトルにあるように今抱えている面倒なことを頭に浮かべながら読むとより効果的だろう。僕の場合、ほぼ同じような話に終始する会社上層部との打合せが死ぬほど面倒くさい。上層部が死んでくれたらいいのにと毎週思っているくらいだ。打合せ自体は変わり映えのしないものだが、その場に用意しなければならない資料を毎回作らなければならないのが面倒くさいのだ。死んでくれと思う。

だが、本書で紹介されているパワポ資料の作成法なら、同じデータからでも違うものが簡単に作成できるようになる。どんな内容を作ればいいのかという悩みからも解放される。「どんなの出来る?」とChatGPTへ尋ねるだけでいい(記述法はコツがあるけれども本書に紹介されている)。提案された候補から選んで実行すればよい。面倒クサさとはおさらばである。最高だ。

本書をガイドにChatGPTをとりあえず使ってみて、身の回りにある、クッソ面倒くさいことをChatGPTに投げてしまおう。それで浮いた時間と労力を別のまだデータが出そろっていない新しい仕事の企画作業や趣味や休憩に投資すれば、QOL向上につなげられるだろう。

『面倒なことはChatGPTにやらせよう』、身もふたもないタイトルだけれども、これ以上僕ら人間とChatGPTとの付き合い方を端的にあらわしている言葉はないだろう。面倒なことをAIにやらせる、そこにいたるまでの少しだけ面倒な道のりを平坦な道に整地してくれているのが本書である。なお、最新アプデに対応している。今まさに読むべき本だ(所要時間45分)

政治家は裏金つくってんのに、行儀よく確定申告なんて出来やしなかった。

僕はフミコフミオ。先ほどからイータックス(https://www.e-tax.nta.go.jp/)で確定申告作業をはじめた小市民である。ところがhttps://www.e-tax.nta.go.jp/において「裏金」記入欄が見つからず作業が頓挫したため、気持ちを落ち着かせるために、こうしてブログを書いている。確定申告作業の進捗率は30%程度だろうか。道は長い。参考までにあげておくと、岸田フミオ内閣の最新支持率は14%である。岸田内閣の支持率14% 自民党の支持率も16%に下落 - 産経ニュース

確定申告のために税務署を訪れた人たちが「裏金政治家からきちんと税金を徴収しろ」「政治家から徴収するまで納税しない」と文句を言っているというニュースを見た。スタッフジャンパーを着ているアルバイトの若者へ、イオンで購入したジャンパーをパリっと着こなしたオジサンが文句を言う、いわば世代間ジャンパー対決だ。現在の政治に対する怒りはごもっともである。だが、政治家の納税と自身の納税は別問題である。残念ながらhttps://www.e-tax.nta.go.jp/で申告できるのに紙に慣れているという理屈でわざわざ税務署に足を運んでいるのは頭脳が硬直化している老人およびその予備軍であるためそのことが理解できない。確定申告は面倒だ。細かい。イライラは募る。そのうえで自民党の議員がアホなことをやっている。ムカつく。文句のひとつでも言いたくなる。その気持ちはわかる。無視できない声だ。あるニュースによれば「税務署へ持参して提出(紙)」で確定申告をする人が24.9%いるらしいからだ。無視できない。なお、関係ないが、岸田フミオ内閣の最新の支持率は14%である。

はっきりいってしまおう。自民党裏金問題に憤って「政治家から税金を徴収してからにしろ」「納税ボイコット」と訴えるのは理性に欠けている。あえていおう馬鹿であると。馬鹿な政治家のために納税を怠って追徴課税を受けるのは実にくだらない。馬鹿な不正をする政治家と同じレベルになっていいのですか?。よく考えてほしい。つか、よく考えなくても、我々の納税/確定申告と自民党裏金問題はまったく別の問題である。感情的になってそれを混同してはいけない。怒りはわかる。ムカつくのもごもっとも。自民党裏金問題で大炎上しているところに放り込まれた「超訳)自民党議員の裏金問題は、忘れやすい日本人の特性をフル活用して、内々激甘対応できちんとやってきますので、下々の日本国民の皆さまのおかれましては法令に基づいて確定申告&納税をきちんとしてくださいね。裏金は選挙で選ばれた国会議員の特権です。やらないと追徴課税ですよ」という岸田フミオ首相のコメントはニトログリセリン級だ。支持率14%を誇る岸田フミオ首相は、フミオ界の風上に置けない男である。

