Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

出張なう

 初日。発熱でダウンした牛島君の代理で部長の出張に同行することになった。前日。受話器から響く牛島君の声は、40℃オーバーの発熱で喉と舌の調子が狂っているたのだろう、前立腺の調子がよろしくないわりに、思いのほか明るかった。前立腺の調子が悪いのは僕であった。はは。業務引継ぎを終えると、牛島君は「ごめ〜わくをお掛けしますがよろしくお願いしま〜す」極めて重厚な口調。怒りで爆発しそうになるのを歯をくいしばって堪え、心と体を切り離し「お・大・事・に」と発声すると彼は「ありがとうございます。なんとか大丈夫です。今、彼女が来てくれ…」ガチャ、僕は電話を切った。戦争がなくならない理由を僕は知っている。号泣する準備もできている。


 現地の新幹線ターミナル駅で待ち合わせ。だったが、デジタルカメラのフィルムを買う、という理由で部長二時間遅刻。飲み食いせず、一心不乱に飛んできたが電車の乗り継ぎがうまくいかなかった…、そういう部長の唇にはケチャップの茜色。右手にはビニル袋。ビニル袋のなかには空き缶。発泡酒の。薄毛と複雑に絡み合う白いフケ。お願いだからワイシャツを着てくれ。ネクタイをしてくれ。約束の時間が迫っているので泣く泣くノーワイシャツ・ノーネクタイのまま部長をタクシーに押し込んだ。「仕事が出来る男が向かう先には常にタクシーが待っている…」部長の独り言。を無視。


 エントランスに受付の美しい女性。「ほぉ…いいナオンじゃねぇか…」部長がつぶやく、のを無視して受付。応接コーナーへ行って、「ナオン」「ナオン」繰り返す部長、を無視して内線ナンバーを押し、到着の旨を伝達すると、担当者である課長氏が飛び出してきて僕を物陰に引き込み、「あの…非常にお聞きしにくいのですが…」なんて不穏なことを言うので促すと、「お宅の部長もご一緒ですか」だって。「ええあそこで観葉植物を凝視しているのが弊部長でございます」「やはりあの方がそうですか、牛島さんには伝えておいたのですが、あの、部長との面談は遠慮させていただきたいのです」「なにか粗相がありましたか?」「弊社の上役があの部長とは会いたくないと申しているのです」と言ったきり、課長氏は俯いて、焦点のあわない目で勘弁してください、すみません、申し訳ない、繰り返すのみで埒があかない。つまり部長は出入り禁止ってわけ。謀ったな牛島!胃がきりきり痛みはじめた


 新幹線で二時間かけてやってきた出張、やる気満々の上司、その上司を断固拒否する顧客、胃の痛みは激烈で、今にも腹をくだしそうだ。前門の虎、肛門の狼。どうにでもなれ。部長には退場していただかなくては。「あの」「なんだ。用件は手短にしろ」「セキュリティーの問題で館内に入れるのは一人だけだそうです。部長は外で待っていてもらえますか?」苦しい言い訳。部長は28秒白目をむいて静止してから「なるへそ。セキュリティーか。セキュリティー問題はどの企業にとっても忌々しき問題だ。俺もひとりのビジネスマンとして毎日セキュリティー問題を気にしながら女性と接しているからよくわかる…よし、俺は外で待機していよう…」まったく意味不明だが結果オーライ。部長は受付の子を舐めるように眺めながら出ていった。


 交渉、成立。課長氏とその上役の取締役とのにこやかな談笑。これからもよろしくつってね。別れ際に取締役がちょっとこれを見てくださいといってブラインドを引き上げた。「荒れ放題だった庭を整備したんですよ」。二階の窓から見下ろす庭に、小さな鳥居とトーテムポール。正直、微妙。「どうですか」「すばらしい…会社に鳥居とトーテムポールがあるなんて従業員の皆さんも喜んでいるんじゃないですか?」お世辞をいった。課長氏は壁にむかって話しかけていた。言葉を交わさなくても彼の苦労がわかった。すると、道を挟んだむこうにあるコンビニの駐車場に、部長の姿。ウンコ座りで右手に煙草、左手にペットボトルを持ち、陰気なオーラを噴出していた。さいわい、トーテムポール取締役は部長に気付いていない。


 気付かれてはならない、僕の気持ちを知ってか知らずか、知らないんだろうな、ま、知られたくないし、ウンコ座り部長が立ち上がり、僕を発見したのだろう、ぶんぶん手を振り始めた。トーテムポール取締役は鳥居建立秘話を嬉々と話し続け、担当の課長氏は真っ青な顔をして今にも死にそうだ。部長は、頭上で両手で円を形作り、次に両手をクロスさせてバッテンをつくった。まる、ばつ、まる、ばつ、まる、ばつ。部長は繰り返した。無視し続けていると、部長は頭上でマルをつくりながら前の道路を小走りに往復し始めた。いよいよ狂ったか。通報されればいいのに。課長氏が「あああ、強い日差しが。壁紙がやけてしまう」と絶叫してブラインドをおろしを強行してくれたおかげで、部長の存在はついにトーテムポール取締役に発見されず、事なきを得たのである。


 客先を出ると何も知らない部長がやってきて、「どうして俺のサインを無視したんだ」と言った。「すみません」「ビジネスではスピードが重要だ。お前はマルかバツか即座にサインを返さなければいけなかった…営業マン失格だ…」「すみません」。交渉がまとまった旨、伝えると「俺が出ていくまでの客じゃなかったってことだな。それにセキュリティーを理由に俺を排除したが、あそこには受付以外にたいしたナオンはいねえ。これがなにを意味しているかわかるか」狂人め。まったく意味がわからない。「いえ」「少しは頭を使え。奴らは俺を恐れて避けた…。俺の営業テクニックで不利な契約を押し付けられるとでも思ったのだろう。肝が小さい奴らだ。奴らは本物のビジネスを知らない…俺と同じ世界の人間じゃない…」それから部長は唾を吐き捨てた。それは顧客の門前で。


 社長に報告した。「そうか。よくやった。お疲れさん。部長の見事な助力もおおいにあったのだろう。彼にうまい酒を飲ませてやって労をねぎらってくれ」だって。部長は何もしていない。つーか出入り禁止。社長に暴露したかったけれど、<部長は重要な取引先の親族・しかも社長の親友の弟>という事実、「部長に逆らわず支えろ」という社長命令が僕を封印した。ささやかな祝勝会をやって安ビジネスホテルへ。疲れきった僕はベッドの上に横たわった。明日も部長と行動しなければいけないのか。絶望がひたひたと押し寄せ、胃がきりきり痛み出した。ば〜い。あれ。ちっく、ば〜い。あれあれ。歌が聞こえる。しょ〜う、ちっく、ば〜い。しょ〜う、ちっく、ば〜い。部長の、きたない歌だ。よろこび〜のさ〜け〜、しょ〜う、ちっく、ばあ〜い。部長の歌声が流れ続ける知らない街の部屋で僕は、電池が切れるまで牛島君にワン切りを繰り返した。しょ〜う、ちっく、ばあ〜い。僕たちは…どうして…こんな所へ来てしまったんだろう…。(つづく)