Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

飛べないパンチラのために僕は祈る


 結局のところ、彼女のために、僕が出来ることといったら祈ることだけなんだと思う。だから僕は祈る。どれだけ傍迷惑と思われようとも。嫌われようとも。人のために祈るって、たぶんそういうことだ。


 夕暮れ時、駅へと繋がるビルディングのエスカレーター。僕の前にはパンツが見えてしまいそうなほど丈の短いスカートをはいた女子高生がいた。僕にとって、パンツなんて性器と肛門を隠すだけの布切れだ。パンチラ一瞬、怪我一生。あらぬ疑いをかけられないよう、僕はちょっとわざとらしいくらいに、大袈裟に、身体を横に向けて、窓の外を眺めることにした。ささやかな、静かな幸福を守るためには、一層の慎重を要するのだ。


 窓ガラス越しの景色は、エスカレーターが昇っていくにつれ、変化していった。建物の間の夕空は大きくなっていった。人間はこの空を飛ぶことを、許されなかった。優秀な頭脳と、言葉と、手先の器用さは与えられても、翼だけは与えられなかった。


 飛行機。ヘリコプター。ロケット。空を飛ぶ機械の発明することは、人間に内在するコンプレックスの克服だったのではないか。人間は、空を飛ぶ機械を生み出すたびに、ただ、翼の不在を確認してきただけではないのか。茜色に染まる空を眺めながら、そんなことを思った。


 エスカレーターは二階に到達した。くるっと方向転換して三階へとつづくエスカレーターに足を乗せる。身体が機械の力で登り始める。そしてまた、空を眺めた。


 子供のころは、空や宇宙を夢みた。憧れはガガーリンライトスタッフ、ジャンボにコンコルド。大人になるにつれ、己の能力や適正が、そういったものに向いていないことを思い知らされた。確かに仕事や旅行で、憧れのジェット飛行機に乗る機会は増えたけれど、そうした機会と反比例するかのように、空や宇宙への夢や憧憬は、空気の抜ける風船のようにしぼんでいき、いつの間にかなくなっていた。知らず知らず、夢のなかの翼ももがれていたんだ。


 エスカレーターは、翼のない僕の身体を上昇させていった。空が壁で遮られてしまい、仕方なくエスカレーターの終着点に目線を移そうとしたとき、僕の数メートル先に、カバンでスカートのお尻のあたりを防御している女子高生の姿を捉えた。振り返って下をみると、僕以外に人影はない。つまり僕の視線への対抗策だ。


 大空へと向かっていた純粋な想像は墜落して、アスファルトに叩きつけられ、ダンプに引き摺られて、60キロ弱のミンチになる。嫌な感じが僕を包んで、一刻も早く逃げたかったけれど、エスカレーターに逃げ道などあるわけない。くだらない。そんな汚い尻を隠すだけの布切れ、千円札がついてきたとしても、こちらからお断りだ。心のなかで叫ぶ。


 僕は強がる。もし、人間に翼があたえられるときがきても、パンツごときを見られるのを意識している君にはあたえられない。君には、その権利がない。ノーパンで風の谷を飛び回るナウシカの爪の垢を煎じて飲め。話はそれからだ。パンチラに価値はない。価値がないものを意識するな。それは大いなる過ちだ。一生、地面に這いつくばって生きて、死ね。僕が空を飛ぶ様を地上から指を咥えて、眺めていろ。


 怒りと同時に、心優しい僕は憐れむ。全力で憐れむ。憐憫の涙で出来た海で溺死しそうになる。悪いのは馬鹿な大人が作り出した世界であり、価値観だ。彼女は被害者。ニュースや雑誌で、いい大人が女性のスカートの中を覗いたり、パンツに値札を貼り付けたりする話を聞かされるのは、もう懲り懲りだ。うんざりだ。馬鹿が汚いことをするのを見聞きするのは、もう嫌なんだよ。汚いんだよ。


 彼女からみれば、僕も汚い世界の一部なのだろう。「僕は違う」って肺活量いっぱいの声量で叫んでみたところで彼女らには届かないだろう。パンツを隠す鞄には何か文字が書いてあった。かすれてしまって読めなかったけれど、きっと大人を、世界を、侮蔑するような攻撃的な言葉にちがいない。僕を汚い世界の一部と決めつけるレッテルにちがいないんだ。そうに決まっている。


 彼女は一足先にエスカレーターから降りていった。


 エスカレーターの終着点に、小さなヌイグルミが落ちていた。ピンク色のよくわからないキャラクター。お化けにもエイリアンにも見えるヘンテコ。僕はそれを拾い上げてエスカレーターを降りた。僕の前にいた女子高生が戻ってきた。そして、何も言わずに僕の右手からピンクのヘンテコをひったくり、駆け足で人込みに消えていった。


 僕はなにか悪いことをしただろうか?僕は汚らわしいだろうか?そうかもしれないし、そうでないかもしれない。僕にはわからない。でも、彼女のために、この世界が少しでも良くなるように祈ることはできる。僕にできることは、それくらいだ。