岸田フミオさんが首相になったときのことを覚えているだろうか。記者会見だ。A6サイズの小さいノートを高く掲げ「聞く力」をアッピールしていた。ノートは書くものであるため、聴く力=聴力と何の関係性があるのか、そのときの僕には理解できなかったが、世の中、ネットの反応は概ね好評だったように見えた。今は、ノートをメガホンのような形状に丸めて音を聞く道具として活用するという意味だったと好意的に解釈している。つい先日も子育て支援だがなんだかのための月500円増税を「収入アップが見込まれるので増税にはあたらない」と答弁していた。500円はたいしたことがないという認識なのでしょうが、日々の昼飯代を1日300円台におさえている僕からみれば500円はファミチキが追加できるくらいの大金なのだ。ふざけてんのか。閑話休題。何が言いたいかと申し上げますと、岸田フミオさんは微妙に認識のズレた発言を繰り返す人なのである。だから、国民への納税訴えも、当たり前のことを申し上げているというだけなのである。そういう人に「裏金問題を解決しろ!」「納税ボイコット!」と訴えても、さらにイラっとする発言が生産されるだけだろうと予想する。

というわけで裏金問題に憤って「納税ボイコット」「政治家からきちんと徴収しろ」と確定申告タイミングで訴えても馬鹿をみるだけなのだ。それが、あえていおう馬鹿であると、の意味である。このような理屈を説くと、「そういう冷笑主義が日本をダメにした」とか「政治から逃げている」というようなことを言われる。違うのだ。攻撃の仕方が間違っているのだ。先述のとおり、裏金問題を解決しろ!政治家が納税するまで納税しないぞ!と訴えるのは期待値の14%くらいのダメージしか相手に与えられないと思われる。もっと壊滅的なダメージを与えて危機感を持たせるのだ。というわけでハクティビストのアノニマスさん!出番です。疑惑議員のPCのハック、オナシャス!霞が関と間違って霞ヶ浦を誤爆した恥ずかしい歴史を覚えているので今度はきちんとお願いしますよ。では僕はhttps://www.e-tax.nta.go.jp/に戻ります。これまで入力したものがパーになるのは嫌なのでhttps://www.e-tax.nta.go.jp/を攻撃するのはやめてね。

(所要時間25分)

単行本『ドラミちゃん』「しずちゃんの入浴オチ」はないけど最高でした。

単行本『ドラミちゃん』、最高だった。最初にいっておくと僕はドラえもんの熱心ファンではない。小学生の頃、コロコロコミックの連載を読み、大長編ドラえもんの特別連載を毎年心待ちにして、今も実家の本棚にはてんとう虫コミックが揃っている、その程度のファンだ。グッズを追い求めるとか聖地巡礼をするようなマニアではない。そんな僕でも単行本『ドラミちゃん』は最高の読書体験だった。ドラミちゃんワールドが1冊にまとまっているのがとても良かった。しかも240ページの大ボリューム。最高。

ドラミちゃんはF先生の変化球だ。ドラミちゃんというドラえもんとは性格の違うキャラクターを本来ドラえもんのいるポジションに配置して、物語に変化を与えている。アニメ版でよくある優等生なドラミちゃんがのび太の面倒をそつなくこなしてドラえもんが嫉妬するエピソードがその代表だ。マンネリ回避というよりは、たまに投げる変化球を楽しんでいたように見える。初期ドラミちゃんの、キャラが安定していないところも地味に見どころだ。

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(「ドラえもんの妹」設定に必要以上に説得力を持たせるビジュアル)

 

