先日(2024年2月5日)、関東地方に大雪が降った。職場がある神奈川県に大雪警報が出された。めずらしいことだ。積雪を警戒して朝から県内の有料道路は通行止めになっていたが、会社最寄り駅を経由する電車やバスといった公共交通機関は通常どおり運行。朝からSNS上では帰宅命令を出す企業の情報がぽちぽちと出始めていた。
午前10時半。僕の座る窓際席から降雪を確認。会社前の道路はうっすらと白くなりはじめていた。スタッドレス未装着車の走行は危険だ。会社上層部が会議室に集まり、対策会議を開き対応を検討しはじめた。降雪予報を受けて前日の夕方にも会議はひらかれていたが、「明日の様子を見て臨機応変に対応する」というどうしようもない結論に至っていた。こういう状況ならこういう動きをするという取り決めもなし。1時間弱の会議で何を話していたのだろうか?行き当たりばったりを臨機応変と超訳していてアカデミー出版もびっくりである。
12時。降雪は強くなるばかりで、数センチの積雪が認められた。もはや我々社員の興味は、帰宅命令を出す/出さないから帰宅命令を出すのは当然でいつ出すの?今でしょ問題になっていた。同時刻、上層部が3回目の対策会議を開催。会議は3分で終了。会議の長さがおっさんの不整脈のように不安定だ。結論は「高い関心をもって降雪の状況を注視していく」というものであった。平均60才オーバーの上層部が、横一列に並んで、高い関心をもってぼーっと窓の外を見ている光景は、薄気味悪く、「60才をこえたら自分もこうなってしまうのか」という将来への不安を覚えてしまう。
13時。降雪はさらに強くなるばかりであった。上層部が対策会議を開催。手帳を持たず手ぶらで談笑しながら会議室に入っていく老人たちの姿が不安と不快感を覚えた。「ゆーきやこんこ」という歌声が聞こえた気がした。まさかの幼児退行現象。幻聴であってほしい。
(19時頃の様子。雪はパラパラ降っていた)
13時40分。途中から会議への参加を要請された。これまでも指示を周知するため、在社中の部門長クラスが招かれることはあった。会議室では「公共交通機関が止まったら全社員に帰宅命令を出そう。会社に泊まったら光熱費がかかるし、せっかく備蓄していた非常食も消費してしまう。もったいない」と上層部が真顔で話し合っていた。聞き間違いを信じて確認したが、《公共交通機関が止まる前に》ではなく《止まった後に》であった。大雪のなか、会社を追い出されて、身動きもとれない。温かい本社と緊急時のために備蓄した食料があるのに、なぜ神奈川の市街地で雪中行軍をさせられなければならないのか。嫌がらせすぎるだろ。会社は我々を見放したーーー!
ブラック企業ぶりに目の前が真っ暗になりつつも反論した。「今、帰宅命令を出してはどうですか」。すると上層部は「今、帰宅命令を出せば、会社都合による休業となり、手当を払わなければならなくなる。しかし、電車が止まれば天災による休業となり、手当を払わなくてすむ。それが経営というものだよキミ」と答えた。安全配慮義務はいずこへ。
このような判断の裏には、過去の判断のしくじりがあった。数年前、巨大台風が関東に激突すると大騒ぎになったのを覚えていないだろうか。そのとき、我が上層部は我が身の安全を第一に考えた。そして「台風の中、出社したくない」という本音が露見するのを隠すため、木を隠すなら森の中とばかりに、激突予想日を終日休業として社員全員を自宅待機させたのである。巨大台風はそよ風レベルで終わった。その結果、会社都合休業とされ賃金を支払うことになり、当時の上層部内で責任の押し付け合いが起こったのである。以来、我が社上層部は災害への判断は《ギリギリでいつも生きていたいから》路線へと変わった。
結局、社員からの圧を気にした上層部は、18時定刻に合わせて帰宅命令を出した。無意味であった。なお雪は夜更けすぎに雨へと変わり、公共交通機関が止まることはなかった。こうして大雪における帰宅命令戦争は会社上層部の大勝利に終わったのである。翌日、上層部たちは「この地域で長年生きてきた経験からこの程度の雪では電車が止まることは絶対にないと読み切っていた」と自慢していた。上層部の判断に疑問を呈した僕は「帰宅命令を出す必要あったかね?」「キミの判断は甘すぎる」と事あるごとに嫌味を言われている。きっつー。(所要時間32分)