ドラミちゃんの話には2つのパターンがある。ドラえもんの物語の中にドラミちゃんが登場するパターンと、端からドラミちゃんが主役のパターンだ。ドラミ主役話を読んでいると、ドラえもんの原作を読んだことのない非国民の方が読んでも何ともいえない違和感を覚えるはずだ。低い感性の方でも読み進めているうちに、「これはドラえもんの世界じゃない!」と気づくだろう。少々ドラえもんに詳しいセンスある人のあいだでは常識なのだけれどドラミ主役話は、いわば、ドラえもんワールドのパラレルワールドなのである。

ドラミ主役話のいくつかは異なる連載誌に掲載されていたもので(特に『小学生ブック』に連載されていた回は後述のズル木が登場するぶんパラレルワールド感が強い)、修正をほどこしてドラえもん単行本に収録している。大人の事情により完全な修正がおこなわれなかったため、それが違和感に繋がっている(そのあたりの事情はこのサイトが詳しい→君はズル木を知っているか。ドラえもんマニアには常識、のび太郎とカバ田とみよちゃん:ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊!!):SSブログ

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(ジェネリック・スネ夫、小さいジャイアン、違和感しかない一コマ。パラレル!)


のび太っぽい主人公は「のび太郎」、ジャイアン=「カバ田」、しずかちゃん=「みよちゃん」、スネ夫=「ズル木」である。のび太郎は見た目がのび太なので無修正、カバ田とみよちゃんは修正でドラえもん世界との整合性をはかっている。しずかちゃんに修正されたしずかちゃんそっくりなみよちゃんに、「みよちゃん」と呼ぶのび太っぽいのび太郎。うん。意味がわからない。でもそれが面白い。

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(この数コマだけでも哀しい…。そして突然登場の「みよちゃん」の名前。ここではズル木ではなくスネ夫だ。パラレル!)

 

それにしてもF先生はときどきいい加減なネーミングをするものだ。「のび太郎」って。天才の仕事だ。なお、ズル木については修正をあきらめて、スネ夫への修正がなされずにしれっとズル木で出ている。本書に収録された話でも、ズル木でいくかと思いきや、別の話ではスネ夫が出ていたりする。そしてズル木とスネ夫の共演はない。なおスネ夫はよく知っているキャラで憎めない面もあるのを僕らは知っているけれど、ズル木は登場回数が少なく良い面が描かれていないので単にズルい奴なのがいい。ズル木はズルくて嫌なやつ。そのままでわかりやすい。ジェネリック・スネ夫ことズル木の扱いがひどくて最高。

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(ただのズルい男、ズル木。ドラえもん正史から消された哀しいキャラだ)

 

このようにドラえもんの世界観とドラミちゃんの世界観とのあいだでときどき見られる整合性の取れてなさを一冊で楽しめるのが単行本『ドラミちゃん』の魅力だ。ドラえもん単行本に点在して収録されたために薄まっていた整合性の取れてなさが、ドラミちゃんでくくられているぶん特濃で味わえる。整合性を気にしない、ロックなスタンス。今なら生成AIで修正できてしまいそうだが、あえてその雑さを残しているのがいい。

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(パパかと思ったら、お前誰やねん。パラレル!)

 

あと、ドラミちゃんが女の子だからだろうね、しずかちゃんのお風呂オチが見られないのでその点について過剰に反応しそうなネットのとある層にもおすすめできる。なお、長期にわたって描かれた『ドラえもん』だがドラミちゃんの登場回は23回しかない(らしい)。思ったよりも少なく感じるのはドラミちゃんというキャラクターのインパクトが大きいからだろうね。その中でも「海底ハイキング」「ネッシーがくる」「ガンファイターのび太」は名エピソードなのでぜひ読んでほしい。なお、紙書籍にはドラミちゃんシールが付いてくるよ。(所要時間30分)

帰宅命令を出すのは「公共交通機関が止まったら」でいい。

先日(2024年2月5日)、関東地方に大雪が降った。職場がある神奈川県に大雪警報が出された。めずらしいことだ。積雪を警戒して朝から県内の有料道路は通行止めになっていたが、会社最寄り駅を経由する電車やバスといった公共交通機関は通常どおり運行。朝からSNS上では帰宅命令を出す企業の情報がぽちぽちと出始めていた。

午前10時半。僕の座る窓際席から降雪を確認。会社前の道路はうっすらと白くなりはじめていた。スタッドレス未装着車の走行は危険だ。会社上層部が会議室に集まり、対策会議を開き対応を検討しはじめた。降雪予報を受けて前日の夕方にも会議はひらかれていたが、「明日の様子を見て臨機応変に対応する」というどうしようもない結論に至っていた。こういう状況ならこういう動きをするという取り決めもなし。1時間弱の会議で何を話していたのだろうか?行き当たりばったりを臨機応変と超訳していてアカデミー出版もびっくりである。

12時。降雪は強くなるばかりで、数センチの積雪が認められた。もはや我々社員の興味は、帰宅命令を出す/出さないから帰宅命令を出すのは当然でいつ出すの?今でしょ問題になっていた。同時刻、上層部が3回目の対策会議を開催。会議は3分で終了。会議の長さがおっさんの不整脈のように不安定だ。結論は「高い関心をもって降雪の状況を注視していく」というものであった。平均60才オーバーの上層部が、横一列に並んで、高い関心をもってぼーっと窓の外を見ている光景は、薄気味悪く、「60才をこえたら自分もこうなってしまうのか」という将来への不安を覚えてしまう。

13時。降雪はさらに強くなるばかりであった。上層部が対策会議を開催。手帳を持たず手ぶらで談笑しながら会議室に入っていく老人たちの姿が不安と不快感を覚えた。「ゆーきやこんこ」という歌声が聞こえた気がした。まさかの幼児退行現象。幻聴であってほしい。

(19時頃の様子。雪はパラパラ降っていた)

13時40分。途中から会議への参加を要請された。これまでも指示を周知するため、在社中の部門長クラスが招かれることはあった。会議室では「公共交通機関が止まったら全社員に帰宅命令を出そう。会社に泊まったら光熱費がかかるし、せっかく備蓄していた非常食も消費してしまう。もったいない」と上層部が真顔で話し合っていた。聞き間違いを信じて確認したが、《公共交通機関が止まる前に》ではなく《止まった後に》であった。大雪のなか、会社を追い出されて、身動きもとれない。温かい本社と緊急時のために備蓄した食料があるのに、なぜ神奈川の市街地で雪中行軍をさせられなければならないのか。嫌がらせすぎるだろ。会社は我々を見放したーーー!

ブラック企業ぶりに目の前が真っ暗になりつつも反論した。「今、帰宅命令を出してはどうですか」。すると上層部は「今、帰宅命令を出せば、会社都合による休業となり、手当を払わなければならなくなる。しかし、電車が止まれば天災による休業となり、手当を払わなくてすむ。それが経営というものだよキミ」と答えた。安全配慮義務はいずこへ。

このような判断の裏には、過去の判断のしくじりがあった。数年前、巨大台風が関東に激突すると大騒ぎになったのを覚えていないだろうか。そのとき、我が上層部は我が身の安全を第一に考えた。そして「台風の中、出社したくない」という本音が露見するのを隠すため、木を隠すなら森の中とばかりに、激突予想日を終日休業として社員全員を自宅待機させたのである。巨大台風はそよ風レベルで終わった。その結果、会社都合休業とされ賃金を支払うことになり、当時の上層部内で責任の押し付け合いが起こったのである。以来、我が社上層部は災害への判断は《ギリギリでいつも生きていたいから》路線へと変わった。

結局、社員からの圧を気にした上層部は、18時定刻に合わせて帰宅命令を出した。無意味であった。なお雪は夜更けすぎに雨へと変わり、公共交通機関が止まることはなかった。こうして大雪における帰宅命令戦争は会社上層部の大勝利に終わったのである。翌日、上層部たちは「この地域で長年生きてきた経験からこの程度の雪では電車が止まることは絶対にないと読み切っていた」と自慢していた。上層部の判断に疑問を呈した僕は「帰宅命令を出す必要あったかね?」「キミの判断は甘すぎる」と事あるごとに嫌味を言われている。きっつー。(所要時間32分)

原作を映像化された経験のある僕が「セクシー田中さん」改変について思うこと。

漫画『セクシー田中さん』の連続ドラマ化における原作改変が、原作者の急逝という最悪な結末になり大きな問題になっている。SNSやネット記事のコメントを観察していると「原作者の意向や原作の内容を改悪するな」という声が多いようだ。テレビ局と出版社と脚本家がそれぞれコメントを発表したけれども、その内容がもやもやするもので、騒動の沈静化にはまだ時間がかかりそうだ。

一方、多くの人はどのようにテレビ局が原作付きのドラマをつくっているのか知らないようでもある。なぜなら作品をドラマ・アニメ・映画にされた経験がないからだ。僕は自分の書いたものが日テレでドラマ化された経験がある。

delete-all.hatenablog.comこのブログの「トイレにとじこめられています」という記事が2019年にミニドラマになったのだ。

中居&鶴瓶、“深夜版”仰天ニュース生放送 田中みな実は厳選セクシー写真公開 | ORICON NEWS

当時の記事→

VTRでは、神奈川県の40代男性に起こったちょっと大人な仰天事件が登場。妻が出かけた1人きりの時間に、お気に入りのDVDを全裸で鑑賞し、至福の時間を過ごしていた男性。だが、トイレに入ったところ、なんとドアノブが壊れて全裸でトイレの中に閉じ込められてしまう。妻にスマホで助けを求めようと考えたが、全裸のうえにリビングではとても妻には見せられないDVDが流れっぱなし。なんとか妻の帰宅前に脱出を試みるが…男性の運命はいかに…。


はっきりいって恥である。だがこのドラマが出来上がるまでにどのような工程があったのか明らかにすることで、ドラマの制作サイドが原作をどう考えているか、原作とドラマとの差異はなぜできるのか、「セクシー田中さん」問題を考えるヒントになると思う。

2019年秋、当時、著作を出させていただいた出版社(KADOKAWA)の担当編集者さんを通じてドラマ化の話を持ちかけられた。担当編集者さんは打合せを通じて信頼できる人物であったこと、断る理由もなかったこと、などから軽い気持ちで承諾した。とんとん拍子に話が進み、恥の歴史のゴミ集積場であるこのブログの記事のなかから「トイレにとじこめられています」が選ばれた。

最初に契約書に署名捺印をして、それから都内に出向いて出版社と制作会社の人とで打合せを1~2回行ったと記憶している。当然のことながら、映像化された経験がない素人だったので勝手がわからず流れに身をまかせた感じだった。契約書(覚書)には基本的な取り決めが定められたもので、たとえば原作のこのポイントは絶対にいじらない、みたいな文言はなく、映像化された場合の著作権の帰属等が詳しく定められていた。僕が生きている世界の契約書とは少し違う印象を持った。

で、打合せ。あんな内容のクソ・ブログでプライドもなかったけれども、ドラマで聖人と描かれたら街を歩けなくなるので「僕からは一個だけ、なるべく元記事を忠実に再現してください」と要望を出した。制作スタッフの人たちは業界っぽい感じのスタッフジャンパーを着ていて、メディア的な圧力をかけてきていたけれども、「それはもちろんです」と快諾してくれた。ブログ記事の詳細、舞台となる自宅マンションのつくりや距離感をヒアリングされた。ドアのつくりやリビングの雰囲気、床や壁の材質も確認された。自宅マンション内という限られた舞台でリアリティを付与するのに映像のプロはここまで細かくヒアリングをするのだと感心した。登場人物である奥様と義父のルックスや雰囲気もヒアリングされた。大きな問題にならないようそれぞれ「アン・ハサウェイ」「三船敏郎」と答えた。これがどうキャスティングに反映されたのかは各位確認して判断してほしい。

打合せの最後に制作スタッフの人から「先生、忠実に再現するつもりですが、一か所だけ一か所だけ」と注文が入った。これが、汗と涙と体液を注ぎ込み、唾を吐き捨てた原作を改変する悪名高きアレか…と軽く絶望したが、僕とテレビ局のコンプライアンスを守るための申し出であった。というのも記事中に登場する最重要要素「成人向けDVD」の内容が引っかかるからであった。原作ブログ(実際)で視聴していた作品は、黒と白の2匹のワンちゃんとギャルが合体グランドクロスする内容であったのだ。うん。無理。そんなものを公共の電波で流されたら社会的に死ぬ。うん。無理。ありがとう。というわけでドラマでは内容はあいまいにすることで合意した。その後、番組内で使うインタビューを撮影して(なんと一発でオッケーだった)、打合せは終わったのである。

その後、映像化に際してどうアレンジされたのか、事前に脚本が届くことも完成品を観ることもなく放送当日を迎えたのである。これには少々驚いた。一般の視聴者と同じ目線で番組の放送時間を待っていたのだから…。
放送されたドラマは、おおむね打合せどおり、原作ブログどおりに仕上がっていた。ただ原作ブログ上のひとつのクライマックスである「奥様と僕の会話」、「泥酔した義父との奥様を介したやりとり」は全カットされていた。

僕「ゆ、ゆっくりとね…」
妻「うまく、入らない…すごく、狭いよ…」
僕「落ちついて。ゆっくりゆっくり。痛いっ」ドアノブに頭をぶつけた。
妻「ごめん、あれ?おかしいな。柔らかくてうまく入らないよう」
無駄にエロい会話。しかも男女逆転。嘘みたいだろ。僕たちレスなんだぜ…


義理の父が作業を開始した。「ひまほらはけるぞ」お義父さん酔っていてしどろもどろ。なので妻が翻訳「たぶん、今から開けるぞだと思います」。すみません、僕が言うと義理の父が「ひにょうきか。びみはななしのしのごら」といい妻が「たぶん、気にするな。君は私の息子だから、たとえ裸でも見捨てたりはしない。イキロ。と言っているんだと思う」と翻訳するが明らかに原文より長い超訳。

当該箇所はおそらく映像化にむいていなかったのだろう。ドラマの出来には納得しているけれども、こうやって原作のエッセンスがカットされる事態はありうることだと学んだ。「セクシー田中さん」くらいの大きな作品で連続ドラマになると制作サイドの都合でこういうことが積み重なっていったのではないかと想像する。僕が改変に納得したのは原作ブログにあったコア(核)が守られていたからである。

ブログのドラマ化はおおむね成功だった。僕役の俳優さんが同レベルのイケメンで、楽しいドラマに仕上がっていた。成功したのは、出版社の担当編集者さんと制作スタッフが僕のブログを正しく評価して、ほぼ忠実に再現することに注力してくれたからだ。ラッキーだった。それでも前述のとおりブログのとおりというわけにはいかなかったのだ(納得はしている)。

ドラマ/映像化がはじまると原作者は原作を預ける形になり介入できなくなる。制作サイドが原作者の意向を無視して作品を原作者から奪おうとすれば容易にできてしまうだろう。「セクシー田中さん」の連続ドラマ化のように、プロジェクトが大きくなればなるほど、関わる人が増え、原作愛のない人の介入を許すことになる。そしてドラマ制作サイドは人数で原作者を圧倒するため、人間特有の群れると謎の強気になる習性から「ドラマ制作では俺たちの方が偉い」と勘違いをして、原作者を蔑ろにするような、絶対にいじってはいけない原作のコアの部分をいじる蛮行が行われてしまうのだ。漫画と映像はちがうものなので改変やアレンジは仕方がないと思う。だが、改変やアレンジを行う際に、その改変が作品のコアに触れるものなのかどうか、判断できない者に映像化する権利はないと僕は思う。(所要時間50分)